漂流博士

仕事は仕事、人生は違うところにある。

  

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世代交代

祖父が亡くなった。92年のキブツ滞在中には母方祖父が亡くなっており、偶然にも祖父の最期はいずれもイスラエルで迎えた。その亡くなったという実感をはっきりと感じておきたいような、でも一方では、遠くにいてもいつかは会える「おじいちゃん」というこれまで通りの存在を維持しておきたいような、と考えると、葬儀に出席していない私には実際それができるのではないかという錯覚を覚えたり、亡くなったことに対する感情が定まらないまま日々が過ぎている。

今年の2月のまだ雪の最中、寝たきりになった祖父のお見舞いへの道中。イスラエル行きが決まっていたこともあって、これが最期になるんだな、というはっきりした自覚があり、どんな気持ちで病床に向かえばいいのか、と考えると複雑な気持ちのまま車を走らせた。

ところが、実際に目の前に現れた祖父は、私の30年ほどの記憶の中で最も若々しく、最も艶やかな肌をして、キラキラした目で私たちを迎えてくれた。それまでの重い気持ちがさっと消えて、とても明るい気持ちになった。寝たきりの祖父を目の前にして明るくなったというのも不適切な気がするが、本当に正直な気持ちとして明るくなった。

それまで一度も握れなかった手の指を、一本一本さすりながら、少しずつエネルギーを蓄えていくような気持ちになり、帰りの道中はとてもすがすがしい気持ちで運転したことが今でも強く印象に残っている。

フトした瞬間に亡くなったことの実感がグワっと沸くのだが、ニコニコしたおじいちゃんとの思い出だけが今までどおり静かに流れていく時間の方がまだまだ多い。

私にとっては、小学校入学式の前日に自宅から学校までの往復3キロほどの道中を父と祖父と三人で歩き、自分の名前の書かれた机を一緒に探したことが祖父との最も大きな思い出であり、30年が経とうとする今でもそれは最も鮮明な人生の思い出の一つとしてしっかり残っている。

身内の死というのは遠くにいると、葬儀で得られる共通の感情がないこともあって、なかなか実感が沸かず、ならばおじいちゃんとの思い出を一つずつ味わいながら天国へ行く道のりを祈りたいと思う。
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おお!ヨナット

また会った。イスラエルに来て4ヶ月近くが経過するが、一ヶ月に一人位のペースでサプライズ再会がある。またか、という新鮮さにかけるので書かなかったが、「おお!オムリ!」からもすでに二人に会った。いずれも、家から海に向かってアべニュー(というとカッコいい)を歩いていたときのこと。テルアビブはコンパクトとはいえ人口は40万人くらい。また市の境界があいまいな周辺地域を含めたこの都市圏になれば300万人位とイスラエル全人口700万人のかなりを占めている、一応の情報。

8月のある日のこと。家族で海に向かって散歩していると、目の前から見覚えのある顔が近づいてくる。「おお、ヨナット!」。昨年の8月、フリーランスになって初の大仕事イスラエルテレビの通訳、アテンド(運転手もやった)をしたときの、プロデューサーだ。

(その時のブログ。特に古希野球は私の人生に大きな衝撃を与えた大きな出会いだった。日野原先生にもお会いした、いずれもいい思い出だ。古希野球日野原先生MyHashi藤田志穂さん撮影終了でホッと一息映像の仕事について

番組は6回シリーズでかなり大掛かりなもので、賛否を含めかなり国内ではインパクトのあった番組に仕上がった。ヘブライ語だが、公式サイトをご紹介、一部の映像は見ることも可能。

さて、そのヨナットとはまた翌週もおんなじスポットで再会したので、いやこれは絶対スタジオ行かないと、ということで昨日イスラエルで最大の民放テレビチャンネル10に行って来た。

チャンネル10は2002年に開局したばかりであるが、それまで唯一だった民放チャンネル2の花形キャスターをそのまま引っ張ってきて、かなり質の高いニュースや特集番組で評価が高い。ちなみに、あまり想像できないと思うが、イスラエルのメディアと言うのは基本的に左系というか政府に対して批判的なのだが、チャンネル10は会社自体が若く、スタッフも若い連中ということもあるのか、新鮮な批判的論調となっている。

いずれにしてもチャンネル10はイスラエル1と言っても過言ではない。これまで3回ほどチャンネル10制作の番組に携わったが、実際に足を運んだのは初めて。最初の印象は、小さい。

私の基準は日本のテレビ局だが、どこもビル一つ。翻訳などで作業に行っても、まず無事に作業場所に到着できないほど巨大。一方、チャンネル10はビルの中の2フロアーだけ。そこにスタジオがあり、ニュースステーションがあり、編集作業の部屋からアーカイブまである。いや~、こんなにコンパクトだとは正直驚いた。

The Next Worldで一緒に仕事をしたニツァンとも再会。一緒に東京都内で仕事をしていた時にはかなりやりあったけど(テレビの仕事はエネルギーがいる、それに加えてイスラエル人はもっとエネルギーがいる)、改めて会うと、まあ落ち着いて大人の再会ができて、国際ニュースデスクとしての仕事ぶりを眺めることができた、それもいい収穫だった。

人とのつながり。どんなものであってもそれを雑にしてはいけないな、ということを改めて感じた再会で、これからも丁寧に、また感謝しながら人とのつながりを大切にしていきたいと思った再会であった。

アビシャイ・コーヘンが

ベルリン在住のMr.33への事務連絡みたいな内容で申し訳ないのだけれども、テルアビブライフってこんなのもあるんです、という光線を発しつつ皆さんにも。

イスラエルでも最近ジャズ好きが多くなったのだな、ということを街の看板や情報誌を見ていて感じる。勝手ながら、自分のジャズ好きの脚線グラフと平行して90年代後半からイスラエルのジャズ好きも徐々に右上がりなのではないかと、全く根拠は不明なのだが感じてしまう。イスラエルがジャズ好きなのか、テルアビブだけなのか。少なくともテルアビブではよくジャズライブの広告を見る。イスラエルはクラシック音楽、という印象は随分長いこと定着しているのだと思うけど、僕ら世代は結構ジャズを聴いているんじゃないかと思う。

テルアビブだけではなく、案外イスラエル全般的にジャズ好きが多いのかな、と思うのが8月下旬にイスラエル最南端の街エーラットで開かれるRed Sea Jazz Festivalというかなり大きなジャズフェスティバル。上原ひろみも招待されたことがあって、彼女はその後個別にも呼ばれてテルアビブでライブしている。エーラットのジャズフェスティバルは4日間、夜な夜な常夏のビーチでジャズセッションなんかもやる、なんて聞けば魅力的!といいつつ、実は私はまだ一度も行ったことはない、ので、この滞在中は絶対一度は行っておきたい、そんな憧れのジャズフェスティバル。それが、ここイスラエルで行われている。
公式サイト

さて、実はここまでは前フリ。そのことは以前Mr.33にも言ったことがある。本題はここから。そのジャズフェスティバルのコンサートマスターが来年からアビシャイ・コーヘンになる。そのアビシャイが最近歌を歌っている!さらに、そのアビシャイ・コーヘンがニューアルバム引っさげてテルアビブでライブをしている。今週もあるのだが、情報誌を読み進めると「11月に追加公演」と書いてある。お、これは絶対いかなければ。

イスラエル出身で世界的ベーシスト、今や世界的ジャズプレーヤーの一人とも言っていいアビシャイ・コーヘンが、生まれ故郷でライブをするのだからきっと特別なはずだ。イスラエルの観客も普通のライブじゃ許しちゃくれないだろうし、そんな観客の心を知っているアビシャイならきっと何か特別な準備をしてくれるはずだ。

う~ん書きながら興奮してくる、というそのエネルギーをベルリンに向けて発しつつ、Mr.33以外の方にもテルアビブのナイトライフの空気をお届けできれば。8月のライブの模様がYou Tubeにありました。アビシャイ・コーヘンが歌っている姿まで!さすがに低音は今一ですが、雰囲気だけでもつかめるのでは。


少しだけ余韻メダル

いや、ほんとどうってことないメダルなんですけど、私だけではなく、参加していた多くのイスラエル人が噛んだり、撫でたりとしていたように、そういう思いを感じるものなんで、載せてみます。

Picture 10

当日の模様は、http://nikerunning.co.il/にスタート直後の写真が出ているので是非。この規模で、しかもテルアビブ市内のど真ん中で開催されたマラソン大会はイスラエル史上初のようです。

やりました!

やりました!

練習も自分で考えた量をこなすことができず、出発前はかなり不安だったものの、船長と海が出発点付近まで応援に来てくれたこともかなり励みになり、スタートしたら結構いけるんではないか、という思いをがまんしつつ最後までエネルギー配分することだけを考え無事ゴール!55分くらいはかかっているので全盛期?と比較すればタイムは随分と遅いものの、満足度は一番でした。

ゴールした人に配るメダル。どうってことないメダルなんですが、ゴールした時からずっと胸にぶら下げて帰宅したくらい、本当に嬉しいメダルでした。

とにかく気持ちのいいナイトマラソンで、参加して本当によかった!と気分すっきりで、寝る前にこのことだけはアップしたいと、まだ興奮冷めやらぬまま。
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