漂流博士

仕事は仕事、人生は違うところにある。

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AERAへちょっと補足

昨日AERAの記事を目にした。本当に目にした程度なので、細かいコメントは別の機会にして、「漂流博士」としてのコメントに一つ補足。

「院に何となく進んだ世代が多い」というのは実際に院の定員が増えたことと、私の周囲の行動を見ての印象で、どれだけが「何となく」なのか統計的なものがあるわけではない。身近な例として、部活の同期が10人いて、5人が就職、院に進んだのが半分の5人で、それも全員文系だった。うち3人は最初から進学を希望していたのに対し、私を含め二人は就職試験を受けてダメだったことが分かってから進学にシフトした。

ちなみに、最初の三人はその後も早めにPh.D.を取得して、現在海外でのポスドクを含め、全員定職に就いている。残り二人のうち、もう一人は修士を取って就職、その後もMBA留学するなど修士で就職時期を待った分ステップアップしている。となると、身近なところで「何となく」は私一人で、博士の就職問題もほとんど真犯人発見みたいな気恥ずかしささえある。

そんな乏しい"統計"にもかかわらず、他の見ず知らずの人たちまで巻き添えにして世代などと思い切った社会の輪切りをしたのは、私が大学卒業した1996年がいわゆる"失われた10年"の入口で、就職試験を受けたところで受かる見込みがかなり限られていたことと、その一方で院の定員が随分と増えて進学の窓口が増えた、という当時の状況を考えると、博士の問題は就職超氷河期と結構密接に絡まっている、と言えるような気がしてならないからだ。

博士が就職できないという問題を議論する時には、どうも当人達の視点が欠けていて、こんな社会背景を踏まえた中での博士自身が選択した過程も実は考慮しなければいけないのでは、と思って発言していることをここで補足させていただきたい。

「就職口がなかったことが問題だ」ということを言いたいのではなく、そうしたいろいろな背景の中で進学したり、そのまま博士を目指している人達がいる、というその過程の多様性を見ることは何においても重要であろう。

私もかつて就職口が見えず、アカデミックというものに希望も見えずに一度博士号取得を諦めたのだが、今回「諦めなかった博士」として登場しているのは正直嬉しい。
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