漂流博士

仕事は仕事、人生は違うところにある。

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ヘブライ語で書いてみた

随分前からある新聞社の友人に頼まれていたヘブライ語でのミニ・エッセーを書きあげた。
僕はヘブライ語の基本をバナナ農園とバーでの会話で自己流で身につけているので、ヘブライ語をきちんと書くことに関しては大きなコンプレックスがある。どれだけ話せても、どれだけ読めても、書くことというのはまったく別の技術が求められるのだが、その技術が身についていないのだ。それでも「何とかヘブライ語で頑張ってみる」と今回こだわったのは、なんとかいけそうな感じがしたのだ、漠然と。

週末に人生初めて自分が書いたヘブライ語と向かい合ってみたのだが、予想以上にスムースに書けたことに自分では驚いた。書く前から頭の中に何を書きたいのかということが明確にあったことば一番の勝因だった。そして、それをできるだけ簡単な表現でSVOの基礎を忘れずにということだけを心がけたのがよかったのだ。これは何語でも共通だと思うけど、とにかく頭の中で書きたいことがものすご~くスッキリしていないと言語化の作業などほとんど不可能に近いと思う。

今回のお題は、テルアビブで目にする漢字の刺青に対する日本人としての率直な感想。そうはいっても、感想だけでは全く面白くもなんともないので、文化的分析というテイストをつけてみた。途中何度も船長と相談して、それをヘブライ語に置き換えるという作業を繰り返した。我ながら結構面白く仕上がった。

母語ではないので、言葉を選ぶということがなく、また感覚的にしっくりするまで推敲を重ねるということも、そのヘブライ語のしっくり具合が身についてないのでできない。とにかく、言いたいことをものすご~く簡単に並べるしかできないのだが、さすがにそのまま新聞に載るのはまずいので、友人に「添削」をお願いした。

かつて人類学概論を教えた時の教え子で、今や友人となったモシェに「ちょっと見てくれないか」と夜メールで送ると、彼は夜中までの仕事を追えた後に見直してくれて翌朝には返信してくれる。すごい!しかも「ヘブライ語らしい!」と一目で気に入った訂正された文章、僕がいいたかったコアはきちんと残し、しかもリズムも、表現もしっかりと残された新たな文章を見て感動した。ネイティブっぽい表現というのはこれはもう本当に書き込まないと身につかないもので、僕などはもうほぼ諦めているんだけど、でもやっぱり最初からこんな風に書いてみたいとつくづく思う。

初めてのヘブライ語エッセーは友人の力をかりながら、かなり満足したものになった。編集長からも「おもしろいぞ!」とお褒めの言葉をもらい、あとは新聞掲載を待つだけ。
最近雑誌記事やエッセーを書いて、何かものすごく身軽な気分!

現在、一度挫折した『ねじまき鳥クロニクル』を読んでいる。『海辺のカフカ』に比べると落ちるけど、日本語のリズムはやっぱりすごい。

なんとかなった!

ソフトボール試合再開!のニュースが飛び込んできた、といってもふつうの人が読むヘブライ語版新聞では小さな扱いで、むしろ、ソフトボールや野球というものが生活の中に位置づけられているアメリカ出身のイスラエル人が読んでいるJerusalem Postなどの英語版で詳しく出ていた。

さすがに国際試合なわけで、球場管理者、球場がある市、ソフトボール協会とみんなで大慌てで行政処理をすませて何とか試合再開ができるようになった。数日つぶれてしまったので、毎日夜11時過ぎまで、また体外試合をしてはいけない金曜日日没から土曜日日没までのユダヤ教の安息日はさすがに試合を組めないけど、それでも日没ギリギリでスケジュールを再調整して期間中に終わらせるらしい。
それから、どうやら今回の使用禁止令というのは、イスラエルvsメキシコの試合中二回表に市の当局の人がきて初めて問題になったのだそうだが、その試合も同じ場面から再開されるとのこと。

ソフトボール協会のコメントは「ヨーロッパ選手権では何日も雨で延期になった、それと比べれば日程調整は簡単さ!」さすが、その前向きなポジティブさがここで生活していく上ではもう絶対的にかかせない、「何とかなる!」のだ。確かに、ここは4月から10月くらいまでは雨が降らないので、屋外イベントのスケジュールは一度立てればその通りに動くのだ。

「なんとかなる」か?!

「マカビヤ」と呼ばれるユダヤ人のためのオリンピックが月曜日からここテルアビブの郊外を中心に始まっている。
昨年の北京オリンピックでもかろうじてヨットで銅メダル、金メダルはオリンピック史上で一つというスポーツのレベルは今一のこの地において、国際試合を目の当たりに出来る希少な機会マカビヤ。

私がプレーしているソフトボールもイスラエル国内ではほとんど知られることなく、アメリカ出身者と私くらいが熱中しているのだけど、マカビヤとなるとアメリカからもベネズエラからも代表チームが来るので、曲がりなりにも一時的に「国際的」なスポーツになる。

新聞の説明では、WBCでも対戦した米国とベネズエラが対戦!とあったので、「ちょっくら見に行ってみるかな」と思っていた矢先、な、なんと「全日程中止」という衝撃ニュース。

イスラエルで使える球場は二つしかないのだが、そのうちの一つが観客収容手続きをしていなかったために球場の使用が出来ないというのが理由。私がプレーしているのもその球場なのだが、観客ったってスタンドに座れるのは頑張って40人、あとはフェンスの周りから首を伸ばしてみるしかない。それでもまあ万一ファールボールが当たったら、などという場合の責任問題などが生じるので手続きは必要とのこと、まあそうだろう。

同僚に言わせれば「なんとかなるさ」のイスラエル精神を反省するいい機会だよ。確かに日本じゃまずありえないだろうな、こんなこと。でも「なんとかなる」を貫き通して何とかなっちゃうのもここでのこと、各国の代表が来ている国際試合をどうまとめるのか注目しよう。

本日購入したばかりのAvishai Cohenのニューアルバム「AURORA」を聞きながらの更新。
公式サイトはこちら、ジャケットは↓
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先日のNew School立ち上げコンサートで、船長と別のベーシスト(My Spaceで視聴)に一目ぼれして、さっそく昨日彼も含めたトリオのライブにいってきたけど、かっこよさはかなりいいけど「同じ楽器とは思えないくらい音が違う」という感触が耳に残ってしまって、Avishai Cohenのあの音を猛烈に欲したのと、そのニューアルバム引っさげたAvishaiのライブがテルアビブで31日にあるので、もう絶対にそこに行こう、そのためにはその前に耳を鳴らそう!ということで。CD聞きながらこのライブを想像すると、、、もう我慢できないです。

一部はこちらで聴けるようです。→聴いてみる。

ブックフェア開催

北部ののどかなキブツ、南部の砂漠に囲まれた町、そして足どり軽いテルアビブ。イスラエルで過ごす生活空間としては三箇所目で、どこもほとんど全くと言っていいほど別の顔を持っているのだけど、共通していいなと思うのはこの半年あまり晴れの日が続く乾季。スコーンと抜けたような青空に深い青色をした地中海、もうそれだけで充分!

歩く人達の服装が最近一気に軽くなり、Tシャツに短パン、ワンピース、足はもちろんサンダル、と夏の到来を目で実感。そんな上昇ムードの中で、ヘブライ語ブックフェアという本のお祭が始まった。テルアビブでは市役所前の大広場に出版社がブースを出してジャンジャカ売り出すのだが、昨年は物件巡りのために乗った不動産屋の車から眺めていたことを思い出す。あの頃は実際以上に遠くに見えたお祭ムードの空間も、今では通勤路となって軽く覗いてみる。と、すぐ近くのカフェの店員が「アイスカフェの試食だよ」と小さな紙コップを配っているので一つもらう。立ち止まって周りを見るとかなりの人が集まってきている。オレンジがかった空を背景に、屋外に並べられた本を手にとるのはとても気持ちがよさそうだ、全部読めそうな気もしてくる。

そんなブックフェアの開催を記念して、ハアレツという結構インテリの人達が読むとされている三大紙の一つの新聞では、記者に代わって売れっ子イスラエル人作家が政治も社会もそして天気予報までを書くという粋な演出がされた。特定のページだけではなくて、フロントページから何から何まで。天気予報を作家がどうやって書くんだ?とめくると、詩人が「夏」という詩を書いている、や~粋だ。

我らがエトガー・ケレット(参照:村上春樹!)が一日編集長ということで国防相に直撃インタビュー、というのが一面を飾っている。 読んでみる

大物デヴィット・グロスマンも麻薬常習少年の厚生施設を訪問した時の様子を、これまた読ませる。読んでみる


いずれも目の前の人物やその口から発せられる言葉に可能な限り接近しようとする力なのだろうか、新聞の役割である情報よりも、その情報を伝える文体が織り成す物語性にグイグイひかれる。

その勢いで、連続更新!

一年が経過したんだな

俳句コンテストは本日10日で終了ですので投票まだの方は是非ぜひ。

赴任して1年が経過したものの、赴任当初最初の二ヶ月くらいはアパート探しで身も心も縛られていたので、本当に新たな地で生活を始めたなと実感し始めたのはこのアパートに引っ越して以降。その引越しからも一年が経ちそうで、改めてアパートの契約を結んだ。

日本では甲と乙が順番に出てくるあの借家契約書を一字一句読むことなどなく、「ここに署名を」と言われたとおりにスラスラと名前を書くだけなのだが、ここでは一字一句をめぐり、時にギリギリとすり合わせながら契約書を作成していくので本当にエネルギーが求められる。ちょっと大げさかもしれないけど、身も心もすり減らす、そんな思いをするのがこのアパート契約。だと少なくとも私たち夫婦は本当に身をもって経験をしているので、今のこのお気に入りのアパートに住み続けるためにも、去年大家と作り上げたあの契約書の内容で居住期間だけ延長したい、とただその一心で大家に連絡した。

「お前達がここにいる限りずっといていいぞ」と期待以上の返事に家族で大喜び。家賃も据え置き!「居住期間を明記した追加事項を用意しているから火曜日夕方に来てサインしな」と言われて事務所へ。ベルを鳴らしながら、急に一年前にサインをしに来た時のことを鮮明に思い出してドキドキとしてきた。期間延長だけと言っても、契約書にサインをするという緊張感は変わらない。サインをしてしまったらもうお終い、あとにも先にも引けない。「ほら、ここに書いてあるじゃないか」と実は大変な内容を見落としてしまったんではないか、と考えれば考えるほど不安になる瞬間があったが、大家とその後築いてきた信頼関係を思い出して、「よし!」とサイン。その瞬間、めでたく残りの期間もここに住むことができるという安心感がジワジワと広がってきた。

一年前と自分は何も変わってないけど、ここでしっかりと地に足着いた生活を送るようになった家族としての成長はかなり大きなものがある。小さな家族の大きな成長をした一年だったのだな、と振り返るとジンワリと強いものを感じた署名だった。

テルアビブ大学学生による俳句コンテスト

もう一年か~、としみじみ感じながらテルアビブ大学俳句コンテストのお知らせです。
http://www.taujapanese.com/haiku/

その情景を想像しながらウフフと笑えるものもあれば、あれ、こんなの去年もなかったかな熊が登場するの、となかなか味があります。

マスク

先日少しだけ一時帰国をした。第一に成田に到着するやマスクをしている人たちが普通になっている光景に驚いた。イスラエルは随分早い段階から新型インフルエンザ感染者が確認され、しかも、この国土の狭さ(ほぼ四国)と人口(ほぼ700万強)からすれば7人というのは日本の比ではなくかなり多いと思うけど、マスクをする人など見かけない。そもそも、日本だと風邪をひけばマスク、花粉が飛べばマスクなわけで、日頃からマスクに対するハードルが絶対的に低いから、マスク一つでは比較は出来ないだろうけど、何だかマスクなしだと危険に晒されているような変なプレッシャーが成田にあることは間違いないと思う。

そういえば、こちらの新聞では、まだ日本が感染国ではないにもかかわらず、新型インフルエンザの記事を飾る写真として、成田に到着した乗客全員がマスクをしている日本の写真が使われていた。確かにあんな光景は世界でもきっと珍しいんだろうと思う。情報伝達手段としては不適切だけど、確かにフォトジェニックではある。こっちでは、感染者が「バリバリ元気だぜ!」と顔写真つきで新聞に出るし、さっさと退院するし、あっさりしたものだ。

イスラエルへの入国の際、パスポートコントロールのブースの下に「過去7日間にメキシコに行った人は申告してください」ときっと発生直後に出したんだろうな、という張り紙があったけど、新型インフルエンザのためにいつもと違うなと思うのはそれくらいだった。入国審査員はだれもマスクなどせずスタンプを押していたし、全くいつもどおり。いったいあのマスク騒動は何だったんだろうか?と思いながら久しぶりにのんびり週末。

イスラエルと日本の大型連休

イスラエルに来て一年が経とうとしている。「お~、久しぶり!」とイスラエル人の旧友や知人に何年ぶりかにテルアビブの街のど真ん中でバッタリ会うことが一ヶ月に一度はあるんだけど、なぜか日本人に会ったことはない。が、ようやく今日初めて目にした。遠くからでも、お、なんかちょっといつもとは違うアジア人だな、人と人の距離のとり方も、お互いの話し方なんかからもピピンと感じるな、と思った通り、近くに「○○トラベル、聖地巡礼の旅」と書いてあるミニバスを発見!「あ~、ゴールデンウィークだからか!」と思わず膝をたたいた。

こちらイスラエルは4月8日の過ぎ越し祭から29日の独立記念までの怒涛のお祭続きだったので完全に「連休後」のムード、改めて5月5日という日付にそうか、と何だか遠いことのように思う。ネット時代の今では距離感覚がつかみにくいことが多々あるけれども、共有する時間がズレていると実感すると妙に遠く感じるものだ。プロ野球の結果も、豚インフルエンザの感染者数も、数値的な情報はほぼライブで更新して共有できるけど、数字にはなりえない呼吸と同時に分かり合うものは遠くにいるとやっぱり分からないものだ。WBCの結果は知っていても、僕はその興奮をまだ感じることができていない。友人が全ての試合を録画したビデオを送ってくれたのでこれから見るのが楽しみだ。

さて、僕はかれこれ長いことイスラエルには関係しているけど、娘が幼稚園で習ってくる歌なんかはこれまで全く触れる機会がなかったのでとても新鮮。昨日などは「あおとしろ~、わたしのはた♪」とヘブライ語で口ずさんでいてドキリとした。

イスラエルは独立記念に向けて、もうこれでもか!という位の国旗をあちこちに掲げる。学校やバス、会社、そういう「おおやけ」の場所ならまだしも、マイカーやアパートのベランダなど「こじん」の場所に掲げる様子はいつ見ても驚くし、日本で長く生活したものの感覚にはどうしても馴染まない。1993年に私が最初に体験した独立記念の頃は、イスラエルとアメリカ二つの旗を車にたなびかせて走るのがやけに多かったことを記憶しているけど、数そのものは今もあの時も多かった。

娘の幼稚園の中にも「当然」国旗がいくつも掲げられていて、二本の線と星はお絵かきの題材にもなっているし、着ていく服も青と白、否が応でも身近なものになるのだ。そして、歌。私の旗は青と白なのだ。「私たち」と「わたし」が巧みに絡み合う瞬間、そんな独立記念日が4月29日、今も名残惜しむようにあちこちに青と白がはためいている。

娘の「あおとしろ、わたしのはた」の写真は船長ブログ

おおサッソン!

レンタルビデオは高い!と書いたっきりにしていたのだけど、
その時にもらった映画招待券で見た映画Welcome to the north(ヘブライ語からの私独断の英訳)が最高だった。
詳しくは船長ブログ。本当におかしくて、ほろりとして、最高だった。
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さてさて、以下もすでに船長ブログでは触れているのだけど、僕の視点から。
フリーだった一昨年の最大の思い出の仕事は「迷子の警察音楽隊」。思い出の記事1記事2
その主人公を演じ、イスラエルの高倉健と言ってもよいだろう、大俳優サッソン・ガーバイ氏の舞台を見に行った。
彼は映画でも活躍しているが、「僕は舞台がメイン、是非一度見に来てくれよ」
と言うように舞台での活躍が素晴らしく、新聞でも時々彼の名前を見る、全て舞台関係の記事で。

イスラエルの演劇文化、と言うものを何となく聞いてはいたが、こんなにすごいとは正直予想以上で驚いた。その会場と観客のムードが、何だろう、日本で言うところの、う~ん、当てはまるものがちょっと見つからないのだけど、一番近いといえば、小学生の頃の思い出として映像が頭の中に残っている、くじ引きで商品が当たるというお祭のお楽しみ会があった公民館。おじいさん、おばあさんから、中学生までが、何かを楽しみにわっと集まってちょっとムンムンしている感じ。

チケット売り場の周辺では「パンフレット、10シケル(約250円)」と
その舞台のパンフレットが売られていたのだが、それが真っ先に目に飛び込んできた。
イスラエルでは映画パンフレットというものを見たことない(Mr33によれば映画パンフレットというのは日本独特の文化らしい)のに、舞台劇ではパンフがあるのか!とそれに驚いた。

会場は400人くらいだろうか、二階席まであるのにほぼ満席。その日は(おそらく)中学生がクラス全員で来ていたので会場全体がすぐにでも反応したい軽さがあったという特別なものだったのかもしれないけど、とにかく笑いの場面では会場中がドッと笑い、ツボにはまると大拍手という舞台と観客の距離が近いことが、「ああ、娯楽、極楽」とたのしかった。

カーテンコールでは、やはり大俳優サッソン氏に、割れんばかりの拍手が送られた。
彼はこの地で本当に愛されているのだな、ということがじんわり伝わってきた場面でもあった。

そして、舞台が終わって会場の外で立っているサッソン氏に、「最高だったぞ!」「素晴らしい演技ありがとう!」「あの、一言言いたいと思って。さっきの舞台すばらしかったわ」とその大俳優に気楽に話しかけに来る人々に対して、「ありがとう」と謙虚に対応するサッソン氏。

そんな気取らない姿勢に改めて感嘆したのだが、何より、舞台を終えたサッソン氏を自家用車で迎えに来て、会場前の普通の駐車場で待っていた奥さんの姿に、船長と二人で感動したいい夜だった。
もう10日位前なんだけど、本当にいいものを見たな~、と感動したので。

テルアビブでレンタルDVDデビュー!

かなり期待が大きかっただけに、イスラエル映画がアカデミー賞の外国語映画部門の受賞を逃した、というニュースは「失望」という表現を第一に、「日本の前に破れる」などの惜敗ムード一杯の記事が翌日の新聞を覆った。それにあわせて、というわけではないだろうが、「戦場でワルツを」のDVDが販売となって、これからは劇場からお茶の間へと鑑賞空間は移動していく。が、あの映画はやっぱり劇場で見たい。日本の皆様、是非。

さて、最近近所のレンタルDVD屋で借りる楽しみを味わっている。テルアビブの中でも、映画館併設で、ジャズCDの品揃えもいいと評判の「The third eye」、我が家では「第三の耳」。なんか、ツーな感じがする、第三というところが。

「イラン映画」コーナーは当然のことながら、「パラダイス・ナウ」などの「パレスチナ映画」コーナーもしっかりあるではないか、と一人ちょっと胸高まる。イスラエル映画もかなりの品揃え。フランス映画になると何段もの棚を占めている、とにかくすごい。ちなみに邦画もあるが、聞いたことないような作品から、宮崎駿シリーズ、北野武と抑えるべきところはしっかり抑えられている。時に、「お、Always三丁目なんてのもあるのか」とパッケージを抜くと、タイ語で解説が書いてあったり、旅行ついでにスタッフが品揃えを増やそうとしている地道な努力のあとを感じたりもする。

まずは必要に迫られてイスラエル映画を数本借りることに。何度か見た「シリアの花嫁」と、同じ監督の最新作品で「レモンツリー」など。監督ごとに並んでいるので選びやすい。分からなければスタッフに聞けばすぐに「あれは、この辺だったな」とすばやく出してくれる、かなり便利だ。

レンタルビデオのレジってどこも似たような雰囲気だな~、と4台くらいレジがあって、後方のLCDで映画が流れていて、返却されたDVDを整理するスタッフが机の端っこにいて、いかにもバイトのスタッフが入会案内がおいてあるレジで借りる人を待っている。

まず、イスラエルでDVDを借りるのは初めてなのでいくらくらいなんだろうか、と聞くと。一枚25シケル(750円)!映画館が普通に見ると35シケルだけど、我が家回数券を買っているので一回あたり23シケル。映画館より高いではないか!

と、そのまま払ってはここで生きてはいけない。映画も、コンサートも、劇場も、バスだって何だって、回数券とか、メンバー特典の値段は通常価格よりグーンと安い。その方法を早速聞く。「マヌーイある?」と聞くことは、「どんなお得な値段やオマケがあるんだろう?」という期待もワクワクさせてくれて私は結構好きだ。「回数券があって、三枚だと○○で、10枚だと、、、」と説明書を見ながら数字をどんどん羅列させて紹介される、最大は100枚まで。見たところ、50枚回数券というのを買うと、15枚分がサービスでついてきて、一枚辺り16シケルだからかなりお得。さらに、3泊のところ4泊まで借りらられる、というのが最も割引率としてはいいので、それにする。回数券も、枚数と借りる日数の両方を選ばなければならないのだが、一泊というのは慌しいし、一週間は長すぎるて返すの忘れそうだ、3泊というのが、見るぞ!と思って借りながらも急に見れなくなる事態にも対応できるしちょうどいい。

回数券でお値段お得!とは言っても、レンタルDVD50枚+15枚で約800シケル、2万円を越えるのだから決して安くはない。
のに、お店には結構な人が入っているから驚く。

映画鑑賞の感想は、いいです、いいです。現在ちょっと原稿を書いているのでそれが完成したら鑑賞感などを書くとして、テルアビブでのレンタルDVD生活デビュー!を記念して。

村上春樹!その2

の前に、昨日「古希野球」の投稿にコメントが入った。70歳になれないと入れない古希野球。このブログでも何度も書いたけど(参考)、とにかくこの同じ時間軸にある同じ世界とは思えないプレーを目の前にして、人生観が変わった衝撃を得たあの夏のことを久しぶりに思い出した。一度ご覧ください。(クリック)
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さて、感動が冷める前に。もう少し村上春樹氏がイスラエルに来たという話。
彼が舞台に上ると、それまでの大統領やエルサレム市長が続けてきたスピーチの時にはなかった厳かな雰囲気がピーンと張り詰めた。司会者は「スピーチ中は撮影を控えるように、それが受賞者本人からの願いです」と言うと、それまでこぞってレンズを向けていた大勢のカメラマンがサーっと会場の周辺に広がった(にもかかわらず、スピーチ時の写真が新聞やテレビに出ていますね、ルール違反です)。舞台は整った、そこに一人、自分の居場所を探しながら舞台に立つ村上春樹氏。舞台後方に視線を向けて、「始めていい?」とでも聞いたような、とにかくそうした表舞台が本当に苦手なんだな、という姿のままスピーチが始まった。

「Good Evening」私はこの小さく、そしてちょっと聞き取りにくいような、自信がないような出だしに、よく聞くスピーチとは違う、これがおそらく作家という職業のスピーチなのか、という新しさを感じつつ惹かれていった。そして「僕は小説家としてエルサレムにやってきた」という始まり。この始まりの二文だけで、小説家の、村上春樹の世界が会場を占めた。正直前半部分はなかなか聞き取りにくく、会場の前の方からは結構笑いが聞こえたのだが、半分より後ろにいた私たちの周りはちょっと反応が鈍かった。しばらくして、「今日は”本当のこと”を話します」という一言から、スピーチがある転換に入り、この場に至るまでの出来事、考え、相談、決断、そして主題である「壁と卵」と盛り上がっていくと、村上春樹氏の声も大きく、はきはき、そして私達に語るというエネルギーが伝わってきて、一言ずつが耳に入るようになった。その時すでにその舞台に立つ村上春樹氏は堂々としていた。

私は途中の「You are the biggest reason why I am here」という一言が強烈に耳にささり(なぜか私が見た英文には掲載されていない)、その瞬間、自分と村上春樹とエルサレムとが一直線ではないものの不思議な関係でつながったような錯覚に陥り、そのまま不思議な酔ったような気分のままスピーチの最後まで陶酔することになった。しかし、翌日の日本語の新聞で「ガザ攻撃を批判」といった類の、いかにも村上春樹がエルサレムの大舞台で政治批判をした、というような語調の記事には、さすがにひっくり返りそうになった。

いくらファンとして酔って聞いていたとはいえ、さすがにそれは違うんじゃないかと思えてならない。「卵と壁」は、個人対イスラエル、個人対軍隊などという小さな比喩でないことはその場で聞いている者には明らかだった。「壁」は日本という国家でも、また日本の中にもあるものであって、何もこの地の個別な内容ではないだろう。それが作家と政治家のスピーチの大きな違いなんだと思う。

「卵と壁」は、村上春樹という一個人の中身をさらけ出しながら、限りなく普遍性と向き合ったメッセージであるということは会場にもしっかり伝わっていたんだろうし、だからこそ、スピーチが終わった直後、スタンディングオベーションでしばらく拍手がやまなかった。私は、自分の個としての部分を見失いかけていたという一種の恐ろしい発見と、10年以上個別事象ばかりに目を奪われ、軽視していた普遍性というものの力を強く感じたスピーチだった。

何も、イスラエルを批判するためにわざわざエルサレムにまで来たのではないのであろうし、日本人代表としてきたわけでもないであろう。「僕は作家としてエルサレムにやってきた」という始まりの一言から、その舞台は村上春樹氏という個人のものとなっていた。「反対運動があったがエルサレムに来て批判した」といった筋書き、また、「イスラエルに言いたいことを自分の代わりに村上春樹が代弁してくれた」というヒーロー像を投影したような論調は、村上春樹という個人を無視した、または利用した政治的発想にしか過ぎないんじゃないかと私には思えてならない。

ちなみに、イスラエルではもっと露骨に政治批判をすることが日常的にありなので、今回のような比喩を伴った作家のスピーチでは政治批判とは読み取られない。翌朝「イスラエルを批判」と報じた新聞は一つもなかった。ハアレツは「なぜ僕は卵の側にいるのか」という大見出しの下に、ヘブライ語全文訳を掲載していた。

とにかく、イスラエルは村上春樹フィーバー、そう言っていいだろう。ハアレツ紙は毎週水曜日に書評冊子を挟んでくれるのだが、今日の表紙は村上春樹だ。また、授賞式前日のある新聞は、見開きの単独インタビューを掲載していた。全文はまだこれからじっくり読みたいものの、村上春樹氏が「日本社会は僕を圧迫する、それはとても単一的で狭い社会だ。1億2千万人がまるで一人の人間。僕はそんな中で特殊だった,西側では個性や人格は当然のことであり、格闘する相手ではない」と述べた箇所が抜書きされている箇所が「何を言ったんだ?」と読者をそそる。

我が家でのフィーバーは徐々に落ち着いてきたが、それでもあの場にいた感動は様々なパワーを与えてくれる。ブログも久しぶりに三日連続で書けた。船長とは「あ~村上春樹が読みたい!」と空に向かって叫びたい気分がどんどん高まっている。本当に来てたんだな~。

村上春樹!

村上春樹がエルサレム賞という世界の文芸賞でもトップクラスの賞を受賞し、15日にその授賞式があった。

受賞のニュースを耳にした時、めったに公の場に出ないといわれている村上春樹氏だけにきっと本人不在で授賞式なんだろうと思っていた。報道でも、また審査員の一人で昨年、映画「ジェリーフィッシュ」のインタビューで一緒に仕事をしたエトガー・ケレット氏も「来るよ」と当たり前の返答だったけど、いや~そんなに簡単にヒョコヒョコと、しかもこんなところまで来ないだろう、と思っていた。

イスラエルで村上春樹ファンとして待っている者、という立場からすると「本当に来るのか、来てくれるのか」とハラハラしする時間はとても長く感じられた。先週木曜日辺りから、各紙「圧力がある中で、村上春樹氏来イ」と報じていたので、ああ、この地に来るんだな、ということがようやく信じられるムードが漂い始めたが、ずっと我が家では半信半疑だった。

来イの報道が出た辺りから、船長と、村上春樹がイスラエルに来るなんてすごいよな、と共にファンである我が家二人は少し胸をときめかせた。ああ、本当に来るんだ、と。

そして金曜日。審査員のエトガー・ケレットから「俺と一緒だったら受賞式に入れるっていうんだけど、どう。ただ、エルサレムまで行かなければいけないんだけど」と電話が。「エルサレムだろうがどこだろうが、仕事休んででも行くよ、行く」とすぐに返事をして、すぐに船長に「授賞式に行ける!」と伝えた。「あ~、まさか行けるとはね~」と気分高まる胸ドキドキの週末を過ごした。

当日、エルサレムへの道中。暖冬のイスラエルでは2月の半ばだというのに春の花の一つのアーモンドが開花して、その淡いピンクは、村上春樹、そして私達を歓迎しているように輝いている。エルサレム市内に近づくと「エルサレムブックフェアー!」という看板があちこちに掲げられてある。「エルサレム賞」はこのブックフェアーの開会式での目玉なのだ。

会場直前に差し掛かったときに、エトガー・ケレットから電話で「チケットがあるわけじゃなくて一緒に会場入らないといけないから、落ち合わないと。今、歓迎レセプションで303の部屋にいるからそこで会おう」と連絡があった。「歓迎レセプションだってよ、もしかしたらそこに村上春樹がいるんじゃない?」と船長に発すると、うわ、村上春樹氏に会えるかもしれない!という、小学生の頃に巨人軍の練習を見に行く時に感じた、あの新鮮な胸の高まりがグワ~、っとやってきて、そわそわして、足がふわふわしてきた。

会場に入り、「303、303」と探すもそれらしきものが見当たらず、「歓迎レセプションは?」と聞くと、あっちの右手、というので足早に歩いていくと、わしゃわしゃと人だかりがあって、その奥に部屋が見えた。「あ、ここだな」ピンと来て中をのぞくと、「うわ~、む・ら・か・み・は・る・き」とその後姿が目に飛び込んできた。船長に「ここ、ここ、ほらほら」と、大好きな作家が目の前にいるというのに言葉という言葉が出てこない。何とか平常心を保とうとするも、その会場の雰囲気も異様に高ぶっていて、「ほら、この人たち日本からのファンよ、おっかけよ」と興奮する私たちの姿を、この「村上春樹がイスラエルに来た」という歴史的瞬間の一コマとして歓迎しているようにさえ感じられ、どんどんとボルテージが高まってきた。その周辺にいられるのは、イスラエル人作家や文化人、なのだが、その一種独特の高揚した雰囲気は、「作家」や「文化人」という立場をとりさらい、無邪気な村上春樹読者にさせてしまっていた。

気がつくと船長、そして共に会場に行ったもう一人の村上春樹大ファンが村上春樹と話をしているではないか!な、なんということに、大変なことになった、と私の足も自然と近づいていく。そのすぐ隣に知り合いのイスラエル人日本研究者(彼女も村上春樹をヘブライ語に翻訳している)がいたが、最小限の「ハイ!」だけをして、体は村上春樹の方向に。

目の前には村上春樹。あ~この人が。と、何から話をしようか。そんな人生の中できっともうないであろう瞬間なのに、「いつ到着されたのですか?」あ~、なんでそんな質問からするんだ、と自分を責めても時すでに遅し。「う~ん、いつだったかな?」と天井を見上げて、「三日前かな?」。それだけの言葉から、謙虚、シャイ、そうした類の言葉がいっぱい交錯した感じの雰囲気、オーラが出ていて、そのワールドにグググとひきつけられた。「どうですか、イスラエルの印象は?」これまた、もう聞き飽きたであろうことを聞いてしまう、もう平常心ではいられない。「う~ん、いやね~、いろいろ大変でね~」、と、ああ、やっぱりここに来るまで大変だったんだな、ということがヒシヒシと伝わってきた。「とにかく何も知らないで、こんなに僕の本が読まれているとも知らなくて、びっくりしたんですよ」と、ここでの村上春樹ブームに本人は本当に驚かれていて、船長と二人「そうなんですよ、日本から来たというと村上春樹読んだか?とかなりの人に聞かれるんです」、おそらくそういうことを口にしつつ、いかに村上春樹がここで読まれていて、この受賞がタイミングばっちりか、とにかくすごいのか、といことを必死に伝えようとした。

今から振り返ると、どうやって会話が終わってどうやってその場を離れたのかよく覚えていない。しかし、村上春樹、というこれまで知っていた作家という枠からすこしだけ、その、その人そのものに近づいて、そして今まで以上に村上春樹が大好きになった。この、目の前に焼きついている姿、話し方、声、そうした生の姿を思い浮かべながら、また作品を読んでみたいと強烈に思うようになった。ああ、あの人がこの文章を書いたのか、と思いながら。

さて、授賞式。これについてはまた別便で出すことにするけど、とにかく最初から最後まで異様な興奮に包まれた雰囲気で、司会者が「Haruki,Murakami」と今回の受賞者を紹介するだけで、会場から拍手が沸き起こった。そして、村上春樹の15分に亘るスピーチが終わった直後は、スタンディングオベーション。ちなみに、報道にあるような単にイスラエル批判ではない。イスラエルの新聞でも、まったくそんな風には報じられてない。作家として、個人と体制というものの関係を話したのだが、私などは、一人の個人としてこの大きくなってしまった社会のなかで、また共に生きる、ということを考えさせられたのだが、そういう個人にふりかえって考えた会場の人は少なくないと思う。そういう、作家としての、また、今イスラエルででも読まれている、普遍性、に直接触れることの感激や興奮があった。
イスラエルでは村上春樹フィーバーと言っていいくらいに人気があり、新聞にはスピーチ全文掲載されたり、ある新聞では、日本ではありえない、独占インタビューを大々的に掲載するなど、とにかく大歓迎というムード。
村上春樹がイスラエルに来た!何て歴史的!というのは日本人読者だけではなくイスラエル全体でもしっかり認識されている。

う~ん、船長と村上春樹との対面に酔っているような状態がまだ続いているのだが、とにかくこの歓迎振りは素晴らしく、審査員も言っていたように容易な満場一致となるこの村上人気のタイミングでの彼の受賞は文句なし、そしてよく来てくれた!と盛り上がっている我が家です。
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