漂流博士

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アモス・ギタイ「撤退」鑑賞後感(その一)

構想から完成まで二年余り、脚本も50回くらい書き直した、という「撤退」(アモス・ギタイ監督)について、二時間あまり見ただけであれこれ言うことはどれだけ意味があるのか、正直分からない。しかし、制作者は「素晴らしい!」とただ絶賛されるためだけに二年以上も苦しむのではないし、映画を観た後に何かしら感じてそれを文字にすること、作品を通じたそのような"対話"が産み出されることが映画作りのエネルギー、と私は信じているので、このブログでも取り上げたい。

「撤退」は劇場で見るのは初めてだったものの、自宅で見たのは4、5回。見た後の感じは、「う~ん、なんだかな~」という何ともいえない煮え切らなさが腹に残る不快に近い重さであり、劇場を出た後もそれは同じだった。一つは、登場人物も、台詞の一つ一つも、アモス・ギタイ監督個人が強烈に表に出てきて、その色というか、メッセージ、というか映画を通して私に伝わってくるものが、あまりに個人的に映る、からなのかもしれない。また、メッセージ性が個人的に見える一方、観客には、受けいれなければならない義務のような、責任のようなプレッシャーが無言で映画から求められていて、それが何とも不自由に感じて仕方ない、のかもしれない。いずれも確信的ではないものの、鑑賞後の感覚を冷静に考えようとしながら、またこれまで観たアモス・ギタイ監督の映画を振り返りながら、落ち着くのはこの辺りであることには変わりがない。

7月以降「ペーパードールズ」「迷子の警察音楽隊」「撤退」「テヒリーム」とイスラエル映画に微力ながら関わってきたが、「ペーパードールズ」も「迷子の警察音楽隊」も主役はあくまで登場人物で、監督は作品の裏側で見えなかった。一方、「撤退」では主役は監督であり、その監督が描いた登場人物が主役、と監督が前に出て語っている。その違いは映画言語を用いた表現方法の違いでもあるのかもしれないが、もう一つ世代的な違いもあるのではないかと考えると、「ペーパードールズ」のトメルは36歳、「迷子の警察音楽隊」のエランは34歳、私は35歳、それだけで何となく「あ~」と納得してしまうのは浅はかだとは思いつつ、でもそこに、「社会」というものを見る何かお互いに分かり合える共通性があることは考えてもよさそうだ。また、いずれの映画も「イスラエル映画」とカテゴリー化することの意味について考えることも、「撤退」を観た後の感覚を見直すのにいい材料であると思うので、もうちょっとそこはこだわってみたい(続く)
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