漂流博士

仕事は仕事、人生は違うところにある。

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「行く」と「来る」/「もらう」と「あげる」

4歳2ヶ月の娘の話していることを聞くと「行く」と「来る」、それに「もらう」と「あげる」の使い分けがどうも怪しい。「また遊びに来るよ」と一瞬日本語そのものはしっかり成立しているのだが、内容を聞くと「また(おもちゃがたくさんあって、おいしいものが食べられた○ちゃんの家に)遊びに行きたい」と「行く」のだということはよくある。それに「これ○ちゃんにあげたよ」と、あげたのならここにはないはずの飴玉やお菓子を手に持ちながら言うこともよくあって、「もらったでしょ」と直すこともよくある。ただ、この種の混乱は「子どもだから間違っている」と片付けてしまうほど単純ではない。

これら「行く」「来る」や「もらう」「あげる」は、それぞれA点からB点へ移動する、移動させる、と動作としては同じで、その動作をAから見るのかBから見るのかという立ち居地で、「行く」だったり「来る」だったりに変わる、、、。じゃあ立ち居地をしっかり意識すれば間違えなくなるようになるのか、というとそれだけではないような気もする。そういえば、イスラエルで日本語を教えていた時には「もらう」と「あげる」がうまく使い分けできない学生が結構多かった。説明としては「自分の方に移動する」のか「自分の方から移動する」のかとシンプルなはずなのだが、日本語を学ぶ学生にとってはそれだけでフムフムという納得するものではないようだ。

似たような混乱はヘブライ語の「借りる」と「貸す」。日本語だとほとんど混乱することはないし、間違って使っている人を見たことはないのだが、ヘブライ語だとかなり混同して使用される。学生によく聞く質問で「寮に住んでる?それともアパート借りてる?(リスコール)」と言う時も「寮に住んでる?それともアパート貸してる?(ラハスキール)」と借りると貸すの混同をよく耳にした。その度に私が指摘するのも変なので、「動作が同じだったらいいじゃん」という感覚があるのかもしれないな、と思うようにしていたが、実際のとこなんでそんな混乱があるのかは今でもよく分からない。

「行く」「来る」/「もらう」「あげる」/「借りる」「貸す」は立ち居地によって違うだけで同じ動作を表わす表現だから混乱するのだろうが、混乱が混乱として残るのにはきっともっと深い説明が必要なんだろうな。と頭の中でウダウダ考えながら似たようなことをもう一つ思い出したので最後にもうちょっと、「Go」と「Come」。

中学生の英語の授業で「Go」は行く、「Come」は来る、と覚えていたのに、「明日あなたの家に遊びに行くよ」と言いたいような時には「I will come tomorrow」と言うのだ、と聞いて私はとても混乱した。きっとそういう経験をしたのは私だけじゃないと思う。英語では相手の立場に立って話をするのが丁寧な言い方で、相手から見たら自分が来るのだからcomeと言うのだ、という感じの説明を受けたことをはっきり覚えていて、今でも私などは相手に「I will come」と言う度に自分が相手に対して謙って丁寧な言い方をしているのだ、という感覚が抜けずにいる。のだが、その説明とこの感覚はgoとcomeが含む意味合い、つまり、それらの言葉を発する時のフィーリングからすると適切じゃない。というのは、A点から見るか、B点から見るかという立ち居地が違う、ことに加えて、goは"離れる"、comeは"近づく"というニュアンスを含む決定的な違いがある。「I will come tomorrow」がなんで「go」じゃなくて「come」なのかはそういう「近づくよ」という、comeと発する時のフィーリングをつかまないとやっぱり分からないと思う。

「行く」と「来る」、「あげる」と「もらう」にもそんな立ち居地の違いだけではない、もっとフィーリング的な違いがあるのかも。でも違いがあるなら混乱しないだろうな、、、とよく分からなくなってきたので今日はこの辺で。まとまりなくすいませんです、、、
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