ラビン元首相暗殺式典
ラビン元首相が暗殺されて13周年の式典が、暗殺された当時と同じテルアビブ市役所前の広場で行われ、自宅から遠くないので私も足を運んだ。報道によれば3万人とも、また5万人とも言われているが、いずれにしてもかなりの人が集まっていた。
道中、かつての教え子ディアナに電話。折り返し連絡をしなければならなかったのに、連日娘と一緒に布団に入ってそのまま朝で、気になっていたのでようやく。
「あら、サッカー見てないの?」
「サッカー?今からラビンの式典に行くところなんだけど」
「あ、そうか、今日だね。あの時私現場にいたんだよ」
ラビン首相は、それこそ約5万人が集まった1995年11月4日の平和集会で演説をした直後、
ユダヤ教極右のイガル・アミールの発射する三発の銃弾で倒れた。
「僕は初めてだけど、何たってリヴニが初めて演説するというから」
「へ~そうなの?でも、今の集会はあの時代の集会とは違うわ」
リヴニ外相は、左派労働党のラビン氏と反対の右派リクード党に属していたわけで、
土地と平和の交換に反対だった人で、それが初めて集会で演説をする。
現在カディーマという中道に移動し、自らパレスチナ側と交渉する立場になったもののかつて意見が異なった集団を前に、いったい何を言うのか、私はこの耳で聞きたかった。
集会には現在の労働党の党首で国防相のバラク氏も演説をするのだが、次期選挙ではやっと10議席とも言われるほど勢いを失った党の党首として会場からどんな反応を受けるのか。
リヴニとバラクとどちらが多くの拍手を受けるのか。
「今は政治家だけの集まりだからね」
ディアナはそれ以上ラビン元首相については何も言わなかったが
あの場にいて、暗殺にショックを受け、その後の悪化で一気に希望を失ったと言われるかつての左派の声を私ははじめて聞いた。
13年前の集会はもう想像でしかないのだが、
きっとマグマが動くような大きなうねりが社会にあったんだろうな。
会場にいて数々のスピーチに耳を傾けると、
ラビン首相を回顧しつつ、「我々は遺志を継ぐ」と繰り返すものの
現実を見れば「どうやって遺志を継げばいいのか?」
と問わざるを得なくて、きっとそれは会場の多くが感じつつ
この瞬間だけでも希望を持とう、と踏ん張っているように見えて
私はだんだん寂しくなってしまった。
バラク党首が大衆受けしていないのは拍手と周りの声で明確だった。
一方、リヴニ外相の方が拍手は大きかったものの、スピーチの内容が「私のイスラエル、我々のイスラエルについて話したい」「変化が必要である」と選挙を意識したのか、ラビン追悼集会の空気とはどうも馴染まないもので、退席する時は反応がパラパラだった。
現在の連立政権の二大政党の党首でもこの程度の反応しかないのは、一般的な政治離れ、政治不信のあらわれだろう。
空気が変わったのは、「(ラビン氏が暗殺された)11月4日、2008年は米国でオバマ氏が次期大統領に選出されました」と司会者が述べた時。それまでで一番大きな拍手。
勢いというのはこういうことなんだろうな。
リヴニの言葉にもあったが、イスラエルも変化しかない、変わらなきゃ、と求めるムードはある。ただ、言うのは簡単だけど、実際は難しいよな、ということもイスラエル社会の中に一定のコンセンサスがあるわけで、オバマ氏のようなカリスマ性のある指導者が選出されたことへのある種の羨望、その後の膨らむ期待に自分たちも期待したいと思う拍手なのかもしれない。
ただ、直後にオバマ支持者の米国人が壇上に立ち、
我々も声高に「YES WE CAN」と叫ぼう!
と英語で言った瞬間に空気がシラ~。
私の周りも「ったく、アメリカ人だな~」とあきれた反応だったが、
そういうものを会場、イスラエル社会は求めているわけではないのだ。
直後のヘブライ語の歌が会場のムードを再調整しているようでもあったが、私はどんどんと高まる何ともいえない寂しさ、むなしさのような重い空気に絶えられなくなってきた。ラビン氏の娘の演説を聞いた後、緊張感なく雑談する警官や国境警備隊を横に見ながら、また、今週の市長選に向けて掲げられている環境保全の政党のキャッチフレーズを横目に帰路についた。
イスラエルに来て身をもって学んだことであるが、平和を求めるのは同じである、「平和は大切だ」と言うのは簡単だ、ただ、実際にどう平和を実現するのかはとても難しい現実を社会が経験してきている。その現実を受け止めながら、普通の顔して普通の生活をして、どこかで希望は持ち続ける、そのエネルギーがこの地で生きていくためには求められているのだ。
道中、かつての教え子ディアナに電話。折り返し連絡をしなければならなかったのに、連日娘と一緒に布団に入ってそのまま朝で、気になっていたのでようやく。
「あら、サッカー見てないの?」
「サッカー?今からラビンの式典に行くところなんだけど」
「あ、そうか、今日だね。あの時私現場にいたんだよ」
ラビン首相は、それこそ約5万人が集まった1995年11月4日の平和集会で演説をした直後、
ユダヤ教極右のイガル・アミールの発射する三発の銃弾で倒れた。
「僕は初めてだけど、何たってリヴニが初めて演説するというから」
「へ~そうなの?でも、今の集会はあの時代の集会とは違うわ」
リヴニ外相は、左派労働党のラビン氏と反対の右派リクード党に属していたわけで、
土地と平和の交換に反対だった人で、それが初めて集会で演説をする。
現在カディーマという中道に移動し、自らパレスチナ側と交渉する立場になったもののかつて意見が異なった集団を前に、いったい何を言うのか、私はこの耳で聞きたかった。
集会には現在の労働党の党首で国防相のバラク氏も演説をするのだが、次期選挙ではやっと10議席とも言われるほど勢いを失った党の党首として会場からどんな反応を受けるのか。
リヴニとバラクとどちらが多くの拍手を受けるのか。
「今は政治家だけの集まりだからね」
ディアナはそれ以上ラビン元首相については何も言わなかったが
あの場にいて、暗殺にショックを受け、その後の悪化で一気に希望を失ったと言われるかつての左派の声を私ははじめて聞いた。
13年前の集会はもう想像でしかないのだが、
きっとマグマが動くような大きなうねりが社会にあったんだろうな。
会場にいて数々のスピーチに耳を傾けると、
ラビン首相を回顧しつつ、「我々は遺志を継ぐ」と繰り返すものの
現実を見れば「どうやって遺志を継げばいいのか?」
と問わざるを得なくて、きっとそれは会場の多くが感じつつ
この瞬間だけでも希望を持とう、と踏ん張っているように見えて
私はだんだん寂しくなってしまった。
バラク党首が大衆受けしていないのは拍手と周りの声で明確だった。
一方、リヴニ外相の方が拍手は大きかったものの、スピーチの内容が「私のイスラエル、我々のイスラエルについて話したい」「変化が必要である」と選挙を意識したのか、ラビン追悼集会の空気とはどうも馴染まないもので、退席する時は反応がパラパラだった。
現在の連立政権の二大政党の党首でもこの程度の反応しかないのは、一般的な政治離れ、政治不信のあらわれだろう。
空気が変わったのは、「(ラビン氏が暗殺された)11月4日、2008年は米国でオバマ氏が次期大統領に選出されました」と司会者が述べた時。それまでで一番大きな拍手。
勢いというのはこういうことなんだろうな。
リヴニの言葉にもあったが、イスラエルも変化しかない、変わらなきゃ、と求めるムードはある。ただ、言うのは簡単だけど、実際は難しいよな、ということもイスラエル社会の中に一定のコンセンサスがあるわけで、オバマ氏のようなカリスマ性のある指導者が選出されたことへのある種の羨望、その後の膨らむ期待に自分たちも期待したいと思う拍手なのかもしれない。
ただ、直後にオバマ支持者の米国人が壇上に立ち、
我々も声高に「YES WE CAN」と叫ぼう!
と英語で言った瞬間に空気がシラ~。
私の周りも「ったく、アメリカ人だな~」とあきれた反応だったが、
そういうものを会場、イスラエル社会は求めているわけではないのだ。
直後のヘブライ語の歌が会場のムードを再調整しているようでもあったが、私はどんどんと高まる何ともいえない寂しさ、むなしさのような重い空気に絶えられなくなってきた。ラビン氏の娘の演説を聞いた後、緊張感なく雑談する警官や国境警備隊を横に見ながら、また、今週の市長選に向けて掲げられている環境保全の政党のキャッチフレーズを横目に帰路についた。
イスラエルに来て身をもって学んだことであるが、平和を求めるのは同じである、「平和は大切だ」と言うのは簡単だ、ただ、実際にどう平和を実現するのかはとても難しい現実を社会が経験してきている。その現実を受け止めながら、普通の顔して普通の生活をして、どこかで希望は持ち続ける、そのエネルギーがこの地で生きていくためには求められているのだ。
スポンサーサイト