漂流博士

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「ガーダ」鑑賞後感想

偶然ビデオ屋で「ガーダ」を目にして、「お、これか、見てみるか」と借りてきた。「お、これか」とすぐに反応するほど随分この映画に関する広告や記事を目にした。PRはすごい。

映画は1993年頃から2000年頃にかけてガザで取材したテープを元にしている。私は1992-1993、1999-2003とイスラエルに滞在し、1996年から毎年一ヶ月位は滞在して、ほぼ同時期私はその「反対側」にいたことになるので、「どんな映像があるんだろうか」と同じ時期を過ごした者としての関心があった。

「ガーダ」というのは監督の古居みずえ氏が個人的に親しくなったパレスチナ人女性で、結婚前の葛藤や出産の場面と映画の「主人公」として登場するのだが、その辺りの「接近力」、そして女性だからこそできる信頼関係はかなりすごい。注ぎ込んだ時間とエネルギーがよく伝わってくる。また、副題にもなっている「パレスチナの歌」が後半に向けて頻繁に出てくるのだが、これは音色といい、歌詞といい素晴らしい、資料としてもかなり貴重ではないかと思う。

そうした素材の一つ一つは素晴らしい。ただ、全体的な構成については「ジャーナリズム」を主張する映画であるならば、きちんと広い視野での捉え方や補足が必要だろう。

映画の中にイスラエル軍とゲリラとの銃声の中家の中に閉じこもる家族の場面があるのだが、なぜ突然銃声が聞こえなければならないのか、また、またなぜイスラエル軍戦車が出てくるのか、その説明が全くない。「紛争の現場」を描くならば、イスラエル側で起こったテロを一言でも補足しなければ、イスラエル軍の行動とガザの関係は成立しない。

いろいろと刺激を受けながら、映画を見終わって一番に感じたことは「同じだな」というとてもシンプルなこと。銃声が続く中でも、日常生活を続けようとする姿、そして「私たちは戦争中でも普通の生活するんだよ」という声、これは同じ時期に私がイスラエルで滞在した時に全く同じ体験をしている。この映画には出てこない反対側のイスラエルでも、テロが続いても日常生活を淡々と進め、「嘆いてばかりでは日常生活ができない、自分たちは学生として勉強するんだよ」という声、全て同じである。そういう態度や心境こそ紛争の現場の空気じゃないかとさえ私には思う。そして「私たちは平和な生活がしたいだけ」という一言、全く同じ言葉をイスラエルでも頻繁に耳にする。

おそらくこの映画を観た方はそういう私にとっては当たり前のことが不思議に思うかもしれない、紛争の地を強調するのであればそういう当たり前の空気が補足されてもいいと思ったので、あえて。
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