漂流博士

仕事は仕事、人生は違うところにある。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

映像と文字:中川牧三先生宅訪問取材

取材最終日の29日、イタリアオペラを日本に普及させた大先生、中川牧三先生のご自宅を訪問した。故河合隼雄氏との対談『101歳の人生をきく』(講談社、2004年)が出版され、100歳というイメージを覆す現役音楽家の姿が強烈に紹介されたのはまだ記憶に新しいが、この4月にもイタリア・ボローニャにある自宅に足を運ぶほど元気な音楽家である。中川先生はこの12月に105歳、長寿社会に向かう私たちに少しでも勇気を、という番組内容に理解していただきこの度取材が実現した。

実は今回の取材は一度諦めた経緯がある。初めて7月に連絡をした際、中川先生は5月に転倒して以降入院生活を送り8月に取材に応じられるか分からない、という娘さんからの説明もあり、リハビリの進み具合を見守る状況だった。そして、取材開始した8月22日、やはりその後もあまり体調は芳しくないので取材に応じられる状態ではなく申し訳ないが諦めて欲しい、との連絡を受けて取材陣も一様に理解した。しかしその二日後、せっかくイスラエルから来ているのだからできる限りは協力したい、と再びご連絡をいただき改めてご自宅へ訪問することになったのだ。

今回の取材に向けて、番組内容とは直接関係ないのだが、中川先生が第二次大戦中に上海でユダヤ人難民の人道的保護にかかわったという内容にも関心があった。杉原千畝氏はテレビドラマになるなど大戦中にユダヤ人を保護した人物として有名だが、その他の人々の活動についてはどうもはっきりしない。そこで、今も元気に生きていらっしゃる中川先生に直接当時の話を聞いてみたい、という思いも小さいながらあった。一世紀以上生きている方、古希野球でプレーする方々よりもさらに30年以上も生きているというのは想像もできなかったからだ。

取材当日、お昼過ぎに自宅に到着し慌しく部屋に入ると、シャンとした姿でソファに腰掛けている男性が目に入った。中川先生である。先日取材をさせていただいた日野原先生は本当にお元気だが、首の角度や腰の角度などから90歳を越えているという外見の年齢は否めない。しかし、中川先生は背筋もしゃんとして、顔立ちも本当にすっきりとしていて80歳位にしか見えないのだ、そのスッキリした様子にまずは驚いてしまった。

それでも、「これでも入院してから体重が10キロも落ちてしまって、その前はもっとしゃんとしていたんですけど」と娘の久仁子さんは入院以前のもっと元気だった頃の様子を語る。さらに、体重が落ちただけではなく、入院生活で体力も減退し、いくつか病気も患っており、ベッドから起き上がるのも入院してから今日が初めてだと聞き私は何とも恐縮した。目の前に一世紀以上の歴史を知っている中川先生が座り、お話をいただける、というだけで私は感激だった。

一方、リポーターはじめ取材陣はお話だけでは物足りず、何とかテレビ的に現役音楽家としての中川先生の様子を取材したいと翻弄していた。すぐ横にあったピアノを弾いて欲しい、座るだけでも、とリクエストは出るのだが、四ヶ月ぶりに初めて起き上がった中川先生にはソファから立ち上がるのも腰が痛み大きな負担だ。リポーターはいろいろ頭をひねって「オーソレミオ」を口ずさんだりするのだが、中川先生はニコニコ見ているだけで一緒に口を開くことはなかった。中川先生はイスラエルからのお客さんを向かえるということだけで大きな第一歩であったのだ。

結局ご自宅での取材は1時間、お話をうかがうことはできたが、現役音楽家としての映像は取材ができなかったというテレビ的なまとめで取材は終了した。

取材陣が家を出て機材を片付けている間、私は最後に中川先生としっかりと握手をしたのだが、その大きくツヤツヤした手を握っただけで理由もなく目頭が熱くなってしまった。ほんの一時間お話をしただけだが、104年生きるというのは私たちが言うほど先生にとってはスゴイことではないのかもしれない、と言うのが私の第一の感想だった。しかし、握った手からは想像も絶する生きた深い時間がジワジワと伝わってきて、そのまま私の全身に伝わってきて胸と目頭をキューっと押し付けてきた。そんな経験ができたこと、私は先生を目の前にお話できたこと、また最後に手を握れたことで満たされた思いで家を後にした。

取材陣は映像資料を集めている、しかもロケというのはその場、その瞬間での映像記録にこだわる。ピアノもなく、歌声もなく、座ってお話しする姿から現役音楽家は描きにくい、というのも仕事の性質上理解できなくもない。彼らはこれから今後の編集で頭を悩ませるのだろう、元気な現役音楽家を映像で描きたい、という当初の予定に照らし合わせながら。

私は調査に出かけると文字しかない、という限界を感じる。私の後ろからずっとビデオカメラを回すカメラマンを同行すれば何て簡単なんだろうか、と思うこともある。

しかし、今回の取材を通して、表現方法としての映像はやはり強いが、その資料の収集過程を見ると映像の完全勝利ではないよな、と改めて学ぶことが多かった。

取材陣や番組内容によって取材の過程はいろいろあるとは思うが、取材をするという意味ではカメラをどこに向けて何を撮るのか、ということと、何を見て何を聞いて何を書くのかということはいずれもある制限の中で行われている。カメラであってもペンであっても何か意味のあるものを最初から求めているのであって、その意味のないものは最初から除外される。カメラは限られたフレームでしかのぞくことができず、さらに録画を中止すればそれ以降何もない。ペンの場合も全てを書くなどということは不可能で、どこかにフレームを設定して、記録をするものとしないものに分けなければならない。ただ、ペンの場合には取材者がフレームを少しでも広げることができる。その可能性に改めて気づくと共に、ペンであっても文字を扱う能力によっていかようにも描くことができるという希望を胸に、まずは10月の学会での発表、そして論文発表を目指したいと思うのである。
スポンサーサイト
COMMENT
COMMENT FORM
NAME
TITLE
MAIL
URL
COMMENT
PASS 管理者にだけ表示
TRACKBACK
TB URL : http://hyoryudr.blog111.fc2.com/tb.php/44-5624e5c0
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。