漂流博士

仕事は仕事、人生は違うところにある。

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まだまだ続く、イスラエル映画!

大きな波を迎えているイスラエル映画の興隆を記念して、先日イスラエル映画に関係する方々の集まり、という楽しい会が催された。漂流生活のスタートを切ったスキップシティDシネマ国際映画祭の方々や、「迷子の警察音楽隊」「ジェリーフィッシュ」の配給の方々と、ミニ同窓会のようでもあり、私など俄かイスラエル映画関係者もその楽しい雰囲気にとても満足して帰宅した。

さて、近々もう一つあるんです、イスラエル映画。6月14日東京と写真美術館で公開される「1000の言葉よりもージブ・コーレン」。

参考サイト(1)

参考サイト(2)

イスラエルの報道写真家を追ったドキュメンタリーで、「迷子-」や「ジェリー-」とはまた違ったイスラエルの現実を実感できるお勧め映画!

漂流博士、この度もこの映画の解説を書かせていただきまして、ここに転載させていただきます。是非どうぞ!

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「イスラエル人」の生活
イスラエル人は、言語や生活習慣などに基づいてユダヤ人とアラブ人に分けられるが、単純な対立関係ではとらえきれない現実がある。ユダヤ人といっても、頭のてっぺんからつま先まで黒い衣装で覆いながらユダヤ教の戒律を厳守する超正統派と呼ばれる宗教的生活を送る人々(劇中ではその一部であるハシド派が紹介されている)から、ジブ・コーレンのように宗教的な戒律とは無縁に日々の生活を送る人々まで幅広い。実際には、非宗教的な生活を営み、夫婦で共稼ぎをするような家庭が大半である。男女平等、家庭最優先の社会の中、ジブのように仕事の合間に子どもの送り迎えをする父親の姿、また台所に立ち皿を洗う男性の姿も極当たり前。この映画はイスラエル人による作品であるが、より正確には、そんな非宗教的な生活を送る大半のユダヤ人の視点に基づいている。

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これ以上は公開後に劇場で販売されるパンフレットをお楽しみに!

「学位持ってるんですか?」

先日初対面で何人かと顔を合わせる機会があった。お互いの職業を聞くなど、初対面の緊張がほぐれてきたときに、大学の教壇に立っている、などとアカポス(アカデミックポスト)に就いていると思われる方も複数名いた。そんな彼/女らへ「学位持ってるんですか?」と聞く声を何度か耳にした。

博士号は資格でしかない、ということを久々に実感した一言だった。決して「博士なんですか?」とは聞かない、いや聞けない。私たちは「博士である」のではなく、博士号という資格を持っている、ただそれだけなのだ。一方、弁護士だったら「わたし弁護士です」、看護士だったら「わたし看護士です」と、資格=職業が成立している。同じ「士」があっても、どうも意味合いは違うようだ。と、ふと見渡すと、武士、力士、も身分や職業だし、でも、医師となると音は「シ」だけど、また違う漢字がある。この辺り、資格、身分、職業、詳しく考えたら何か分かりそう、な気もする。

漂流しない博士が来訪

大学時代の野球部仲間で、このブログにも何度か登場した現在ポツダムで研究中の友人が一時帰国のついでに遊びに来た(参考1)(参考2)。学部の頃から一貫して言語学を学び、修士修了と同時にチョムスキーのいるMITへ飛び、5年間の課程でしっかりPh.D.を取得すると、今度はドイツへ飛び立った、移動だけ見るとかなり飛び続けているが、漂流はしない博士。研究者とは彼のような人を言うのだろうし、彼のような博士号取得者には道が開かれているのだな、と自分と比較してはいつも納得する。

卒業後互いに海外に行ってからまめに連絡を取るようになり、彼がMIT時代にはイスラエルからボストンまで遊びに行ったりもしたのだが、話は研究よりもむしろ趣味のことで、そのときもマイケル・ブレッカーのライブに行ったり(今回彼の死を二人で悼んだ)、ゴンサロ・ルバルカバのCDを聞いたり、ジャズの話で盛り上がった。今回は、ここ数年の彼の新しい趣味(という範疇を遥かに超えているのだが)で栽培中の食虫植物、そしてそれを撮影するカメラの話で盛り上がった。

最近撮影した写真を見せてもらったのだが、どれも食虫植物に対する愛情としか言いようのないやさしさが現れていて船長と感激しっぱなしだった。どんな風に虫が落ちるのか、どんな風に消化するのか、どんどん投げかける質問にも適切に回答が返ってくる。私よりも船長のほうがそうした好奇心が強いので、質問は終わらないのだがその答えがまた面白くて時が経過するのを忘れた。

「今こうして家を離れているときはどうしているの?」と心配に思った質問には、「ちゃんと友人が管理してくれている」と安心の回答を得たのだが、「もし他の地で職を得たらどうする?」というさらに現実的な質問には「それが問題なんだよ~」とシビアな回答が。

地続きだったら何とかなっても、、、とは言っても100鉢近い植物たちを持っての移動は限界がある。研究者としての彼のキャリアはどこに行ってもしっかりと根を張っていくのだろうが、彼の子どもとも言えるような植物たちの行く末はどうなるんだろうか?船長と二人今やその心配は他人事とは思えない。

見せてもらった写真の中で感動した一枚はこれ↓

Binata


香港での学会発表も控えていたので、今回こそ研究の話を!と思っていたのだが、今回も趣味の話で終わってしまった。いや、それが趣味と言う範疇を超えていて、そこだけ聞いたら食虫植物を専門とする人と言うくらいのハマリッぷりが面白いので満喫してしまうのだ。他人の好奇心を満たしてくれるもの、研究であっても、趣味であっても、そこまでの集中力こそが基本だよな、楽しいひと時を過ごした。

保育園が欲しい!

自宅で仕事をする。この理想的なライフスタイルは、まず第一に仕事がある、それに、仕事のできる環境があることが大前提にある。その道のプロだな~と私が思う人たちには、質の高い継続性が共通している。私も、まあまがいなりにもフリーとして4ヶ月経験しながら、仕事を継続してその仕事を評価され続けること、そのことだけで十分プロであるのだということを痛感している。今仕事がある、ということは確かに安心であるけど、問題は次に仕事があるかどうか、その先があるか、という継続性と持久力だ。仕事が続くためには、質の高い仕事を目指し、質の高い仕事を生み出すためには最低限の仕事環境の確保が必要となる。

我が家の娘"うみ"が数日前から風邪をひき、保育園に行ったものの熱が上がったというので早退してきた。家に帰ってきて風邪で寝ているのならいいのだが、熱があるというのに元気でピンピンしている。「ね~、まだ明るいんだから遊ぼうよ~」とくっついて来るが、本人は気分も体調もいいんだから無理もない。早退直前に食べた給食もしっかりお替りをしたと言っていたし、帰宅してから平熱に下がっている。

うみが毎日保育園に行っているのなら、まあ半日くらいいいか、と割り切って遊びに付き合えるのだが、うみは現在一時保育なので、週の一部しか保育園に行かない。正確には、月曜日から金曜日毎日通う普通の保育園の定員が一杯なので、週の一部しか保育園に行けないのだ。一週間の大半は家にいるわけなので、保育園に行く日は集中して仕事や研究を進めることができる、親にとっても貴重な日となる。その一日を保育園の代わりに家で過ごす、となると仕事は進まなくなるので何とも悩ましい限りだ。

私が住んでいる辺りはこのような待機児童がかなり多いらしく、「一時保育」も一杯。

少子化対策のためには、特に首都圏において、保育所の定員を拡げることが基本だと常々願っている。我が家もそうであるが、夫婦と子どもだけで家族を営む場合、親以外の他人に見てもらえる保育の場があるかないか、はかなり重要だ。フリーでなくても、在宅勤務という形態は家族にとっても、また通勤をしなくてよい親にとっても増えればいいとは思っているが、その間子どもを誰が見るのか?という問題の解決策がないと、自宅が保育園化するだけで結局は実現できない。
実際に経験しないと分からないことが多い、保育園の必要性、こんな立場で実感したのでメモしておきます。

秋の夜長と秋晴れの一日に

日が陰るのが早くなり、秋の夜長、となると勉強するには最適の空気が流れ出す。寒くもなく暑くもなく、これから夜はドンドン長くなるのだから、研究に集中する力も徐々にエンジン全開へと向かう。こんな風に勉強に集中しやすい気候と環境になることを考えると、新学期の9月開始も悪くないんじゃないか、とも思う。ただ、部活中心の生活、しかも野球部だと新学期に入ってすぐにシーズンオフ、というのはいただけないな~、と考えるとやっぱり気持ちよく「賛成!」というわけにはいかない。

しばらく大きな仕事もないので、図書館に通って文化相対主義に対する当時の日本の文化人類学会の反応、また、民族、人種についての議論を改めてざっと見直そう、と本の予約(これがネットでできちゃうのは今のような生活スタイルでは何と素晴らしいことか!)などをして、「よし、出かけるか」と言いかけたところで、まとまった仕事が、それも複数同時に入った。ヨッフィ!(ヘブライ語のExcellent!)

このブログで何度も書いてきたことだが、フリーの身分で仕事を依頼されることほど嬉しいことはない。いろいろな選択肢や検討事項を含めた上で「じゃあ、この人にお願いしてみましょう」という何かしらの決断があった上で連絡をいただくわけだから、「ご依頼ありがとうございます、是非お願いします!」と我が家は即引き受ける。我が家に仕事を選ぶという考え方はない。

複数同時に仕事、しかもどれも急ぎの内容が重なったので、優先順位、担当分担、締め切りまでの段取り、などなど家庭内作業とはいえ確認することが多いので、早速船長とミーティング。ミーティングを2分で終了させて、早速作業へ。

夜長にいたるまでの昼間の秋晴れもまた最近は気持ちがいい。気持ちのいい日差しを感じながら、来週半ばくらいまでは再び通訳・翻訳家になる。

10年遅れのプレイボール

仕事で中央省庁に足を運んだ際、そこに勤務する大学時代の同期で、短い間ながら共に白球を追った友人と5年ぶりにあった。彼は在学中に中心選手として活躍する真っ只中に部活を休んで国家公務員試験に専念し、一発合格。以来10年以上外交の世界に生きる。

「お前がアカデミックに行くとはな~」

大学の友人に会うとよく言われるのだが、彼もやっぱりそれを口にした。いつもその言葉には自分でも納得なのだが、それは在学中に目にした勉強大好き、読書大好きな友人達こそがホンモノで、私はナンチャッテという意識が今でもなくならないから。

「いかにも学者って感じのやつら、いたもんな~」

そうなのだ、そういう連中が周りにはたくさんいて、私はそんな人たちを外から見ていた。私の知っている限り、そういうホンモノの学者を目指した友人達は卒業以来大学院に進み、いずれかの機関に所属してその道で職を得ている(漂流博士の過去ログ参照)。いわゆる、博士が就職できないという問題は、そうしたホンモノには含まれない博士がアカデミックに限らずどう生きるかの問題だと認識しているのだが、いかがだろうか。

在学中からその友人には「お前、イスラエルに行って、そんでどうすんの?」とよく聞かれた。確かに自分でも分かっていなかったし、具体的にどんな道があるのか、何ができるのか、やはりよく分かっていなかったのだな、ということを再び思い出した。

かつては1、2年先のことしか見て行動しなかったのが、今では随分先までのことを見越した判断と行動ができるようになった。私にとっては大きな変化も、外交に生きる彼にしたら、そんなことすでに大学在学中から当たり前のことなのかもしれない。

私の場合は家族のなかで生きるという覚悟ができたことで、ようやくおぼろげながらどんな道に進みたいのかが見えてきた。大学卒業から10年以上が経過してやっと友人達と同じスタートラインに立った気がした。そんな話しをすると、船長は「継続は力だよね」と暖かな励ましをしてくれる。自分ではそんな風に考えたことはないけど、振り返れば長いこと大学院生活は送った。その力をこれから先に活かすときがようやく始まるんだな。

娘の運動会に参加!

秋晴れのいい天気、まさに運動会日和のひと時、三歳の娘「海」が通う保育園の運動会に漂流一家で参加。万国旗がはためく下で、ござを広げて観戦する家族(多くが祖父母)、入場門や退場門(それぞれ"がんばり門""げんき門"となっていた)なんかを目にして、「あ~運動会だ!」と眠っていた細胞がザワザワするのを感じながら、アンパンマンの「さんさん体操」を一緒に踊って大満足。

保育園といっても「海」が通うのは一時保育。週に数日だけ行ける枠。自宅で夫婦で仕事をする漂流一家としては毎日保育園に行って欲しいし、「海」本人も毎日行きたいのだが、保育園が受け入れられないのだ。この辺りはいわゆる待機児童が多く、一時保育で何とかやりくりしている家庭が多いのだが我が家も例に漏れず。定職に就けない博士は自宅で研究をしなければならず、同様の問題に遭遇している方々がきっと多いのではないかと想像する。

しかし、一時保育のメリットというのも、まあ無くはない。「海」の通う一時保育は一クラスしかないので年齢がごちゃ混ぜ。まだ喋れない子から、4歳くらいまでが同じクラスで朝から一緒に過ごすので、家では一番小さな「海」も小さな子の手を引っ張ったり、ご飯を食べさせたり、お姉さんの経験をする(らしい)。もう一つは、週に数日しか行かない保育園で一緒になる子どもの親達とのさっぱりした関係。幼稚園と保育園の違いはいろいろあるけど、一つにはこの親の関係が結構大きいと思う。

娘の保育園に行く途中に幼稚園があるのだが、母親達の「おはよう」のトーンが保育園のそれとは違う。幼稚園の前で耳にする母親同士の「おはよう」はトーンの高い友達同士の挨拶。一方、保育園に子ども達を預けにくる親達は働いているので、本当に挨拶としてさっぱりと「おはよう」を交わすだけ。その後はそれぞれ忙しく仕事に行ったり、帰宅したりするので、じっくりと話をすることはまずない。

そうした保護者の方々とじっくりと話を初めての機会が、運動会でもあった。「さんさん体操」が終わると一時保育に行く子ども達の運動会は終わりなので、「海」は保育園でしか会えない友達と元気一杯に遊んでいたのだが、その姿を目の前にして、「○○ちゃんのお母さん」「ママさん」、そして時に「パパさん」と話をした。同じ年齢の子をもつ親だけが感じられること、「一時保育」であることの苦労等など、同じ境遇にいる仲間として共感しつつ過ごした楽しい時間は、運動会に行く前には想像もしなかった。

本日もまたまた秋晴れ!今日は子ども同士よりも親同士が仲良しの家族と一緒に動物園へ。行楽の秋である。

レバノン"から"の移民問題

「レバノンは移民国家です」。レバノン移民研究センター副所長による研究会の案内を受け取った時、この最初の一文で私はレバノン「への」移民を想像した。しかし、実際には研究会でのテーマはレバノン「から」の移民であり、レバノン国外に生きるレバノン人、その現象こそが議論の中心であった。

研究会のテーマがレバノン「から」の移民であることは、発表で使用されている移民を指す単語が、自国(そもそも自国とは何か、という議論はされるべきですがとてもここではスペースもないので省略)から他国へ移住することを意味する"emigrate"だったことで気づかされた。確かに、再度案内文を読むと「国内人口推定300-400万に対して、在外レバノン人は推定1200万といわれています」とはっきり書いてあるのだから、レバノン「への」移民と思い込んだのは私の勝手な早とちりだったのだ。

私の思い込みをちょっと冷静になって分析してみると、「移民」という響きが自国から出て行くというよりも、"やってくる"という意味合いの方が強いためではないかと思うのだが、いかがだろうか。アメリカは移民国家、イスラエルは移民国家、という表現は一般的に成り立つと思うが、いずれも「外からやってくる人々」によって国家が形成されていることを表す。その場合の移民は、"immigrants"で今回の研究会のキーワードであったemigrantsとは人の動きのベクトルが異なる。会場に入り、emigrateと聞いた瞬間に「なんだ、immigrateでないのか」と自分の思い込みが解けて明確になったのだが、「移民」だけだと人の動きが外に向かっているのか、内に向いているのかがやっぱり分からない。

さて、研究会の内容はなかなか刺激的だった。年々レバノンから国外への移住者が増えていることと、そんな移住者がレバノン国内の親族に送金を続けながら自国とのコンタクトを維持しているというのが発表の肉の部分(ヘブライ語的表現)。身近なところでは、日産社長のカルロス・ゴーン氏もレバノン"移民"であるし、夫人のリタ氏は都内で「マイ・レバノン」というレバノン・レストランのオーナーになっている。なるほど、そうしたレバノンとの維持の仕方もある。

ただ、個人レベルにおいて、よりよい生活、より安全な生活、また夢を追って、国外に生活の拠点を移すこと、またその選択肢が増えていることは、レバノンに限らず国際的な現象であるし、人々の移住それ自体はレバノンの特徴でもない。個人レベルでは"国外に出る"ということは決してネガティブなことではないし、むしろ先に進むような、そんなポジティブな意味合いがある。レバノンでも両親たちは子ども達に"国外に出なさい"と積極的に勧める傾向があることを学んだ。ちなみに、博士号が日本で取得できるようになったことで、研究の場の選択肢が多くなったのだからその事実はもっと理解されてもいいのでは、ということはこれまでもこのブログで書いてきた。(参照1.、2.3.)

個人レベルでは歓迎される国外への移住は、一方で国家からの視点になるとたちまち"問題"となる。さらなる活躍の場を求めて大リーグに行く選手個人は評価されるが、日本プロ野球界という視点になると空洞化や人気低迷といった"問題"になることと似ている。今回の発表でも、国外への移住が国家にとって人口問題、経済問題、知能の流出といった意味で「危険」という表現で指摘された。これもまたレバノン特有の問題ではないであろうが、グローバルな現象が国家の枠に「問題」として戻された時、それをどうグローバルな視点で議論できるのかは、今後の移民の研究の大きな課題のような気がした。

議論が国家の枠組みに戻った時点、すなわちグローバルな現象が国家の内政問題にシフトした時点で、その議論に参加する者、もうちょっと踏み込んで言えば、議論に参加する権利をもつ者が極端に限られる。今回の研究会で少なくとも私はそれを実感した。発表のタイトルは「Lebanese Emigrants and Remittances:The Gain-Loss Debate」と「レバノンの」というナショナルな枠組みを提示しており、レバノンという国家にとっての「問題」が研究の様々な過程には横たわっているのだな、ということは読み取れ直接発表者に質問をして確認もしたのだが、その「問題」について私はどう受け止め、また考えればいいのか、という思考の力を持たないことを痛感したからだ。

私はこれまで、"やってくる"移民をどう受け入れるのか、という視点ばかりに専らとらわれていたのだが、出て行く人々をどうとらえるのか、またそれをどうすれば国家の枠組みを脱してグローバルな議論へと展開できるのか。こうした新たな課題が見つけられるのは、一人で本を読むことではなかなか得られない。研究会という議論の場に足を運ぶことの収穫はやはり大きい、収穫の秋真っ盛りである。

波に乗った漂流生活

今月は仕事の依頼がパッタリ減った分、研究会の案内が連日入るようになった。暑さも去り、涼しくなって勉学の秋の季節に入ったことを知らせてくれるようだ。研究会の案内は仕事が詰まっているとスケジュールに入ることはないので、こういうタイミングで案内を受けることができるのはかなり嬉しい。

今週だけでも研究会が二日連続。それもカレン・コーニング・アブゼイドUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)事務局長の講演、レバノン国ノートルダム大学レバノン移民研究センターGuita Hourani副センター長の講演、とテーマも私のつぼに入るものばかり。パレスチナ自治区内の現状については間接的な話位しか聞いたことがないので、UNRWA事務局長の話はそれだけで楽しみである。一方、イスラエルの帰還民受け入れ政策(イスラエルの場合、ユダヤ人だと入国と同時に市民権を取得できるので、移民と区別して"オリム"帰還民)をテーマとする私には、隣国レバノンの移民研究者Guita氏の話は今からワクワク。どんな切り口なのか?そもそも移民に対する市民権の授与はどうなのか?言語教育の提供、労働機会などはどうなっているのか?国民化の過程はあるのか?話を聞く前から質問が止まらない。

う~ん、知的好奇心がクスグられる。仕事は忙しいときに限って新たな仕事が重なる、でも仕事がなければ研究会の案内がちゃんと入る、漂流生活も波に乗っていられる間は心地がよい。

出来損ない息子との再会:校正

週末、数ヶ月前に仕上げた『エチオピアのユダヤ人』(明石書店)の書評の校正用ゲラが送られてきたのだが、あまりのできの悪さに目を覆いたくなった。といっても、それ、私が書いた自分の原稿である。「お前よ、こんなにも出来が悪かったのか」と思わず両手でつかんで見つめてしまったが、活字として世に出る前に少しでも磨いてあげたい、そんな思いで赤を入れた。

何が悪いって、文が長い。私は、少し前にも告白したが読むことが苦手なので(参照:漂流博士「いい本の基準」、長い文になるとお手上げである。できるだけ短い文、「○○はXXである」位のスパッ、スパッという文が好き、というか、それくらい短くないとすぐに迷子になってついていけなくなるのだ。長い文を読む人の辛さが分かるので、自分が書くときにもなるべく文を短くするよう心がける。それなのに、数ヶ月前に書いた書評は、何だこのざまは、と自分に吐き出したくなるくらいタラタラと長い。

私の場合、文が長いということは迷いの表れである。読み進むと確かに迷っている。迷っていると文が長くなるだけではなく、段落の展開もつながりがなく危なっかしい。途中いくつかスパッという明るい箇所はあるのだが、それまでの流れが悪い。ここは相当強引にいったな、と数ヶ月前の自分を振り返るのは正直あまり気分のいいものではない。

最大限かつ編集者の方に迷惑のかからない最小限の範囲で赤を入れ、もう一度見送る程度にまで少し成長させることができた。今回再校はしないので、この次に目にするのは活字になった後、もう完全に一人立ちしてしまった後である。

数ヵ月後に出会うこの書評は、今の私。その時に「相変わらず出来損ないだな」と思うかと想像すると辛い反面、「いい出来だな」と思ってしまうのもちょっと怖いな、と。

収穫の秋、研究の秋

フリーになって最大の仕事テレビコーディネートが終わったら研究を、などと思っていた矢先にドカドカと結構な仕事が入り込み、結局9月に入っても狩の日々、船長と二人三脚ようやく仕事が一息。漂流一家はサバイブできる程度の一ヶ月の目標値を立てているのだが、漂流博士として船出して3ヶ月近く、幸いにもこれまで何とかその目標値を達成。私たちを選んで仕事を依頼していただけることの喜びは、徐々に安心に変わっている。食べる、という現実的な目標が落ち着いてきたところで、研究への気合をググっと入れるタイミングになってきた。研究での業績を上げるのは論文執筆であり、学会発表であり、その限られた土俵でどれだけ相撲が取れるのかにかかっている。その土俵の一つである学会発表があと一ヵ月後に迫った。

その発表の時間割が先日送られてきたが、なんと私は7人中7人目、オオトリである。学会後に懇親会があることを考えると、おそらくその日一番聴衆が多い、かもしれない。自然と準備に気合が入る。この学会発表は若手研究者の発表の場を提供するという趣旨によって設けられて今年で四回目。私のような発表の場を求めている者には嬉しい機会である。

博士論文を基に発表をするのだが、論の展開に幅を広げるために、と少し前に『リベラルなナショナリズムとは』(ヤエル・タミール著、夏目書房、2006年)を読み始めた。しかし、アハッド・ハアムがアチャド・ハーム(28)になるなどヘブライ語表記の訳も甘いことにちょっとテンションが下がり、さらに文が難解で主語と述語を見落としてしまうし、全然頭に入ってこない。そこで無理な抵抗は止めて、同時に購入した『他者の権利』(セイラ・ベンハビブ著、法政大学出版局、2006年)を手に取ったのだが、こちらは訳文もすっきりしていてなかなか面白い。

『他者の権利』はAmazon.com「この商品を買った人はこんな商品も買っています」一覧に出ていた言わば『リベラルなナショナリズムとは』のB面として購入したのだが、テキストデータに打ち込みたい文章も多く最近のヒットだ。何より、脳のシワがジワーッと広がるのを感じながら読み進められるのは嬉しい。
近代以降の政治共同体、すなわち現在の国民国家の境界の外側にいる、外国人やよそ者、移民や難民、亡命者といった「他者」に与えられるべき権利について議論しているのだが、それがアンチョコな正議論とは一線を画している点に好感を持てる。

私はイスラエルという政治共同体の境界の内側に新たな"帰還民"を、国民として取り込む過程に最大の関心があるのだが、この『他者の権利』は内側を画定することで浮かび上がる外側についての考え方にヒントを与えてくれるので大きな収穫である。

収穫の秋、読書の秋、漂流博士も研究へ集中の季節である。

通勤電車研究法

通勤していた頃は一日3時間近くを通勤、しかも朝は満員の中で費やした。座れるはずもない路線の中で、立ったまま。何ともムダな時間、と思えばそれだけムダなので、有効に使おう、と軽めの本を読んで見たり、単語を覚えようとしてみたり、四年間いろいろと試してみたものの、結局たどり着いたのは「ボーッと何もしないこと」。論文を書くことに集中した昨年一年も、その通勤の時間が意外にも有効に働いた。

通勤時間と勤務時間以外で博士論文を書くことになったので、少ない時間で少しでも効率のいい方法を考えた。そこで、家で本や論文を読む時、マーカーや付箋をつけたり横にチョロチョロメモを書く代わりに、それらを全て箇条書きですぐにパソコンに打ち込み、論文ごとに著者名と論文名でテキストファイルを作ることにした。

短時間で論文を書く作業は、特急列車に片道切符で乗っているようなもので、「あっ」と前の駅に戻っていられない。「あれ、確かスチュワートホールの論文で"同一化"という言葉があったけど、、、あれ、どの論文だったかな?」と再び大量の紙をかき回すほどの余裕もない。今やデジタルの時代、全てデジタル化してGREPを活かした検索機能を使えば、"同一化"と入力すれば一瞬で求めるデータに到達できる。その手を使わないわけはない。しかも、打ち込みながらその文章を再び丁寧に読むことにもなって、頭の中にも言葉の一つ一つがしっかり入る。本を読みながら、引用に使えそうな文章、自分が気になったこと、それを論文名、ページ数などの基礎データを含めて全てパソコンに入力する、という作業をしばらく行った。

さて、研究は入力することではない。インプットすることも研究ではない。私は、本を読む作業を通して、自分が持っている情報や乏しい知識と反応して生まれてくるボンヤリした何かをつかんで文字にすることが研究だと思うのだが、私は持っている情報や知識が少ないし、その化学反応までにえらく時間がかかる。本を読むと同時にそうした化学反応をキャッチして、すぐに言葉にして論理的に話をするような人を見るといつも尊敬する。私の場合は本を読んでしばらく経って、ボーっとしている時に「ポコ」と化学反応が起こる。いつも時間差なのだ。

そんな私には、本や論文を読みながら入力するだけではなく、それをボーっと振り返る時間が必要なのだが、それには通勤がピッタリだった。周りの人に押し付けられて、ストレスの充満した車内という全くかけ離れた空間に身をおいて、グターッと窓の外を見ていると、フッと「!」とひらめく瞬間が何度となくあった。それを忘れないようにメモに書いて家に帰ってまたデータにして、という作業を繰り返すことで全体的な構想は作られていった。

通勤時間がなくなって3ヶ月近く。あれを懐かしいとは思わないが、そんな中でも研究ができたんだぞ、ということを今の自分に向かって一度思い出させたく、書いてみました。
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