漂流博士

仕事は仕事、人生は違うところにある。

  

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テルアビブでレンタルDVDデビュー!

かなり期待が大きかっただけに、イスラエル映画がアカデミー賞の外国語映画部門の受賞を逃した、というニュースは「失望」という表現を第一に、「日本の前に破れる」などの惜敗ムード一杯の記事が翌日の新聞を覆った。それにあわせて、というわけではないだろうが、「戦場でワルツを」のDVDが販売となって、これからは劇場からお茶の間へと鑑賞空間は移動していく。が、あの映画はやっぱり劇場で見たい。日本の皆様、是非。

さて、最近近所のレンタルDVD屋で借りる楽しみを味わっている。テルアビブの中でも、映画館併設で、ジャズCDの品揃えもいいと評判の「The third eye」、我が家では「第三の耳」。なんか、ツーな感じがする、第三というところが。

「イラン映画」コーナーは当然のことながら、「パラダイス・ナウ」などの「パレスチナ映画」コーナーもしっかりあるではないか、と一人ちょっと胸高まる。イスラエル映画もかなりの品揃え。フランス映画になると何段もの棚を占めている、とにかくすごい。ちなみに邦画もあるが、聞いたことないような作品から、宮崎駿シリーズ、北野武と抑えるべきところはしっかり抑えられている。時に、「お、Always三丁目なんてのもあるのか」とパッケージを抜くと、タイ語で解説が書いてあったり、旅行ついでにスタッフが品揃えを増やそうとしている地道な努力のあとを感じたりもする。

まずは必要に迫られてイスラエル映画を数本借りることに。何度か見た「シリアの花嫁」と、同じ監督の最新作品で「レモンツリー」など。監督ごとに並んでいるので選びやすい。分からなければスタッフに聞けばすぐに「あれは、この辺だったな」とすばやく出してくれる、かなり便利だ。

レンタルビデオのレジってどこも似たような雰囲気だな~、と4台くらいレジがあって、後方のLCDで映画が流れていて、返却されたDVDを整理するスタッフが机の端っこにいて、いかにもバイトのスタッフが入会案内がおいてあるレジで借りる人を待っている。

まず、イスラエルでDVDを借りるのは初めてなのでいくらくらいなんだろうか、と聞くと。一枚25シケル(750円)!映画館が普通に見ると35シケルだけど、我が家回数券を買っているので一回あたり23シケル。映画館より高いではないか!

と、そのまま払ってはここで生きてはいけない。映画も、コンサートも、劇場も、バスだって何だって、回数券とか、メンバー特典の値段は通常価格よりグーンと安い。その方法を早速聞く。「マヌーイある?」と聞くことは、「どんなお得な値段やオマケがあるんだろう?」という期待もワクワクさせてくれて私は結構好きだ。「回数券があって、三枚だと○○で、10枚だと、、、」と説明書を見ながら数字をどんどん羅列させて紹介される、最大は100枚まで。見たところ、50枚回数券というのを買うと、15枚分がサービスでついてきて、一枚辺り16シケルだからかなりお得。さらに、3泊のところ4泊まで借りらられる、というのが最も割引率としてはいいので、それにする。回数券も、枚数と借りる日数の両方を選ばなければならないのだが、一泊というのは慌しいし、一週間は長すぎるて返すの忘れそうだ、3泊というのが、見るぞ!と思って借りながらも急に見れなくなる事態にも対応できるしちょうどいい。

回数券でお値段お得!とは言っても、レンタルDVD50枚+15枚で約800シケル、2万円を越えるのだから決して安くはない。
のに、お店には結構な人が入っているから驚く。

映画鑑賞の感想は、いいです、いいです。現在ちょっと原稿を書いているのでそれが完成したら鑑賞感などを書くとして、テルアビブでのレンタルDVD生活デビュー!を記念して。
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二つのイスラエル映画

イスラエルメディア、映画界は今日のアカデミー賞から目が離せない。
イスラエル映画として初受賞の期待が高い「戦場でバシール」が外国語映画部門にノミネートされているから。私も見たが、今のこのタイミングで絶対みたい映画。
公式サイトはこちら

そしてもう一つ、昨日から岩波ホールで公開となった「シリアの花嫁」。ゴラン高原のイスラエル側に住むドゥルーズ族の女性が、テレビで見たことしかない男性の下、しかも国交のない国境の向こう側シリアへ嫁いでしまう、という実話に基づく映画。小さなお話からゴラン高原、中東、世界へと見終わったあとに徐々に視野が移動していくような感覚を得られるのが素晴らしい!

こちらの公式サイトはこちら。

最近イスラエル映画を集中的に見ているのですが、まずは上記二つは現在または近日中東京で見れるので機会があれば是非。



村上春樹!その2

の前に、昨日「古希野球」の投稿にコメントが入った。70歳になれないと入れない古希野球。このブログでも何度も書いたけど(参考)、とにかくこの同じ時間軸にある同じ世界とは思えないプレーを目の前にして、人生観が変わった衝撃を得たあの夏のことを久しぶりに思い出した。一度ご覧ください。(クリック)
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さて、感動が冷める前に。もう少し村上春樹氏がイスラエルに来たという話。
彼が舞台に上ると、それまでの大統領やエルサレム市長が続けてきたスピーチの時にはなかった厳かな雰囲気がピーンと張り詰めた。司会者は「スピーチ中は撮影を控えるように、それが受賞者本人からの願いです」と言うと、それまでこぞってレンズを向けていた大勢のカメラマンがサーっと会場の周辺に広がった(にもかかわらず、スピーチ時の写真が新聞やテレビに出ていますね、ルール違反です)。舞台は整った、そこに一人、自分の居場所を探しながら舞台に立つ村上春樹氏。舞台後方に視線を向けて、「始めていい?」とでも聞いたような、とにかくそうした表舞台が本当に苦手なんだな、という姿のままスピーチが始まった。

「Good Evening」私はこの小さく、そしてちょっと聞き取りにくいような、自信がないような出だしに、よく聞くスピーチとは違う、これがおそらく作家という職業のスピーチなのか、という新しさを感じつつ惹かれていった。そして「僕は小説家としてエルサレムにやってきた」という始まり。この始まりの二文だけで、小説家の、村上春樹の世界が会場を占めた。正直前半部分はなかなか聞き取りにくく、会場の前の方からは結構笑いが聞こえたのだが、半分より後ろにいた私たちの周りはちょっと反応が鈍かった。しばらくして、「今日は”本当のこと”を話します」という一言から、スピーチがある転換に入り、この場に至るまでの出来事、考え、相談、決断、そして主題である「壁と卵」と盛り上がっていくと、村上春樹氏の声も大きく、はきはき、そして私達に語るというエネルギーが伝わってきて、一言ずつが耳に入るようになった。その時すでにその舞台に立つ村上春樹氏は堂々としていた。

私は途中の「You are the biggest reason why I am here」という一言が強烈に耳にささり(なぜか私が見た英文には掲載されていない)、その瞬間、自分と村上春樹とエルサレムとが一直線ではないものの不思議な関係でつながったような錯覚に陥り、そのまま不思議な酔ったような気分のままスピーチの最後まで陶酔することになった。しかし、翌日の日本語の新聞で「ガザ攻撃を批判」といった類の、いかにも村上春樹がエルサレムの大舞台で政治批判をした、というような語調の記事には、さすがにひっくり返りそうになった。

いくらファンとして酔って聞いていたとはいえ、さすがにそれは違うんじゃないかと思えてならない。「卵と壁」は、個人対イスラエル、個人対軍隊などという小さな比喩でないことはその場で聞いている者には明らかだった。「壁」は日本という国家でも、また日本の中にもあるものであって、何もこの地の個別な内容ではないだろう。それが作家と政治家のスピーチの大きな違いなんだと思う。

「卵と壁」は、村上春樹という一個人の中身をさらけ出しながら、限りなく普遍性と向き合ったメッセージであるということは会場にもしっかり伝わっていたんだろうし、だからこそ、スピーチが終わった直後、スタンディングオベーションでしばらく拍手がやまなかった。私は、自分の個としての部分を見失いかけていたという一種の恐ろしい発見と、10年以上個別事象ばかりに目を奪われ、軽視していた普遍性というものの力を強く感じたスピーチだった。

何も、イスラエルを批判するためにわざわざエルサレムにまで来たのではないのであろうし、日本人代表としてきたわけでもないであろう。「僕は作家としてエルサレムにやってきた」という始まりの一言から、その舞台は村上春樹氏という個人のものとなっていた。「反対運動があったがエルサレムに来て批判した」といった筋書き、また、「イスラエルに言いたいことを自分の代わりに村上春樹が代弁してくれた」というヒーロー像を投影したような論調は、村上春樹という個人を無視した、または利用した政治的発想にしか過ぎないんじゃないかと私には思えてならない。

ちなみに、イスラエルではもっと露骨に政治批判をすることが日常的にありなので、今回のような比喩を伴った作家のスピーチでは政治批判とは読み取られない。翌朝「イスラエルを批判」と報じた新聞は一つもなかった。ハアレツは「なぜ僕は卵の側にいるのか」という大見出しの下に、ヘブライ語全文訳を掲載していた。

とにかく、イスラエルは村上春樹フィーバー、そう言っていいだろう。ハアレツ紙は毎週水曜日に書評冊子を挟んでくれるのだが、今日の表紙は村上春樹だ。また、授賞式前日のある新聞は、見開きの単独インタビューを掲載していた。全文はまだこれからじっくり読みたいものの、村上春樹氏が「日本社会は僕を圧迫する、それはとても単一的で狭い社会だ。1億2千万人がまるで一人の人間。僕はそんな中で特殊だった,西側では個性や人格は当然のことであり、格闘する相手ではない」と述べた箇所が抜書きされている箇所が「何を言ったんだ?」と読者をそそる。

我が家でのフィーバーは徐々に落ち着いてきたが、それでもあの場にいた感動は様々なパワーを与えてくれる。ブログも久しぶりに三日連続で書けた。船長とは「あ~村上春樹が読みたい!」と空に向かって叫びたい気分がどんどん高まっている。本当に来てたんだな~。

村上春樹!

村上春樹がエルサレム賞という世界の文芸賞でもトップクラスの賞を受賞し、15日にその授賞式があった。

受賞のニュースを耳にした時、めったに公の場に出ないといわれている村上春樹氏だけにきっと本人不在で授賞式なんだろうと思っていた。報道でも、また審査員の一人で昨年、映画「ジェリーフィッシュ」のインタビューで一緒に仕事をしたエトガー・ケレット氏も「来るよ」と当たり前の返答だったけど、いや~そんなに簡単にヒョコヒョコと、しかもこんなところまで来ないだろう、と思っていた。

イスラエルで村上春樹ファンとして待っている者、という立場からすると「本当に来るのか、来てくれるのか」とハラハラしする時間はとても長く感じられた。先週木曜日辺りから、各紙「圧力がある中で、村上春樹氏来イ」と報じていたので、ああ、この地に来るんだな、ということがようやく信じられるムードが漂い始めたが、ずっと我が家では半信半疑だった。

来イの報道が出た辺りから、船長と、村上春樹がイスラエルに来るなんてすごいよな、と共にファンである我が家二人は少し胸をときめかせた。ああ、本当に来るんだ、と。

そして金曜日。審査員のエトガー・ケレットから「俺と一緒だったら受賞式に入れるっていうんだけど、どう。ただ、エルサレムまで行かなければいけないんだけど」と電話が。「エルサレムだろうがどこだろうが、仕事休んででも行くよ、行く」とすぐに返事をして、すぐに船長に「授賞式に行ける!」と伝えた。「あ~、まさか行けるとはね~」と気分高まる胸ドキドキの週末を過ごした。

当日、エルサレムへの道中。暖冬のイスラエルでは2月の半ばだというのに春の花の一つのアーモンドが開花して、その淡いピンクは、村上春樹、そして私達を歓迎しているように輝いている。エルサレム市内に近づくと「エルサレムブックフェアー!」という看板があちこちに掲げられてある。「エルサレム賞」はこのブックフェアーの開会式での目玉なのだ。

会場直前に差し掛かったときに、エトガー・ケレットから電話で「チケットがあるわけじゃなくて一緒に会場入らないといけないから、落ち合わないと。今、歓迎レセプションで303の部屋にいるからそこで会おう」と連絡があった。「歓迎レセプションだってよ、もしかしたらそこに村上春樹がいるんじゃない?」と船長に発すると、うわ、村上春樹氏に会えるかもしれない!という、小学生の頃に巨人軍の練習を見に行く時に感じた、あの新鮮な胸の高まりがグワ~、っとやってきて、そわそわして、足がふわふわしてきた。

会場に入り、「303、303」と探すもそれらしきものが見当たらず、「歓迎レセプションは?」と聞くと、あっちの右手、というので足早に歩いていくと、わしゃわしゃと人だかりがあって、その奥に部屋が見えた。「あ、ここだな」ピンと来て中をのぞくと、「うわ~、む・ら・か・み・は・る・き」とその後姿が目に飛び込んできた。船長に「ここ、ここ、ほらほら」と、大好きな作家が目の前にいるというのに言葉という言葉が出てこない。何とか平常心を保とうとするも、その会場の雰囲気も異様に高ぶっていて、「ほら、この人たち日本からのファンよ、おっかけよ」と興奮する私たちの姿を、この「村上春樹がイスラエルに来た」という歴史的瞬間の一コマとして歓迎しているようにさえ感じられ、どんどんとボルテージが高まってきた。その周辺にいられるのは、イスラエル人作家や文化人、なのだが、その一種独特の高揚した雰囲気は、「作家」や「文化人」という立場をとりさらい、無邪気な村上春樹読者にさせてしまっていた。

気がつくと船長、そして共に会場に行ったもう一人の村上春樹大ファンが村上春樹と話をしているではないか!な、なんということに、大変なことになった、と私の足も自然と近づいていく。そのすぐ隣に知り合いのイスラエル人日本研究者(彼女も村上春樹をヘブライ語に翻訳している)がいたが、最小限の「ハイ!」だけをして、体は村上春樹の方向に。

目の前には村上春樹。あ~この人が。と、何から話をしようか。そんな人生の中できっともうないであろう瞬間なのに、「いつ到着されたのですか?」あ~、なんでそんな質問からするんだ、と自分を責めても時すでに遅し。「う~ん、いつだったかな?」と天井を見上げて、「三日前かな?」。それだけの言葉から、謙虚、シャイ、そうした類の言葉がいっぱい交錯した感じの雰囲気、オーラが出ていて、そのワールドにグググとひきつけられた。「どうですか、イスラエルの印象は?」これまた、もう聞き飽きたであろうことを聞いてしまう、もう平常心ではいられない。「う~ん、いやね~、いろいろ大変でね~」、と、ああ、やっぱりここに来るまで大変だったんだな、ということがヒシヒシと伝わってきた。「とにかく何も知らないで、こんなに僕の本が読まれているとも知らなくて、びっくりしたんですよ」と、ここでの村上春樹ブームに本人は本当に驚かれていて、船長と二人「そうなんですよ、日本から来たというと村上春樹読んだか?とかなりの人に聞かれるんです」、おそらくそういうことを口にしつつ、いかに村上春樹がここで読まれていて、この受賞がタイミングばっちりか、とにかくすごいのか、といことを必死に伝えようとした。

今から振り返ると、どうやって会話が終わってどうやってその場を離れたのかよく覚えていない。しかし、村上春樹、というこれまで知っていた作家という枠からすこしだけ、その、その人そのものに近づいて、そして今まで以上に村上春樹が大好きになった。この、目の前に焼きついている姿、話し方、声、そうした生の姿を思い浮かべながら、また作品を読んでみたいと強烈に思うようになった。ああ、あの人がこの文章を書いたのか、と思いながら。

さて、授賞式。これについてはまた別便で出すことにするけど、とにかく最初から最後まで異様な興奮に包まれた雰囲気で、司会者が「Haruki,Murakami」と今回の受賞者を紹介するだけで、会場から拍手が沸き起こった。そして、村上春樹の15分に亘るスピーチが終わった直後は、スタンディングオベーション。ちなみに、報道にあるような単にイスラエル批判ではない。イスラエルの新聞でも、まったくそんな風には報じられてない。作家として、個人と体制というものの関係を話したのだが、私などは、一人の個人としてこの大きくなってしまった社会のなかで、また共に生きる、ということを考えさせられたのだが、そういう個人にふりかえって考えた会場の人は少なくないと思う。そういう、作家としての、また、今イスラエルででも読まれている、普遍性、に直接触れることの感激や興奮があった。
イスラエルでは村上春樹フィーバーと言っていいくらいに人気があり、新聞にはスピーチ全文掲載されたり、ある新聞では、日本ではありえない、独占インタビューを大々的に掲載するなど、とにかく大歓迎というムード。
村上春樹がイスラエルに来た!何て歴史的!というのは日本人読者だけではなくイスラエル全体でもしっかり認識されている。

う~ん、船長と村上春樹との対面に酔っているような状態がまだ続いているのだが、とにかくこの歓迎振りは素晴らしく、審査員も言っていたように容易な満場一致となるこの村上人気のタイミングでの彼の受賞は文句なし、そしてよく来てくれた!と盛り上がっている我が家です。

三度目の正直、登録完了!

しっかりと娘のパスポートを持って三度目の登録へ。すっかり顔なじみになった入り口の警備員の女性とにこやかに挨拶。一番最初に来たときには身分証明書を提示して「武器ないよね?」ときちんと身分照会をして入ったんだけど、今は顔パス。「あら元気?」と嬉しい歓迎。
授業時間、というのもしっかりあるはずだけど、三回とも休み時間に遭遇して、子ども達は走り回っており、その中を事務所に向かう、という道のりもすっかり慣れた。

事務所にはいつものおばさん。「あ、あっちにいるから」と今日は奥の部屋に直接通される。一番最初に息子達が帰ってくるから、と帰宅してしまった女性の場所での登録となった。壁にはその3人の息子達の写真が飾ってある。イスラエルではいろんな事務手続きをしてきたけれど、机の後ろに子どもの写真や子どもが描いた絵を飾ってあって、「事務員」ではなく、母、であり、奥さんである別の姿を垣間見ることができる。女性の眼鏡のツルには「DOLCHE」とデカデカとロゴがくっついていて、化粧もパリッとしていてシャープな印象が漂っているけど、後ろの写真ではシャープさが削げ落ちていて女性のやわらかさに包まれている。

自分から娘のパスポート、アパート契約書、市民税の領収書を差し出す。「あなたの身分証明書は?」財布の中から取り出し、必要書類は全てDOLCHEの女性の下へ。

娘の名前を一文字ずつ、「アレフ、ベート」とヘブライ語で伝える。パスポートどおりだと一文字足りなかったり、多かったり、なので「名前は?」聞かれたら最初から「スペルを言うよ」と一文字ずつが確実。そして、生年月日、両親の名前、生まれた年、住所、電話番号、それから「移民した年は?」と聞かれたので「移住はしてないんだけど」と説明。イスラエルの場合、ユダヤ人とその家族だと、移住直後から国民になることができて、一定期間様々な特権があるので、結構重要な年。いろいろな申込書にも「生年月日」と並んで「移住年度」という項目がある。登録の場所はここだけのはずなのにいつも私一人しかいないので「他の人は?」と聞くと、「市役所か、あとはインターネットでもできるから」と。我が家は外国人だからなのか、登録用紙みたいなものの郵送もないから直接登録だけど、そうか、あとは市役所の保育課みたいなところで登録するのか。

3分ほど、いろいろな情報を入力し終わると、全ての書類が戻ってきた。「あの、他には?」「ないよ、終わり」「このあとは?」「入園直前になったら、保育士と面談があって連絡がいくから」

あっけなく、あまりにすっきりとだったけど、ようやく登録が無事完了。事務所を出る時、誰かとその達成感を共有したいという気持ちから、二度も「また来な」と書類不備をつきつけたおばさんに「やっと終わったよ」と思わず声をかけた。おばさんはファイルを手にしたまま「いい一日でね」といつもどおりの乾いた対応だったけど、一瞬優しく見えた。

これで来年度の娘の幼稚園は確保。一安心、一安心。娘は今の幼稚園にすっかり慣れて大満足で、半年後には転園しなければならないのはかわいそうだけど、またきっと元気に切り開いて行ってくれるだろうな。

三度目の正直

期間は2月16日まで、ということで来年度の幼稚園入園登録に出かける。イスラエルは幼稚園年長から義務教育開始なので、娘はすっかり慣れた乳幼児園(生まれたばかりの子から、4または5歳までの園で勝手な命名)から年長一年のためだけにまた新しい幼稚園に移動しなければならない。その後また小学校入学が待っているのだが、2,3年の限られた滞在の私達にとって、その間娘が通う場所を2度も変える、つまりは3回も初めての空間に足を運ぶのはあまりにも、と思っていたところで、年長と小学校が一緒になった幼学校とでも言える場所を見つけた。これは私達には願ってもない選択肢であり、満員になる前に、と早めに向かった(事前見学の時の様子は船長ブログに)。

新学期は9月でも、今が登録期間。行ったのに閉まっているということも結構あるので、行く前に「今日は13時までいるよね?」と電話でしっかり確認。この辺りの確認はこの地での生活では欠かせない。日曜日から木曜日、朝9時から昼13時まで、と事前見学の時に説明を受けているものの、いや、その通りきちんと進むとは限らない。

小学校も併設していて、登録に向かった時間がちょうど休み時間だったこともあり、小学生が楽しそうに廊下で遊びまわっているど真ん中を突き抜けて事務所に。「チャイナ」「ニーハオ」と子ども達に声をかけられることは、この地での生活で随分慣れた。

「幼稚園の登録に来たんだけど」と事務所入り口の女性に声をかける。別の女性と「週末に遊びに行くならさ~」と会話が盛り上がっている最中なので、「あっち」とほとんど顔も見ずにあごだけが「あっち」を指している。しかし、あっちには二つの部屋があってどっちがあっちなのかよく分からず、「え?こっち?」と私が指で示すと「そうだよ」とカッと見開いた目と共に返事をしてくれる。

こっちの部屋に入ると、バイトらしい女性が大量の用紙らしき紙を整理していて、その隣にもう一人の事務員が画面の前に座っている。お、登録らしき場所だな、と思って「幼稚園の登録に来たんだけど」と言うとその画面の前の女性「え、登録?」と意外な顔をした直後「ショシ!ショシ!」と大きな声で呼びながら、「私もう息子達を迎えに行かなければいけないから登録やってくれる?」とさっきの入り口の女性に向かって代理を頼んでいる。その時12時45分である。その部屋を出て、事務所入り口に座っているあっちの女性の前に行くと、「ほら座って」と促される、とその後ろを息子を迎えに登録の女性は帰っていった。もしも今頃到着していたら15分前なのに「もう今日はおしまいだよ」と冷たくあしらわれるだとうな、と思うとラッキーな気持ちになった。

「はい、用紙は?」と女性に言われて、初めてそういえば登録に何もいらないのだろうか、と思いながら自宅を出たことを思い出した。「あんた、市民税払ってる?だったらその領収書持ってきて、あとアパートの契約書のコピーね、そう書いてあったでしょ?」「いや~、何も届いてないけど」「あんた市民税は払ってるんでしょ?ところでどこ住んでんの、テルアビブ?」「うん、ベン通りだけど」「じゃあ大丈夫ね」(通学圏内というものがあるので)。「明日、来週もあたしここにいるから市民税の領収書とアパートの契約書のコピー、あ、それから身分証明書持ってきな」ということであえなく再挑戦ということになった。ラッキーな気分は一気に消えた。

5日後。まっすぐ事務所入り口の女性のところに向かう。登録の部屋は空いているのだが、一度会った事務所入り口の女性とは顔なじみ、自分から進んで迷わず目の前の椅子に座った。私は「はい、市民税の領収書、契約書のコピー、それから、身分証明書」と自信満々に必要書類を差し出した。「はいはい、幼稚園ね。えっと、まずは名前、はい身分証明書は?」「これです」と私は自分の身分証明書を出した。「これじゃないわよ、子どものよ」「え?」「身分証明書ないと名前分からないじゃないの、番号だって」「でもこの私が登録に、市民税だって、とりあえず私のを」「あんたの身分証明書もらってもしょうがないでしょ。あんた、自分が幼稚園に入るつもりなの?」「まさか」「でしょ、それならあんたの身分証明書なんかいらないのよ、ほらどこ?」「いや、今日持ってきてないんだけど」「身分証明書なければ話にならないわよ。あんた、自分が幼稚園で勉強するとでも思っているの?身分証明書なければ駄目よ、また来な」

何とも恥ずかしい「書類不備」で再び何の収穫もないままに学校を後にした。ちなみに、身分証明書は16歳以上から持参が義務づけられているので幼稚園なら身分証明書はないはず。が我が家の場合は「パスポートあるでしょ、パスポート」。本日締め切り前の最後のチャンス!ということで三度目の正直、登録へいざ出陣!
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