漂流博士

仕事は仕事、人生は違うところにある。

  

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村上春樹!

村上春樹がエルサレム賞という世界の文芸賞でもトップクラスの賞を受賞し、15日にその授賞式があった。

受賞のニュースを耳にした時、めったに公の場に出ないといわれている村上春樹氏だけにきっと本人不在で授賞式なんだろうと思っていた。報道でも、また審査員の一人で昨年、映画「ジェリーフィッシュ」のインタビューで一緒に仕事をしたエトガー・ケレット氏も「来るよ」と当たり前の返答だったけど、いや~そんなに簡単にヒョコヒョコと、しかもこんなところまで来ないだろう、と思っていた。

イスラエルで村上春樹ファンとして待っている者、という立場からすると「本当に来るのか、来てくれるのか」とハラハラしする時間はとても長く感じられた。先週木曜日辺りから、各紙「圧力がある中で、村上春樹氏来イ」と報じていたので、ああ、この地に来るんだな、ということがようやく信じられるムードが漂い始めたが、ずっと我が家では半信半疑だった。

来イの報道が出た辺りから、船長と、村上春樹がイスラエルに来るなんてすごいよな、と共にファンである我が家二人は少し胸をときめかせた。ああ、本当に来るんだ、と。

そして金曜日。審査員のエトガー・ケレットから「俺と一緒だったら受賞式に入れるっていうんだけど、どう。ただ、エルサレムまで行かなければいけないんだけど」と電話が。「エルサレムだろうがどこだろうが、仕事休んででも行くよ、行く」とすぐに返事をして、すぐに船長に「授賞式に行ける!」と伝えた。「あ~、まさか行けるとはね~」と気分高まる胸ドキドキの週末を過ごした。

当日、エルサレムへの道中。暖冬のイスラエルでは2月の半ばだというのに春の花の一つのアーモンドが開花して、その淡いピンクは、村上春樹、そして私達を歓迎しているように輝いている。エルサレム市内に近づくと「エルサレムブックフェアー!」という看板があちこちに掲げられてある。「エルサレム賞」はこのブックフェアーの開会式での目玉なのだ。

会場直前に差し掛かったときに、エトガー・ケレットから電話で「チケットがあるわけじゃなくて一緒に会場入らないといけないから、落ち合わないと。今、歓迎レセプションで303の部屋にいるからそこで会おう」と連絡があった。「歓迎レセプションだってよ、もしかしたらそこに村上春樹がいるんじゃない?」と船長に発すると、うわ、村上春樹氏に会えるかもしれない!という、小学生の頃に巨人軍の練習を見に行く時に感じた、あの新鮮な胸の高まりがグワ~、っとやってきて、そわそわして、足がふわふわしてきた。

会場に入り、「303、303」と探すもそれらしきものが見当たらず、「歓迎レセプションは?」と聞くと、あっちの右手、というので足早に歩いていくと、わしゃわしゃと人だかりがあって、その奥に部屋が見えた。「あ、ここだな」ピンと来て中をのぞくと、「うわ~、む・ら・か・み・は・る・き」とその後姿が目に飛び込んできた。船長に「ここ、ここ、ほらほら」と、大好きな作家が目の前にいるというのに言葉という言葉が出てこない。何とか平常心を保とうとするも、その会場の雰囲気も異様に高ぶっていて、「ほら、この人たち日本からのファンよ、おっかけよ」と興奮する私たちの姿を、この「村上春樹がイスラエルに来た」という歴史的瞬間の一コマとして歓迎しているようにさえ感じられ、どんどんとボルテージが高まってきた。その周辺にいられるのは、イスラエル人作家や文化人、なのだが、その一種独特の高揚した雰囲気は、「作家」や「文化人」という立場をとりさらい、無邪気な村上春樹読者にさせてしまっていた。

気がつくと船長、そして共に会場に行ったもう一人の村上春樹大ファンが村上春樹と話をしているではないか!な、なんということに、大変なことになった、と私の足も自然と近づいていく。そのすぐ隣に知り合いのイスラエル人日本研究者(彼女も村上春樹をヘブライ語に翻訳している)がいたが、最小限の「ハイ!」だけをして、体は村上春樹の方向に。

目の前には村上春樹。あ~この人が。と、何から話をしようか。そんな人生の中できっともうないであろう瞬間なのに、「いつ到着されたのですか?」あ~、なんでそんな質問からするんだ、と自分を責めても時すでに遅し。「う~ん、いつだったかな?」と天井を見上げて、「三日前かな?」。それだけの言葉から、謙虚、シャイ、そうした類の言葉がいっぱい交錯した感じの雰囲気、オーラが出ていて、そのワールドにグググとひきつけられた。「どうですか、イスラエルの印象は?」これまた、もう聞き飽きたであろうことを聞いてしまう、もう平常心ではいられない。「う~ん、いやね~、いろいろ大変でね~」、と、ああ、やっぱりここに来るまで大変だったんだな、ということがヒシヒシと伝わってきた。「とにかく何も知らないで、こんなに僕の本が読まれているとも知らなくて、びっくりしたんですよ」と、ここでの村上春樹ブームに本人は本当に驚かれていて、船長と二人「そうなんですよ、日本から来たというと村上春樹読んだか?とかなりの人に聞かれるんです」、おそらくそういうことを口にしつつ、いかに村上春樹がここで読まれていて、この受賞がタイミングばっちりか、とにかくすごいのか、といことを必死に伝えようとした。

今から振り返ると、どうやって会話が終わってどうやってその場を離れたのかよく覚えていない。しかし、村上春樹、というこれまで知っていた作家という枠からすこしだけ、その、その人そのものに近づいて、そして今まで以上に村上春樹が大好きになった。この、目の前に焼きついている姿、話し方、声、そうした生の姿を思い浮かべながら、また作品を読んでみたいと強烈に思うようになった。ああ、あの人がこの文章を書いたのか、と思いながら。

さて、授賞式。これについてはまた別便で出すことにするけど、とにかく最初から最後まで異様な興奮に包まれた雰囲気で、司会者が「Haruki,Murakami」と今回の受賞者を紹介するだけで、会場から拍手が沸き起こった。そして、村上春樹の15分に亘るスピーチが終わった直後は、スタンディングオベーション。ちなみに、報道にあるような単にイスラエル批判ではない。イスラエルの新聞でも、まったくそんな風には報じられてない。作家として、個人と体制というものの関係を話したのだが、私などは、一人の個人としてこの大きくなってしまった社会のなかで、また共に生きる、ということを考えさせられたのだが、そういう個人にふりかえって考えた会場の人は少なくないと思う。そういう、作家としての、また、今イスラエルででも読まれている、普遍性、に直接触れることの感激や興奮があった。
イスラエルでは村上春樹フィーバーと言っていいくらいに人気があり、新聞にはスピーチ全文掲載されたり、ある新聞では、日本ではありえない、独占インタビューを大々的に掲載するなど、とにかく大歓迎というムード。
村上春樹がイスラエルに来た!何て歴史的!というのは日本人読者だけではなくイスラエル全体でもしっかり認識されている。

う~ん、船長と村上春樹との対面に酔っているような状態がまだ続いているのだが、とにかくこの歓迎振りは素晴らしく、審査員も言っていたように容易な満場一致となるこの村上人気のタイミングでの彼の受賞は文句なし、そしてよく来てくれた!と盛り上がっている我が家です。
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三度目の正直、登録完了!

しっかりと娘のパスポートを持って三度目の登録へ。すっかり顔なじみになった入り口の警備員の女性とにこやかに挨拶。一番最初に来たときには身分証明書を提示して「武器ないよね?」ときちんと身分照会をして入ったんだけど、今は顔パス。「あら元気?」と嬉しい歓迎。
授業時間、というのもしっかりあるはずだけど、三回とも休み時間に遭遇して、子ども達は走り回っており、その中を事務所に向かう、という道のりもすっかり慣れた。

事務所にはいつものおばさん。「あ、あっちにいるから」と今日は奥の部屋に直接通される。一番最初に息子達が帰ってくるから、と帰宅してしまった女性の場所での登録となった。壁にはその3人の息子達の写真が飾ってある。イスラエルではいろんな事務手続きをしてきたけれど、机の後ろに子どもの写真や子どもが描いた絵を飾ってあって、「事務員」ではなく、母、であり、奥さんである別の姿を垣間見ることができる。女性の眼鏡のツルには「DOLCHE」とデカデカとロゴがくっついていて、化粧もパリッとしていてシャープな印象が漂っているけど、後ろの写真ではシャープさが削げ落ちていて女性のやわらかさに包まれている。

自分から娘のパスポート、アパート契約書、市民税の領収書を差し出す。「あなたの身分証明書は?」財布の中から取り出し、必要書類は全てDOLCHEの女性の下へ。

娘の名前を一文字ずつ、「アレフ、ベート」とヘブライ語で伝える。パスポートどおりだと一文字足りなかったり、多かったり、なので「名前は?」聞かれたら最初から「スペルを言うよ」と一文字ずつが確実。そして、生年月日、両親の名前、生まれた年、住所、電話番号、それから「移民した年は?」と聞かれたので「移住はしてないんだけど」と説明。イスラエルの場合、ユダヤ人とその家族だと、移住直後から国民になることができて、一定期間様々な特権があるので、結構重要な年。いろいろな申込書にも「生年月日」と並んで「移住年度」という項目がある。登録の場所はここだけのはずなのにいつも私一人しかいないので「他の人は?」と聞くと、「市役所か、あとはインターネットでもできるから」と。我が家は外国人だからなのか、登録用紙みたいなものの郵送もないから直接登録だけど、そうか、あとは市役所の保育課みたいなところで登録するのか。

3分ほど、いろいろな情報を入力し終わると、全ての書類が戻ってきた。「あの、他には?」「ないよ、終わり」「このあとは?」「入園直前になったら、保育士と面談があって連絡がいくから」

あっけなく、あまりにすっきりとだったけど、ようやく登録が無事完了。事務所を出る時、誰かとその達成感を共有したいという気持ちから、二度も「また来な」と書類不備をつきつけたおばさんに「やっと終わったよ」と思わず声をかけた。おばさんはファイルを手にしたまま「いい一日でね」といつもどおりの乾いた対応だったけど、一瞬優しく見えた。

これで来年度の娘の幼稚園は確保。一安心、一安心。娘は今の幼稚園にすっかり慣れて大満足で、半年後には転園しなければならないのはかわいそうだけど、またきっと元気に切り開いて行ってくれるだろうな。
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