漂流博士

仕事は仕事、人生は違うところにある。

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トメルと再会、サリーの死

漂流生活に入って初の仕事と言ってもいいDシネマ国際映画フェスティバルで通訳をした「Paper Dalls」のトメル・ヘイマン監督が来日していたので都内で再会した。(このブログでの参照1参照2)  

先週横浜で公演のあったイスラエルのダンスカンパニーの代表格バットシェバ舞踏団を撮影しているトメルは舞踏団と共に来日。四日間の滞在で会う時間はほとんどないだろう、と電話だけで会話を交わしただけだったのだが、急遽(雪のため?)飛行機に乗れなくなり二日間滞在日数が延びて都内で数時間会う時間ができた。電話口でトメルも「できれば、じゃなくて是非会わなければ」と言っていたのだが、是非直接会って聞かなければいけないことがあったので、飛行機に乗れなくなったことは私にとっては幸運だった。「是非会わなければならない」、それは「ペーパードールズ」の中心的な登場人物であったサリーが祖国フィリピンで亡くなった、それも殺された、というショッキングなニュースを耳にしたばかりだったからだ。

「Paper Dalls」は近年イスラエルで増加しているフィリピンからのでかせぎ労働者の生活を(確か)5,6年追ったドキュメンタリー映画。イスラエルの外国人労働者、特にアジア諸国からはフィリピン、中国、タイが圧倒的多数を占めているのだが、フィリピンは高齢者介護、中国は建築、タイは農業、となぜか棲み分けがされている。映画「Paper Dalls」で登場する彼らも高齢者介護に従事するのだが、彼らにはまたドラッグクイーンとして毎週末テルアビブ市内の舞台に立つ別の顔があり、そのドラッグクイーンのショーを「Paper Dalls」といった。イスラエル国内における外国人労働者、そしてトランスジェンダーという二重とも三重ともいえる周縁的な立場で生活をしている「Paper Dalls」の姿を追った映像が私には魅力だった。

その中に登場するサリー、そして死を看取るまで介護したハイムとの関係は特に心に残るものであったし、映画祭での質疑応答でもサリーとハイムの心温まる関係についてのコメントが多かったことを覚えている。イスラエルでは外国人労働者排斥の動きが強くなるのだが(そのために日本人でも巻き添えになることがある)、「Paper Dalls」も最後は解散してイスラエルを離れ、サリーはフィリピンの家族の元に戻って映画は終わる。サリーは家族と共に祖国にいるんだ、という漠然とした理解で今までいたので、殺された、というのは何ともショックだった。

トメルとの再会は数時間、ほとんどは今回のバットシェバの撮影、同じプロジェクトでインタビューをした日本人女性現代アーティストとの出会いについての話だった。「フィリピンにはどれくらいいたんだ?」という何とも遠まわしな言い方で私はトメルに話題を振った。

去年の12月、サリーの家族ともあったりしたんだよ。フィリピンの大学などを回って映画を上映し、その後講演するということをしていて、サリーも一緒に講演していた。ある日、予定時間になっても現れずにどうしたんだろうかと思っていたところ、殺されたことを聞いた。

それが短いながらトメルが私に話してくれたことだった。フィリピンにはサリーの葬儀に出席するために行ったと思っていたので、トメル自身がフィリピンにいる間、しかもサリーと共に講演活動をしている間に起こったことだとは全く予想外だった。それ以上彼もサリーについては話さなかったし、私も問いかけることができなかった。

このブログでは「死」についていくつも取り上げてきた(佐藤真初代佐渡ヶ嶽親方イスラエルでの恩師)。全て一度は会ったことのある人や、共に仕事をした人の中で、サリーとだけは実際に会ったことがないのだが、サリーの死は私にとっては最も寂しさを感じる死となった。
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