漂流博士

仕事は仕事、人生は違うところにある。

  

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水泳のある人生

最後のブログを書いた一週間後のこと、というのは今から1年と一ヶ月前。いつものようにテルアビブの海岸沿いを走り、7キロ付近を過ぎたあたりで右足のふくらはぎがつっぱり走れなくなった。急に痛くなったのだ。あまりにショックで、トボトボと家に帰ってもその痛みが取れない日々が続いた。

順調に準備を進めていたはずの第3回目のフルマラソンは結局あきらめざるを得なかった。その右足の痛みは、時にモモの裏にきたり、時に膝の裏に来たり、結局痛みは消えることなく、最後まで諦め切れなかったけど諦めざるを得なかった。目の前のことだけを我慢して一生走れなくなるよりも、70歳になっても、80歳になっても走れることのほうが大事だと思っての決断は、僕なりに大人の決断だった。

それから1年以上が経過し、僕等は住み慣れたテルアビブを離れ、日本に帰国して新たな生活を始め、すでに4ヶ月あまりが経過しようとしている。未だその痛みというか右足の変な感覚がすっきりしないまま、長距離を走ることもできず「あ~またマラソン走りたい」と思いつつも時間だけが経過する。振り返れば、マラソンで痛くなるのはいつも左足であって、右足は全くのノーマークだった。今や左足は消しゴムでその痛みをきれいに消したように何も無くて、右足だけにマラソンの足跡のようなものが残っている。

マラソンの代わり、、、と言うわけではないけれども帰国してから今日まで、ほぼ毎日プールに通い、水泳が生活にとって欠かせないものとなっている。

これは僕の中ではかなりの驚きなのだ。なんと言ってもこれまで平泳ぎしかできず、それだって成人になって独自で身につけたものに過ぎない。地元の小学校にプールはなく、中学校でもプールはなく、水泳授業というものを経験したことがなく、結局泳ぎを習う機会が無いままに大人になってしまったのだ。それだけに、泳ぎというものに対する不動のコンプレックスがあって、僕の人生にとって水泳という存在は疎遠のものであって、近づかなくてもいいものでもあった。

ところが、である。今では、毎日夕方にプールに行き、ゴーグルをつけてクロールで25Mを何本か泳ぐという日々を送り、泳がないと「なんか物足りないな」と体が疼くのだ。日本に行ったら水泳をやろう!とか、「絶対クロールを泳ごう!」と決断してプール通いを始めたのではないのに、プール通いは日課となり、泳ぎが生活に密着した。これは僕の人生にとって革命的な変化だ。といっても全然大げさなことではない位に大きな変化だ。

日本に帰国し、進路も決まらない不安な日々の中で、近所のプールに家族で通うことだけは毎日続けることとして日々の日課になっていった。帰国して、失業状態となり、求職手続きなどを進めていくと、帰国前には想像もしなかったプレッシャーや怖さを感じることが多くなった。社会はドンドンと遠ざかり、それでも時間は僕の存在など目もくれずにドンドンと流れていく。そんなことを感じることは初めてだった。そんなつかみどころの無い日々の中で、プールに通い、そこにきているおじさんたちに指導されて、全く泳げなかったクロールが徐々に泳げるようになるということは、「あ、前に進んでいる」と僅かに実感できる貴重な貴重な時間になった。そのうち徐々に「泳げるようになりたい」と真剣に思うようになったけど、最初はとにかく決まった時間にプールに行くという行為が多くの支えとなってくれた。

今日は週一回の休館日。体が疼く。少しでもきれいな泳ぎで、少しでも楽に、いつか遠泳を泳いで見たいと思い、身体を休める月曜日。また明日から新しい一週間が始まる!
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