漂流博士

仕事は仕事、人生は違うところにある。

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院生に実践の場を!

オランダに留学した知人から久しぶりに連絡。私よりも10歳ぐらい下で、四年前知り合った時は学部学生だったのだが、最近博士課程に進んで給料をもらっている、というのだ。何てこった、彼は学生だ、と思って私が昼飯おごった(おごれた)時もあったのに、今では博士号取得者の私が無給で、課程にいる学生の彼が給料もらっているとは、いろんな意味でオランダに行きたくなった。

さて、仕事に対する報酬であることは条件だが、院生にお金を払うのは私も賛成である。何より、院生の研究者としての自覚が上がるし、自分が研究者に向いているかどうかを判断する大きな実践的経験を積む貴重な機会になる。学部4年間も過ごした後でさらに研究をしよう、と院に進むのだから、研究者に一歩近づく道筋はあるべきだし、研究者の一つの任務である「教える」経験を大学が与えるべきであろう。

と力説するのも、私もイスラエルの大学院留学時代に一コマ45分だが演習という講義を一週間に三コマ担当して給与を受け取っていた経験があるからだ(学内労働という種別の査証があるので留学生でも合法)。

日本の大学院でも一応TAというシステムがあるものの、私が知る限り教壇に立つわけではないし、文系ではほとんど機能していない。

私が担当したのは「文化人類学演習」というもので、教授による学部一年生向けの「文化人類学概論」の補佐的な役割を果たす授業だった。概論で学んだ文化人類学の理論がさらに理解できるよう、学生には毎週英語の課題論文が与えらるのだが、論文について解説を加える、のが演習の時間で、院生の役割だった。

文化人類学だけではなく、全ての授業に演習の時間があり、演習は院生が教えるシステムになっている。授業料が一部免除されて、さらに給与を得られるので院生の経済支援という面では参考になるシステムではないかと思う。

そして、実際に教壇に立つ、という機会が与えられることは、院生が今後この道で行くべきかどうかを判断する経験になる。

実際、学期始めに講義名、教室名、曜日と時間に続いて自分の名前が掲載された開講授業一覧を目にしたとき、本当に学生が登録してくれるのか、自分が教えられるのか、という恐怖に近い緊張は今でも忘れられない。

その緊張を拭い去るために、毎回しっかり授業準備を行い、演習の授業を進める中で、教えるということがどのようなことなのかを辛さや困難も含めて肌で感じることができるようになる。

さらに、試験を作成し、採点、レポートのコメントなども書かなければならないので、実務も経験する。教壇に立つ者は、常に厳しい視線で見られている、ということも学期末に受講生から提出されるコメントで痛感する。

日本の大学院で経験した博士倍増計画では修士->博士の移行をスムースにする量的博士の排出を感じた。しかし、経験を積んだ研究者を養成する機関として大学を位置づけるのであれば、実践を経験できる場を提供し、しかも経済的支援につながるようなシステムを整備するべきではないか、と思う。
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