漂流博士

仕事は仕事、人生は違うところにある。

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博士が就職できないという問題について(その2)

何が問題なのか?ということなのですが、かつて日本の文系(に限られると思いますが)の大学や研究機関では、制度的に博士号取得者を受け入れる器と道筋が無かった(違ったらご指摘下さい)ことを考えると、1990年代以降の院生倍増計画において博士号取得者を受け入れる器と道筋の整備が不充分、ということを指摘することが「問題」の取り上げ方として適切なのだろうか、と考えてしまいます。今後の日本における博士号取得者、そしてアカデミック界の進んでいく方向性を考えた時に、確かに受け入れる器と道筋が整備されることは期待します。しかし、それは政策として最初から解決しなくちゃいけない「問題」なのでしょうか?博士号を取得すれば常勤に就ける制度を整えることが問題解決なんでしょうか?就職難は博士の余剰を引き起こした院生倍増計画が問題なのでしょうか?これまでのクローズアップ現代や朝日新聞での議論はその辺りの問題の設定が少し混乱しているように思います。

博士号を取得する者、また取得しようとする者に視点を移せば、院生倍増計画は必ずしも問題だけではない、と言うのが私の考えです。

まず、就職難にもかかわらず博士号取得者はいます。私もその一人です(私は課程博士を一度諦めて、論文博士で取得したのですが、その違いについてはまた後ほど)。

その理由としてあげられるのは、一つには今や博士号は応募する際の必須資格になったといういわゆる「げんじつ」と呼ばれるものと、もう一つには日本国外の大学や研究機関で研究をしたいと時に博士号がなければ一人前とは見てもらえないという現状があると思います(他の理由もあれば教えてください)。そうした研究者になるための最低条件、という国際的な基準を考えると、博士号を取得する制度が日本の(文系の)大学で整ったことに私は賛成ですし、他の文系の博士号取得者もこれから取得しようとする者も賛成なのではないかと思います。かつては博士号を取得したくても教授が博士ではなかったわけですから。ちなみに、文学では審査できる博士が教授陣にいないため、今でも博士号が取りにくいといった話を聞いたことがあります(情報お待ちしています)。

このように、博士号を取得する者の視点で考えた際に、職業としての研究者になるための切符が手に入るようになった、というプラス面はきちんと確認すべきだと思いますし、日本だけではなく世界中の大学を始めとした研究機関へ就職できる大きな扉が開かれるようになった、ということも確認すべきだと思います。私が博士号取得を目指した一つの理由がその点です。日本ではまだまだ博士号取ることによって人生の(就職の)選択肢が増えるわけではないですが、海外をみれば明らかに博士号取得は就職の選択肢を広げてくれます。Ph.D.があるかないか、で判断されるのですから、日本で取得して海外に出るという選択肢があることは研究者にとってはプラスです。

問題は、そうして博士号を取得しても日本で受け入れる器と道筋が整備し切れていないということだと思います。このロジックについては私もクローズアップ現代と朝日新聞からはそんなに離れてはいないように思います。ところが、何が問題なのか、何が問題解決なのか?というところで意見が分かれると思います。受け入れる器と道筋まで政策できっかり整備されるべきなんでしょうか?整備とは皆が常勤につけるということなんでしょうか?また、非常勤を渡り歩くことが問題なのでしょうか?

私は、もし問題解決が常勤の確保を意味し、博士号取得者がジャンジャン常勤職に就くようになったら、と想像すると、返って異常なんじゃないかと思いますし、それは評価主義のもう一つの国際的なスタンダードに逆行するものだと思います。また、もしそんな器と道筋まで政策できちんと整備されていたら、国家が国力や国益という視点から研究者を排出している策略のようにも見えて、返ってひいてしまうような気がします。

じゃあ、どうしたら?という課題の続きは次回に。

今から、川崎で開催される70歳以上限定の全国古希野球大会に行って来ます。一度そのレポートを挟んで、博士問題を続けさせていただきますのでよろしくお願いいたします。
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