漂流博士

仕事は仕事、人生は違うところにある。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

パレスチナ自治区を訪問(2)

今回の滞在では一度もカメラを出さず、一枚も写真を撮らなかった。こだわりがあったわけではないのだが、仕事モードだと写真を撮る、という気分にならないのかもしれない。ただ、こうして振り返りながらひたすら文字と格闘すると、ベツレヘム、ラマラ、と発したとき、その響きに反応して私の中に浮かんでくるイメージを表す写真が一枚でもあればよかったな、とちょっと残念に思う。
こんな感じですよ、という写真は全く他人のサイトなのですが参考までにこちら


16年ぶりのベツレヘムは明るかった。抜けるような青空に石造りの建物がきれいに交わっていた景色、生誕教会への狭い石畳のアプローチや教会から見えた街の色は、雨が降りとにかく寒かったという古いぼんやりした記憶をきれいに押しのけて、私にとってのベツレヘムの新しい鮮明なイメージをつくってくれた。教会の中にはどこの教会でも見るような巡礼旅行の団体が目に入る。何の解説もなく、壁や柱を見ると何度も改築してきた年月がくっきりと刻まれている、その静けさから感じる何とも言えない趣を、懐かしさと共に感じられたことは嬉しかった。

その二日後に訪れたラマラ、こちらは現在パレスチナ自治区の行政の中心でもあるが、大統領府(すぐ隣にアラファトの墓もある)や各省庁が集まる霞ヶ関のような場所に向かった。その道のりはエルサレムからほんの10キロにもかかわらず、パレスチナの小さな町々を通過しながら、別の「国」へ行くことを実感させてくれる。舗装が一定ではない道路、車の間を縫うように横断する人々、道路の真ん中に続く「Bank of Palestine」の看板、キオスクや小さな商店の看板にあるアラビア語。耳にしたり目にしたりする言語が分からない、ということはそれだけで「異国」を感じさせる。その感じは「異国情緒」というような柔らかなものではなく、自分の居場所をどこかに見つけなければ、と静かながら内面では少しうろたえて、緊張感とエネルギーのような普段は発しない特別な熱のようなものを発する。そんな熱をラマラへの道中、私は久しぶりに感じた。ラマラへの足は東エルサレム在住のアラブ人のタクシーを使ったのだが、同乗したドライバーがヘブライ語も話す。私のラマラでの拠り所、私とラマラとの架け橋は、その彼とのヘブライ語に委ねられることになった。

しかし、ラマラの訪問の目的は要人達との対談のため、それらの場面では英語に切り替えなければならない。英語はヘブライ語以上に「仕事だな、よし」と切り替えを必要とするのだが、初めて足を踏み入れる場所での言語の切り替えはもう一段階のギアチェンジが必要だった。そんな私の緊張感とは全く関係なく、私の拠り所であるドライバーは対談中車に残るのではなく、なぜか全ての対談に同席し「写真撮るか?」「この次はどこだ?」とヘブライ語で話しかけてきた。その場の空気を感じて私はヒヤヒヤしたのだが、彼は私にはヘブライ語、要人達にはアラビア語で平然と使い分けた。

ラマラでの滞在時間は6時間ほど。要人との対談の間にできた短い時間はパレスチナ自治政府外務省の方にガイドしていただいたのだが、「ここを見てください」と紹介されて印象に残ったのは次の三つ:

「ここはイスラエル軍によって攻撃された家です」
(銃を構えた男性の旗が掲げられていたのだが、彼が何をしたのか、何ゆえに攻撃対象となったのかをまずは知りたいと思った、がその機会には恵まれなかった。ただ、すでに英雄化してしまったこのような人物や事実の背景を知るには、どこで、どのようなアプローチをしたらいいのか、歴史や記憶の恣意性ということを考えるとき、まだ生々しい事実から何を学べるのか、改めてその課題を考えた)

「この先は日本の支援でできた道路でTokyo Streetと言います」
(ラマラの霞ヶ関からも繁華街からも離れた場所にある小さな道路。店も何もなく、東京っぽいものがあるわけでも、日本っぽいものがあるわけでもないのだが、看板だけがそこはTokyo streetなんだ、と断言していた小さな道路)

「あちらに見えるのが日本とUNDPの支援でできたカルチャーセンターです」
(なぬなぬ、聞いたことあるぞ!とちょっと身を乗り出して視線を前方に向けると、立派な建物が目に入る。立派だ。私の乏しい語彙では「立派だ」以外にその建物を表す適当な言葉が見つからない。2004年設立でまだ新しく、中に入るともっと立派。700人以上が入れる大ホールは照明といい、舞台といい、その椅子といい、その直前に訪問した外務省やラマラ市役所よりも立派だった。外務省に行っても、ラマラ市役所に行っても、日本の支援に感謝するという言葉が何度も聞かれたが、なるほど、そうだよな、と納得しながらセンターを出た)

限られた時間内でその他に紹介された場所があったわけではないので、上記三箇所は印象に残ったと言うよりも、紹介された全てと言った方がいいかもしれないが、いずれも印象に残ったことには間違いない。

陽も翳り始めた夕方4時頃、ダウンタウンが人々でにぎやかになる最中を抜け出すようにラマラを出発し、6時間程の滞在は静かに終わった。

ベツレヘムにもラマラにも確かに足を踏み入れ訪問はした、しかし要人との対談、形式的な英語での会話、質疑応答、しかも私は通訳という立場上、基本的には他人の言葉を発しただけである。直接的な対話や出会いがない今回の訪問で何かが分かった、という新しい発見があるわけでもなく、行ってきたな、という何か強烈な実感が残ったわけでもない。行って帰ってきたという道中を含めた時間、それが新たなフレームのようなものを私の中に作ってくれたことは確かだが、そのフレームの中に描く絵となる経験や素材がまだ足りないのだ。

現場に行く、というそのことに意味はあると思っているのだが、「行くだけ」では「現場に行く」ことにはならない。フレームくらいは手に入れたとしても、その中に描く絵は行くだけでは得られない。じゃあ、どうやってフレームの中を描くような経験を積み重ねていくか、私はその一つはやはり言葉なんだなと思う。言葉がなくても通じることはある、と信じる一方、やっぱり共通の言語、それは言説を含めた社会的言葉を知ることでしか見えないことはあると思っている(このブログでも取り上げた「言葉の壁」参照)。

ヘブライ語で会話ができても、私はその社会的な言葉、言い換えれば同じ土俵で議論をするその言葉、言語だけでなく意見、思考を含めた言葉が足りない。パレスチナ自治区にいたっては、アラビア語という言語も全く未知であるし、社会的言葉を得ていない。そのさまざまな意味での言語を少しでも身に着けて、新しくできたフレームの中を描いていきたいと思わせてくれた訪問だった。おぼろげな記憶に変わる新しいイメージを脳裏に焼き付けることができたベツレヘムへの訪問も含め、いい始まりになった、と思って前に進みたい。
スポンサーサイト
COMMENT
距離にしたら小さな一歩でも、ステージとして考えたら大きな一歩になりそうです。
応援してます。
コメントありがとう。そう、距離にしたらホントに小さな一歩。これからも冷静に少しずつ行きたいっす!
COMMENT FORM
NAME
TITLE
MAIL
URL
COMMENT
PASS 管理者にだけ表示
TRACKBACK
TB URL : http://hyoryudr.blog111.fc2.com/tb.php/127-4bd31f57
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。