漂流博士

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アモス・ギタイ『ラシュミア谷の人々―この二十年』鑑賞後感

日本をはじめ海外ではイスラエル映画の巨匠=アモス・ギタイ、なのだがイスラエル国内ではそこまでの評価も認知度もない。私も「キプールの記憶」(2000)「アリラ」(2003)「撤退」(2006)「ケドマ」(2002)と観た限り全然ピンと来なくて、イスラエル国内のその評価は理解できる、という立場でこのブログでも何度か触れた(参考1 参考2 参考3)。ただ、こうしてブログで語る限り、巨匠と呼ばれている監督の作品を論じるには観ている作品は限られていて単なる「アンチ」みたいでよくないな、という反省の気持ちもあり、また少しでもいいと思える作品に出会いたい強い思いもあった。そこで友人に相談して「これはいいかも」と手渡された『ラシュミア谷の人々―この二十年(Wadi Grand Canyon 1981-1991-2001)』(2001)、これがよかった!

まず、この映画にはアモス・ギタイの「俺の言いたいこと聞いてくれ!」というエゴが見えない。これまで私が観た映画はそれが邪魔でしょうがなかったのだが、『ラシュミア~』にはそれがない、それがいいのだ。うるさくない映像、語られる言葉の一つ一つ、映画を観ながらドンドンとその人物に入り込む。イスラエル北部の都市ハイファのラシュミア谷という同じ地点を1981年、1991年と定点観測の映像を基にしたドキュメンタリーだが、定点観測ならではの時間の流れを人の表情、また発せられる言葉から感じられるところに、ギタイ監督のエネルギーと姿勢、そして映画の魅力を感じた。そして主人公はあくまで登場する人々、その人々が私の目を掴んで離さなかった。

イスラエルはいつ、どこで、誰に話を聞くかで全くと言っていいほど表情が違う。多様性や複合性といった表現でも収まりきらないような、社会のダイナミックさが、その地にかかわるものの面白さでも、難しさでもあると私は常々感じるのだが、『ラシュミア~』は映像も言葉もシンプルで静かでありながら、その面白さと難しさを感じさせてくれる。あえて言えば最後の「おまけ」のようなロシア人移民の部分は要らないと思うのだが、加えた理由をギタイ氏に聞いてみたい箇所でもある。

まずは、アモスギタイ監督作品で「これはいい!」と思える作品に出会えて、少しホッとした。ただ、よく考えると「これはいい!」という私のツボもいつも同じだな、というツボの狭さを痛感した映画でもあった。他人が創った作品を鑑賞して語るのならば、受け容れるツボを拡げる訓練をしたほうがいい、これは映画鑑賞に限らずこれからの課題になりそうだ。

さて、昨日、映画雑誌『Cut』2008年3月号が郵送されてきた。来月公開予定の『ジェリーフィッシュ』のインタビューが2Pにわたって掲載されているのだが、エトガーケレット監督の言葉ほぼノーカットと言えるくらい詳細に掲載されていて嬉しかった。細かい表現の一つ一つ、通訳者としての密かな満足でもある。現在発売中です!
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COMMENT
しらないうちに狭い世界に...
自分も最近読んでよかった本について話していて、すごく限られたジャンルに集中していることに自分でびっくりしたばかりでした。
本当に(この年になると?!)意識していないとどんどん狭い世界に閉じこもることになってしまいますね。
コメントありがとう。今は狭い世界とは自覚できないほど似たようなジャンルでも膨大な作品が多い、ということもあるかもしれない。ただ、「自分は狭い」「広げよう」とするかなり強い意識は持ち続けないと、知らぬ間に偏っていく危険性は最近特に感じます。
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