漂流博士

仕事は仕事、人生は違うところにある。

  

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人生初の骨折

リベリアの首都Monroviaから車で12時間、リベリアとコートジボワールの国境に近い茂みの中。そこで実施中の農村開発のプロジェクトサイトに向かって歩いている時、足元を取られ、足首から「パキパキ!」といい音が。何もない、気のせいだと言い聞かせて歩いたけど痛みは止まらない。運動不足の中年が子どもの運動会で無理をして走ったら、ものすごい音がしてアキレス腱が切れた、という話を思い出す。すぐに、自分とは関係ないと言い聞かせる。

13年前まで続いた内戦で村民が逃げていなくなっていた、という近くの村に病院などあるはずもなく、車で2時間ほど行った宿泊拠点Zweduruという町にも病院はない。森の中を抜けてZweduruに向かうまでも、またZweduruからも道は凸凹の赤土の道。舗装された道路に行くまでも8時間はかかる。8時間行ったところで信頼の置ける医者は、まあいない。同行していた人たちに「折れたかもしれない、足が痛くて歩けない」と言うにはあまりにも条件が厳しすぎる現場。結局「大丈夫、歩けるし」そう自分に言い聞かせて森の中を歩き、用事を済ませて何とかZweduruまで到着。

でも、痛みも腫れも引かないので、もうしょうがないと思い同行していたスタッフに告白。リベリアにはまだPKOが展開中で、ZweduruにもPKOの部隊があり、そこに中国のクリニックがあるというのでそこに向かう。中国人男性の医者1名と女性看護師4名くらいがクリニックに。もう閉院間際だったのか和やかに話をしている医師と看護師。看護師の一人が、「あら?」と僕の存在に気がついて「どうしたの?」と聞くので、立ったままの状態で、足をひねって痛いんだけどと伝える。「足首動かせる?」というので、頑張って動かす。そこで動かせないとなったら「おおごと」になるんじゃないかと思ってそこは我慢してグリグリ動かすと、「動かせるなら骨は大丈夫、これ塗っておきなさい」と炎症を止めるクリームをもらう。骨が大丈夫!ということで安心、それにそこにいた中国人女性の看護師が優しく輝いて見えたので思わず両手で握手「謝謝」。

クリニックをでて食事(国連職員専用食堂、それくらいしか食べられるところがないから)に向かい、食事が終わって歩こうとしたら予想以上に痛い。宿に戻る頃には片足でジャンプするのが精一杯。困った。それにそこはシャワーが出ないから、バケツにお湯を入れてもらうバケツシャワー。この足でバケツシャワーはかなり過酷。座り込み、お湯を浴びる、格好からしてもまさに修行。水で濡らしたタオルを足首に巻いて、10分おきに体の角度を変えながら痛くない体制を探しながら寝るものの痛くてなかなか寝れない。しょうがない。

翌日は首都Monroviaまでの移動、といっても舗装されていないオフロード6時間、舗装された道路で4時間の10時間。なので朝6時に宿を出発。オフロードなので車が揺れる、揺れるたびに足がズキズキ痛むので、ハンカチでかかとを覆い、左手でハンカチを引っ張ると比較的マシなことを発見。それでも大きな凸凹を通過する時には思わず「イテテ」と口から出てしまう、そんな6時間移動。途中で食べた焼きプランテーンがおいしくて一瞬気がまぎれる。舗装された道路に出た時の瞬間、それは本当に天国のよう、車が動いても足に響かない、これは楽だ。あと4時間で首都に着く、だんだんと首都に近づいていると思うと、もう痛くないと思い込むのはやめて、クリニックに行ってちゃんとみてもらおうと思うようになってきた。Monroviaは内戦の傷があちこちにあるし、まだまだ発展途上だけど、コートジボワール国境近くの村からしたら大都会、きっとそこに行けばちゃんと見てもらえると思うと気分も楽に。

夜7時Monrovia到着。以前、出張中の万一の際に使える医療機関を確認しておこう、と同僚と見学したそのクリニックに足を運ぶ。エボラで壊滅的になったところにやってきたその外資系クリニックは結構こぎれいなので気分は落ち着く。参考用に、と以前撮影したベッドに自分が横になる、全く想像していなかった光景だ。医者は南アフリカとドイツといったか、2名ちゃんとした感じの医者がいたので正直に事情を説明。

小型レントゲンで痛いところを撮影。無口の医者が、リベリア人のスタッフにレントゲンの位置を指で支持する。無言のまま部屋を出て、電気が消えてパシャリ。パソコンにつないで3分後に現れる画像を見て、ちょっと眉間にしわを寄せながら「もう一枚」と痛い場所を真上にした角度で再度撮影。それを3回、足の骨が3枚パソコンに現れる。先生は何度も写真を見比べては時折じっと一箇所を睨み続ける、何もないことを切に願う。「ここだな」、もう一人の医師もやってきて、「これはCrack、間違いない」、くるぶしに亀裂を発見。真横にきれいにはいった線が確かに見えた。骨か、、、。がっかりしたけど、それだけで、というのも靭帯とかアキレス腱とかそういう厄介なものじゃなさそうだということで少し安心。と同時に、人生初の骨折か、とあまり想像していなかった事実がドンと目の前に突き出されて戸惑った。あの瞬間ちゃんと下を見ていれば、いや、ゆっくり歩いてさえいれば、とかすっかり遠くになったコートジボワール国境付近の現場を思い出しながら、してもしょうがない後悔が湧いては消えた。

アクラに戻り(飛行機のタラップの昇降がこれまた痛かった!)、月曜日に整形外科医のいるクリニックで再診療。改めてレントゲンを撮り、同じ場所に亀裂(いわゆる骨折線)を発見。でも、幸いに亀裂が真横であること、亀裂がかなり下の方で負担が小さいこともあり、ギブスはせず、サポーターのような固定器具で固定すれば大丈夫との診断が下された。といっても、その器具はクリニックでも、その近くでも販売していないので、翌日車で30分ほどかけて買いに行くことに。器具をつけたとしても痛くて歩きにくいから、松葉杖を貸して欲しい、とクリニックに頼んで貸してくれたのはいいんだけど長すぎて、脇にいれても全く歩けないので丁寧に返却。それなら、とアクラでは普通に市内で見かける道端の木工職人に頼んだらいいんじゃないか、ということでクリニックの帰りに以前本棚を頼んだことのあるおじさんのところに立ち寄り、「つくれる?」と聞いてみる。つくれるらしいので早速オーダー。それで、地面から脇、地面から握る場所までの長さを図り、オーダーメイド松葉杖を作ってもらった。

人生初の骨折、この広い地球上でおそらくアクセスが最も厳しいあんなところでこんなことになるとは。でも、まあこの程度でよかった。リベリアでは、ある国連機関の代表から「自分もアキレス腱切った時大変だった。痛い時は「Deep Heat」というスプレーがよかったから是非使えばいい」と瞬間冷却スプレーをもらったり、足をひきづってアクラに戻ってきた時には、同僚が引越しで使ったという段ボールを持ってきて、それを看護師資格を持った友人、学校の保健の先生だったという友人、それに周りにいた子供たちの大勢が痛い足首を固定してくれたり、もういろいろな人の助けを受けて、それは本当に嬉しかった。現場はとてつもなく遠く、それに出張先で一人ホテルで過ごした痛かった夜が心細かったのでそういう暖かさは素直に心に沁みた。

アクラに来て2年半。リベリアから戻り家族の顔を見て、家のベッドに横になって「あ〜家に帰ってきたんだな〜、我が家は一番いいな〜」としみじみと実感。茂みの中で足元から響いた音も、Monroviaまでの長い長い道中も忘れないけど、この2年半でガーナにも我が家と呼べる安心できる空間ができたことを幸せに思いながら眠りについたその夜のこともきっと忘れない。
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