漂流博士

仕事は仕事、人生は違うところにある。

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出来損ない息子との再会:校正

週末、数ヶ月前に仕上げた『エチオピアのユダヤ人』(明石書店)の書評の校正用ゲラが送られてきたのだが、あまりのできの悪さに目を覆いたくなった。といっても、それ、私が書いた自分の原稿である。「お前よ、こんなにも出来が悪かったのか」と思わず両手でつかんで見つめてしまったが、活字として世に出る前に少しでも磨いてあげたい、そんな思いで赤を入れた。

何が悪いって、文が長い。私は、少し前にも告白したが読むことが苦手なので(参照:漂流博士「いい本の基準」、長い文になるとお手上げである。できるだけ短い文、「○○はXXである」位のスパッ、スパッという文が好き、というか、それくらい短くないとすぐに迷子になってついていけなくなるのだ。長い文を読む人の辛さが分かるので、自分が書くときにもなるべく文を短くするよう心がける。それなのに、数ヶ月前に書いた書評は、何だこのざまは、と自分に吐き出したくなるくらいタラタラと長い。

私の場合、文が長いということは迷いの表れである。読み進むと確かに迷っている。迷っていると文が長くなるだけではなく、段落の展開もつながりがなく危なっかしい。途中いくつかスパッという明るい箇所はあるのだが、それまでの流れが悪い。ここは相当強引にいったな、と数ヶ月前の自分を振り返るのは正直あまり気分のいいものではない。

最大限かつ編集者の方に迷惑のかからない最小限の範囲で赤を入れ、もう一度見送る程度にまで少し成長させることができた。今回再校はしないので、この次に目にするのは活字になった後、もう完全に一人立ちしてしまった後である。

数ヵ月後に出会うこの書評は、今の私。その時に「相変わらず出来損ないだな」と思うかと想像すると辛い反面、「いい出来だな」と思ってしまうのもちょっと怖いな、と。
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