漂流博士

仕事は仕事、人生は違うところにある。

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求められ、求められない35歳:漂流博士一ヶ月

公園で娘と遊んでいると、小学校4年生くらいの少年三人が近づいてきて「すいません、一緒に入ってもらえますか?」と真剣な目で私に聞いてきた。「あと一人足りないんです」手にサッカーボールを持っているのが目に入り、なるほどそういうことか、とその状況が理解できたものの「お、いいぞ!」と返答する代わりに、「ごめん、ほら今子どもがいるから」と断わると「だから言ったじゃんか」と別の少年がポーンとボールをけって三人は行ってしまった。

3歳の娘が一緒にいたことを考えると致し方なかった、とは言うものの、きっと私に勇気を出して声をかけたんだろうな、と少年の気持ちを察するともっとあたたかな断り方はなかったものか、と今でもふと思う。

しかし、実はそんな断り方よりも、35を目前にした今でも小学生に一緒にサッカーやろう、と声をかけられたことを他の35歳男性に自慢したいくらい誇りに近い喜びと、でも、次はもうないかもしれないなというちょっとした寂しさの両方、そんな入り混じった微妙な感情をこの一ヶ月前の場面を振り返りながら思い出す。

求められる、同時にもう求められないかもしれない、それは35という年齢の社会的、経済的な役割を表しているようにも思える。

私は博士という資格の活かし方は何も大学や研究機関だけじゃないだろう、とは思っているものの別にアンチではないので、求人情報は調べる。そこで応募資格、しかも年齢を見ると、35歳というのは一つのボーダーであるということに気づく。それは突然決められたわけじゃないが、いくら自分が求めても、求められるタイミングは限られているのだということをその数字からしみじみ感じる。

このブログにも書いてきたように、私は35歳が人生の折り返し点だとも、ピークだとも思ってなく、むしろ始まり地点だと思っている。しかし、求める場所と求められる場所というのは適宜変化しているわけで、中でも今しか求められない場所というのもあることも忘れちゃならん、と思う。

求められる、のは自身の意思ではないものの、待っているだけではこれまた不充分なわけで、求められる声を聞き分けるアンテナが基本的には必要になってくる。

私が「漂流」に込める希望は、そうしたアンテナを張りながら、求める、そして求められる方向性を適宜見極めながら進んでいける、柔軟性と判断力である。

フリーになると今日と明日のことに視線が落ちてしまいがちになるけど、もうちょっと先に上げながら進んでいかないと、と漂流博士が船出して一ヶ月の今を思う。

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