漂流博士

仕事は仕事、人生は違うところにある。

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漂流博士のみた「ぶつかりげいこ」

時津風部屋の力士死亡事件で最近よくメディアで語られる相撲の「ぶつかりげいこ」について一言。このブログは社会情勢や国政を分析するニュースブログではないので、基本的にそうした話題に触れるつもりはない。しかし、表題の件についてはどうもメディアによって「ぶつかりげいこ」が"創られている"(ホブズボウム『創られた伝統』に感染してます)という気がしてならないのだが、これは日本における中東の語り方や人類学における"異文化"理解にも私の中ではつながっているので漂流博士でもコメントさせていただきたい。

今回の事件は6月に現役力士死亡というニュースが入った直後から、力士の出身地から身近なニュースとして随分気にはなっていた。ただ、このような展開になるとは全く想像していなかった。暴行によって力士が亡くなるようなことは断固あってはならない、ということは当然のことながら、亡くなった斎藤さん、また残された親族のことを思う"つらさ"もそれ以降随分変わったことは私自身はっきり自覚している。

その上でコメントしたいのだが、まず、「ぶつかりげいこ」はだれでも稽古を見に行けば目にすることができることであって、相撲関係者だけが知っている密室のできごとではないと言うこと。元力士や元相撲関係者に聞くまでもなく、相撲部屋の稽古を見たことのある人であればだれでも"証言"はできる。そういう私も「ぶつかりげいこ」を見たことがある。

といっても、私が目にした「ぶつかりげいこ」は三年前であり、それが最初で最後の一回ということは一応触れておきたい。2004年5月に相撲を取材したいというイスラエルのテレビ局のアテンドをして佐渡ヶ嶽部屋へ出かけていったのだが、カメラを含めた取材機器も一式持ち込んでの撮影であった。また、私の不勉強を晒すようで恥ずかしいのだが、当時「ぶつかりげいこ」という言葉は知らなかったので、目の前で起こるすざまじい稽古を"ものすごい稽古"という小学生の感想文のような表現でしか理解しえなかった。つまり、振り返ると「ぶつかりげいこ」を見ていたのか、というのが私の認識である。

一人の力士がぶつかっても投げられ、ぶつかっても投げられ、時に顔面に拳を食らう場面を見て、同行したイスラエル人の女性キャスターは何度も顔を背けた。相撲の稽古は厳しいとは聞いていた私も、その厳しさの想像を絶する光景を目にして表現する言葉が見つからないほどだった。しかし、どのスポーツにも厳しい練習や稽古があり、相撲はあの巨体がぶつかるそれこそ想像を絶する競技であるのだから、あれくらいの稽古をしなければ体が持たないのだろう、という理解をその時もしたし、今もそう信じて疑いがない。

その「ぶつかりげいこ」をバックに同女性キャスターが急遽コメントすることになったのだが、"相撲のすざまじい稽古"、"私たちには想像もできない稽古"といった内容のコメントが全てであったことを私は記憶している。もしも、今、日本のテレビカメラが入ってコメントするとしたら、「暴力」や「暴行」探しで忙しいのだろうが、そうした表現に束縛されていなかった当時は、相撲の稽古、として受け入れられたし、その様にして視聴者にも伝わっていたのだろうと思う。ちなみに、その画面の向こうには当時十両に上がったばかりのまだ細身の琴欧州が映っているのであり、むしろそちらに「お宝映像」的な価値が見出される取材であった。

「ぶつかりげいこ」の後、白いまわしをつけた関取衆が土俵に上がったのだが、私はその美しさにうっとりした。肉と肉があたる音を美しいという表現しか持ち得ないのがもどかしい程、それは美しかった。特に、シルエットに浮かんだ琴龍の肉体美、そして琴光喜のしなり、スピードにプロのアスリートのすごさを見て、私は釘付けになった。そして、「ぶつかりげいこ」を乗り越えて体を強くして、精神を強くして、そうして上り詰めた関取だからこそ、その「美しさ」が表現できるものだとその時納得したし、今でもそれは変わらない。

稽古が終わった後土俵を清めていたのは「ぶつかりげいこ」でガンガン投げられていた若手力士であって、そこにはすっきりした表情があった。野球やスピードスケートの辛い練習を経験している私には、おそらくそうした練習後の充実感や爽快感を遥かに超えるものが相撲の稽古にはあるんだろう、と自分には到底真似のできないことを目指している彼らを尊敬の眼差しで見つめたことをよく覚えている。

以上が私のみた「ぶつかりげいこ」なのだが、私は日ごろから相撲を取材している相撲記者の方々が、現在の「暴力」から開放された「ぶつかりげいこ」についてもっとコメントすべきであろうと思う。相撲もスポーツも分からないようなコメンテーターやキャスターが騒ぐ必要も、また「元」関係者にマイクを向ける必要も全くないことであろう。「暴力」に束縛されているのもメディアであれば、相撲人気を復活させることができるのもメディアであると私は思う。

行き過ぎの暴力は決して許されるものではない。しかし、100キロ以上の体がぶつかり合う相撲は、私たちの普通の想像を絶する競技であって、想像を絶する稽古を乗り越えた者だけが成れるプロの競技であることを忘れてはならないであろう。

相撲ファンは、またメディアも、相撲でしか見れないすごさを力士に求めている。現役力士の皆様には、外野の声を気にすることなく、プロ意識を大切にして、これまでどおりガンガンとぶつかりげいこも含めて稽古に励んで欲しいと願うのである。
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