漂流博士

仕事は仕事、人生は違うところにある。

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朝青龍と綾部恒雄:ホームと人類学

今日はタイトル負け、と最初から陳謝。それでもこのタイトルにしないと気がおさまらないのであえて強行。いつかこのタイトルでショートエッセーでも書いてみたいなぁ、今日はそのブレインストーミング。綾部恒雄さんは北アメリカや東南アジアをフィールドとして数多くの研究を発表し、日本の文化人類学の体系を整えた大御所だが、昨日亡くなられた(享年77歳)Asahi.comより。私も学部の頃入門的な本を読んでいて、ざっと本棚を見ると『現代世界とエスニシティ』弘文堂(1993)、編著『文化人類学と人間』三五館(1995)が目に入る。

一方、朝青龍はいわずと知れた渦中の横綱。今回の朝青龍に対する処分でモンゴルに帰国できない、との文言が含まれているけど、それって自国中心主義的な考えであんまりじゃないか?という問題提起を、昨今の文化人類学でもホットな視点、つまり、国境を自由に越えるようになった昨今の人々の動きをホームとアウェイ、もう一歩踏み込んで、ホームとディアスポラという枠組みで考えてみよう、というのが今日のここでの目標。

一般的な解釈として、ホームと言えばそれは一つで、何か揺れ動かない絶対的な場所にとらえられると思うし、文化人類学も結構その視点から研究が成立してきた、いやまだ完全に過去形では言い切れない。人には一つのホームがなければいけない、みたいなちょっとしたプレッシャーは思いのほか結構強い。

しかし、ホームって必ずしも一つではないんじゃないの?という声が文化人類学の中に増えているのは確かで、特に対象を移民や出稼ぎとする研究者には敏感なテーマだ。移民や出稼ぎ者にとって、現在生活している場所だってホームだし、出身国だってホームだし、そうした複数の地を心情的に、また物理的に行ったり来たりしているのが現状ではないかと指摘されることが最近多い。ホームは一つと決めちゃうのは研究者の思い込みで、その視点で対象に近づいては現状理解できないでしょ、という突っ込みには私も同感である。

そこで自分の研究から一言:イスラエルはユダヤ人の帰還によって国が成立しているとよく言われる。しかし、それはシオニズムをなぞった説明に過ぎず、実際に最近移住するユダヤ人の声を拾うと経済的なものだったり、また家族が一緒に住むためだったり、イデオロギーによるものよりも、もっと現実的な要因が彼/女らを移住へと導いていることが分かる。イスラエルの文化人類学者の中では、帰還(ヘブライ語では「上ること」を意味する"アリヤー"と言う。その反意語は「下ること」を意味する"イェリダー"と言う。すなわち、イスラエルへ移住することは上京、イスラエルから他国へ移住することは都落ち、というニュアンスが含まれる)というイデオロギー的な視点から研究者自身が自由にならないと、イスラエルの移民研究が現状に密着していけないという自己批判的な指摘が特に90年代後半以降強まっている。

で、ここから朝青龍。朝青龍は大相撲という今のところ日本にしかないスポーツで生業をたてる横綱で、東京に自宅もある。そしてモンゴルに実家があるし、家族もいる。朝青龍にとっては、自宅と実家と二つのホームがあるわけで、その往復は朝青龍にとってきっと自然なことなんだと思う。私の疑問は、そのもう一つのホームへ帰国する極めて個人的な権利を職場の管理職が奪うことってどうなのさ、ということ。

朝青龍に対する処分を巡る議論では、横綱ならそれくらい、という処分に理解する声が大勢に見えるけど、朝青龍にとってのモンゴルが全く考慮されてないことが全く取り上げられず、それについての批判の声が出ないのが不思議でならない。大相撲の横綱であろうがなかろうが、日本にいなくちゃいけない、なんて相撲協会に決める権利は何もないはずで、もし、イチローか松坂が似たようなスキャンダルを起して、MLBから出場停止、さらに日本への帰国禁止、という処分が出たら、それこそ日本メディアは大騒ぎ、世論も黙っちゃいないだろう。

出身国に帰国するかどうか、それは法治国家においては法を犯さない限り本人の自由意志で決められるべきであって、職場はむしろその個人の自由をきちんと確保するべき、と思うのは朝青龍に対する甘すぎる主観なのだろうか。

私は相撲協会に恨みがあるわけでもないし、常日頃から批判が溜まっているあるわけでもない。むしろ、一度生の稽古を見てから魅力を体感した相撲ファンの一人でもある。

そうであるからこそ、開かれたスポーツであるためにも、時代遅れの自国中心的な視点を是非とも見直して、個人の権利と協会の権威が及ぶ範囲をきちんと見極めていただきたいと思う。

言葉が通じず、家族と離れ離れになりながら自らの職業を全うすることは、想像を絶する努力と強靭な精神力が求められることも忘れちゃいけないと思う。

日本語を身につけないとならない、しきたりを身につけないとならない、それに、何かしでかしたら日本から出れなくなるかもしれない、とでもなったら「外国人力士」(いまやそんなカテゴリーも無意味化していると思うけど)でさえ来なくなっちゃうのではないか、と相撲界の心配をしてしまうのは相撲のことを分からない者の単なる余計なお世話なんだろうか?
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