漂流博士

仕事は仕事、人生は違うところにある。

  

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漂流博士2007をしめ

まず、先日ドイツから訪問した友人が手塩にかけている食虫植物の写真をアップしました。こちらを参照
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さて、今年も残り数時間。2007年を一言で言えば、終わりの年であり、また大きな出発の年だった。年末年始も返上し最後の追い込みで書き終えて博士論文を提出したのが1月11日。無事に受理され、2月の口頭試問を終えて、学位を受理されたのが3月。晴れて博士号取得者となったのだが、私の中では学位を取得できず帰国したイスラエル留学、という胸に引っかかっていた棘が取れたような安堵感の方が大きかった。さらに、家族全員で取得したという自信が「これで先に進める!」という前進の大きな原動力になり、それまで4年勤務した職場を6月で退職。7月から通訳・翻訳またアテンド、原稿執筆等で生活する新しい出発を果たした。同時にこのブログ「漂流博士」も船出、仕事も「何とかなる」という確信のない自信だけだったものの、数々の感謝すべき仕事によって今日まで半年無事に乗り切ることができた。初エントリー参照

そんな時間を振り返りながら、いつも以上に多くの方々の支えを実感しながら感謝をしたい、そして、仕事があることに感謝をしたい、とここでは言い尽くせないほどの感謝の念を持ちながら船長と海と一年を終え終えようとしている。

皆様には、私が「書く訓練」の場として継続している「漂流博士」を読んでいただきありがとうございます。来年は少しでも「読める」ものを目指して継続したいと思いますので、これからも声援をよろしくお願いいたします。よいお年をお迎えください。
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「ジェリーフィッシュ」で浸る

エンディングの音楽がドーンと流れ始め、そのなんとも言えない渋く低い声に刺激されるように体の奥底から涙腺にかけてジーンと熱くなり、映画にドップリと浸りながら映画館を出ることができた。字幕の仕事としてDVDで何度も見ていたものの、映画館で見た「ジェリーフィッシュ」は全く違うものだった。私は映像美というものがどういうものか分からないのだが、この映画をDVDで目にしたときに「これは映画館の大画面で見てみたい」と思った初めての作品だった。船長にも一切映画の内容を言わず、映画館で初めて見ることを共有したい、とこの試写会を随分心待ちにしてきたが、その期待以上の感動を得て大満足の一日となった。

これ以上はまだ見ていない方に対して過大な情報提供となるので、内容や感想はここで我慢。3月上旬に渋谷シネ・アミューズで公開されるので是非そちらへ!

試写会場は渋谷東急本店の目の前。船長と二人で渋谷を歩く、というのも楽しみの一つだった。お昼過ぎに渋谷駅に到着すると、いつもの喧騒ながら何かフレッシュな空気。なるほど冬休み、都内の学生だけではなく、"旅行"で渋谷に足を運んでいる若者(と言うと何ともオヤジくさいのだが)が視線を上にキョロキョロしながら歩いているのが、何とも新鮮で初々しい。
「ジェリーフィッシュ」に浸ったのは船長も同じで、その感動をゆっくり二人で楽しみたいなと近くのカフェに入った。子育てをしていると二人でゆっくりコーヒーを飲む、という時間が本当に貴重。しかも、映画を見て二人でその作品に満たされたまま顔を見合わせ、刺激を受けてあふれ出す言葉を交わしながら、"二人の言葉"を探し当てる、何とも至福のひと時であった。

季節を実感

自宅で多くの時間を過ごしていると、世の流れはあまり感じなくなる。我が家ではニュースとスポーツ以外のテレビもほとんど見ないので、やれクリスマスだ、やれ年末だ、と騒々しい商業的年中行事の流れをあまり実感することも少ない。通勤電車に乗っていた頃は、吊広告や窓から見えるデパートの広告、それが案外季節を感じさせてくれた。

今では「保育園でね、となかいつくったょ!」「ケーキ食べた!」と娘が報告してくれることで季節を実感することが多く、私にも船長にも全く馴染みのない"かぼちゃの祭り"も「今日ね、大きなカボチャを見たよ」と娘情報で間接的に触れている。

最近、家にいながら年末だな~と感じるのは、海外で生活している友人たちがクリスマス休暇、ニューイヤー休暇で帰国して「会おう!」と連絡くれること。先日はドイツから帰国した友だちが、また明日はオランダから帰国中の友人が遊びに来る。彼らの研究生活の話を聞くのも楽しいし、のんびり休暇モードで帰って来ているその雰囲気でこちらものんびり休暇ムードになるのがなんともいい。

今日は今から船長と渋谷へ「ジェリーフィッシュ」の試写会へ。スクリーンで見たい!と思っていたこの映画を劇場で見れるという楽しみはもちろん、久しぶりにどんな季節感を街で感じられるのか、それもちょっと楽しみ。

時の流れ

12月25日はクリスマス。そんな当たり前が実は当たり前ではない、という驚きを経験したのは今から15年前、それもイエスキリスト生誕の国イスラエルだった。

私自身はクリスチャンではないが、高校、大学とミッション系ということもあって、一度はクリスマスをイエス生誕の地ベツレヘムですごしてみたい、という思いを実現すべく興奮気味にベツレヘムのミサに参加したのが1992年12月24日。かなり寒い中、生誕教会の外で世界中から集まった人たちと手をつなぎながら「メリークリスマス!」と口を揃えたことは、今でもいい思い出となっている。

翌日、ベツレヘムから戻ってイスラエル人(ユダヤ人)の友人に「クリスマスをベツレヘムで迎えて感動したよ」と言ったら、「へ~、クリスマスって今頃なんだ」と予想外のコメントが返ってきて拍子抜けしたこともいい思い出であるし、その頃日本から送られてきたクリスマスカードを見た同じ友人たちが「これがサンタか!」とサンタのイラストに複数の目が釘付けだったことも、今となってはもう経験できないかもしれない貴重な記憶かもしれない。

それから15年が経過した今では、イスラエルの友人からも「メリークリスマス」というメールが届くようになり、スカイプなんかで話をしても「メリークリスマス」と最後に言われるようになり、驚くような寂しいような不思議な気分になる。

「ユダヤ人国家イスラエル」でクリスマスが認知されるようになったのは、90年代以降イスラエルに押し寄せた旧ソ連からの移民の波以降だと私は理解している。ひとつの季節の挨拶だとしても、キリストを救世主とは認識していないユダヤ人(教徒)がキリストの生誕を祝福するクリスマスを認識する、とは1992年当時は想像できなかった。とはいえ、もともと宗教的に敬虔なユダヤ人よりも世俗的なユダヤ人のほうが多いイスラエルにおいては、時が経てばまあそうだよな~というある種の納得もできるし、いずれにしてもイスラエルにおいてもクリスマスというものが以前よりもずいぶん認識されるようになったことには違いがない。

ちなみに、旧ソ連出身者はロシア正教での1月1日、また旧ソ連の名残の1月7日も祝福するので、1月1日にクリスマスツリーを飾りながら「新年おめでとう」という。「クリスマスは12月25日」とは、日本にいると地球上どこでも知られている当たり前のことのようではあるが、聖地イスラエルにおいてさえも当たり前ではない。

時の流れ、は年末のこの時期になると否応なしに感じる。一年を振り返ると、漂流博士として船出してからはあっという間だった。

幸運にも数々の興味深い仕事をさせていただいたが、その中のひとつ「迷子の警察音楽隊」が週末有楽町シネカノン2で公開された。公開日当日、早速満員だったと配給の日活のOZさんから丁寧にご連絡いただいた。満員だった、ということよりも、公開直後のお忙しいさなかに私なんかにご連絡していただいた、そのきめ細かな配慮に本当にうれしくなり、寒さを一瞬忘れることさえできた。

もうこのブログでは随分宣伝しましたが、もう一回、お正月映画にぜひ「迷子の警察音楽隊」!!

漂流しない博士が来訪

大学時代の野球部仲間で、このブログにも何度か登場した現在ポツダムで研究中の友人が一時帰国のついでに遊びに来た(参考1)(参考2)。学部の頃から一貫して言語学を学び、修士修了と同時にチョムスキーのいるMITへ飛び、5年間の課程でしっかりPh.D.を取得すると、今度はドイツへ飛び立った、移動だけ見るとかなり飛び続けているが、漂流はしない博士。研究者とは彼のような人を言うのだろうし、彼のような博士号取得者には道が開かれているのだな、と自分と比較してはいつも納得する。

卒業後互いに海外に行ってからまめに連絡を取るようになり、彼がMIT時代にはイスラエルからボストンまで遊びに行ったりもしたのだが、話は研究よりもむしろ趣味のことで、そのときもマイケル・ブレッカーのライブに行ったり(今回彼の死を二人で悼んだ)、ゴンサロ・ルバルカバのCDを聞いたり、ジャズの話で盛り上がった。今回は、ここ数年の彼の新しい趣味(という範疇を遥かに超えているのだが)で栽培中の食虫植物、そしてそれを撮影するカメラの話で盛り上がった。

最近撮影した写真を見せてもらったのだが、どれも食虫植物に対する愛情としか言いようのないやさしさが現れていて船長と感激しっぱなしだった。どんな風に虫が落ちるのか、どんな風に消化するのか、どんどん投げかける質問にも適切に回答が返ってくる。私よりも船長のほうがそうした好奇心が強いので、質問は終わらないのだがその答えがまた面白くて時が経過するのを忘れた。

「今こうして家を離れているときはどうしているの?」と心配に思った質問には、「ちゃんと友人が管理してくれている」と安心の回答を得たのだが、「もし他の地で職を得たらどうする?」というさらに現実的な質問には「それが問題なんだよ~」とシビアな回答が。

地続きだったら何とかなっても、、、とは言っても100鉢近い植物たちを持っての移動は限界がある。研究者としての彼のキャリアはどこに行ってもしっかりと根を張っていくのだろうが、彼の子どもとも言えるような植物たちの行く末はどうなるんだろうか?船長と二人今やその心配は他人事とは思えない。

見せてもらった写真の中で感動した一枚はこれ↓

Binata


香港での学会発表も控えていたので、今回こそ研究の話を!と思っていたのだが、今回も趣味の話で終わってしまった。いや、それが趣味と言う範疇を超えていて、そこだけ聞いたら食虫植物を専門とする人と言うくらいのハマリッぷりが面白いので満喫してしまうのだ。他人の好奇心を満たしてくれるもの、研究であっても、趣味であっても、そこまでの集中力こそが基本だよな、楽しいひと時を過ごした。

自分の言葉を取り戻す

自分ではなく他者の言葉を口から発する、そんな非日常的な行為が通訳。1時間半もすると非日常性に頭がモヤッとするのだが、一日、二日、と続けると自分がその他者になった錯覚に陥る。

映画「ジェリーフィッシュ」(来年3月渋谷シネアミューズ公開)の監督エトガー・ケレット氏が来日、二日間彼の言葉に浸かった。イスラエルの売れっ子作家で「イスラエルの村上春樹」、というのはちょっと言い過ぎかもしれないが、ポストモダン的作家としてイスラエルの比較的若い層に支持される作家であることには違いない。

作家との通訳、その響きにケレット氏と会う前はかなり緊張したが実際に会って安心。偏屈でもないし、言葉の一つ一つが丁寧で、本音、また同じ質問にも新しいネタを含める楽しみ方も見せるムードに私もすっかり乗って、ある段階から一心同体のような不思議な時間になった。

二日間を終えた後は、脳のしわがモヤ~と広がりきったような一種の快感。ケレット氏の言葉に支配されてもいるから、もう自分がだれなのかも分からない。

彼に別れを告げた後の昨日は、言葉を発する力も、口を開く力もなく、一日静かに静かに過ごした。クールダウン。徐々に自分の言葉を取り戻し、エトガーケレットではない自分の形をゆっくりゆっくり取り戻しながら、今日の新しい朝を迎えた。関東の冬はいいなぁ。このすばらしい青空、なんと言えばいいんだろう。

"イスラエル映画"の波

7月に漂流博士として船出した時、これほどまでに"イスラエル映画"の波に乗った生活をするとは想像していなかった。とはいえ、船出後の初仕事はSkipシティDシネマフェスティバルの監督通訳であったことを思い出せば(参考)、何か大きな前ぶれは随分前から始まっていた。いずれにしても、ブログ漂流博士でこれほどまでに映画について書くとは、全く想像もしていなかった。

"イスラエル映画"とわずらわしくも""付にするのは、少ないながらも私が目にした映画のテーマや描き方に何かしらの共通性を見出すことはできず、見出す必要もなく、また、監督や製作者たちの口から"イスラエル映画"を作っているという意識が見えないことを考えると、"イスラエル映画"というカテゴリーを作るのは本人達ではなく、それ以外の者であるんだな、ということを常に意識しておきたいからである。そのカテゴリーが誰にとって、どのように必要なのか、これは映画だけではなく、ナショナリズムだとか、アイデンティティということを考える時にもおそらく共通する問いのような気がする。

そうは言っても、登場人物がヘブライ語の映画、またイスラエルを舞台とした映画が日本にやってきているおかげで、私は通訳や翻訳といった重要な橋渡しの仕事を得られることには感謝しっぱなしだ。言語を扱う仕事の中でも、原稿も依頼されることは心から嬉しい。質の高い作品の背景について、明らかな読者を目の前に想像しながら文字で描く。文字で表現する行程は、"イスラエル映画"と関係なしに私が仕事としてできる分野でもあるし、目指していきたい方向性でもある。

最近意識的に"イスラエル映画"を見たのだが;

『ケドマ:戦禍の起源』アモス・ギタイ監督
イスラエル映画の重鎮と言われる彼について論じるなら全作品を見ないと、と思っていたところ、たまたま近くのレンタル屋で目にしたので借りてきた。感想は「おんなじだな~」(参考)

『The Bubble』エイタン・フォックス監督
テルアビブに生きる20代の若者の空気がものすごーく伝わってきて、どんどん吸い込まれていったのだが、最後に撃沈してしまった。

基本的に同じ世代の監督がつくった作品は見ていて、共感しやすい。世代という輪切りは結構大きな影響力があるのだと改めて感じる。

フリーランスの集い

フリーランスの集い、正式にはJNバイリンガルセンターという某TVのニュース翻訳を手がける翻訳/通訳家の謝恩会に家族で出席。英語、中国語、スペイン語あたりはもちろん、ペルシャ語("濃縮ウラン")、ビルマ語(邦人犠牲者でニュースが多かったですね)、クロアチア語(オシム監督、、、)、と「おぉ~」と反応してしまう言語から、中にはダリ語という「それってどこの言葉?」という言語まで、バイリンガルセンターという名称では抱えきれないほど扱うマルチな言語と触れて楽しかった。

約200名の出席者の名札には扱う言語が明記されているので一つ一つ見るのも楽しいのだが、会場全体の雰囲気も他のパーティーとちょっと違って居心地がいい。各自が斜め上を向いている、というか、フリーランスでいることのある種の自信のようなものが表れていて、自分は自分、という確固たる「個」が集まっているのがよく分かる。決して「私はわたしよ!」(通訳翻訳家は女性が多いのです)と主張しているわけではないのだが、着ているものだとか、ふるまいだとか明らかに他人の目を気にしているとは思えず、パーティー会場で一人立っていても、手持ち無沙汰で周りが気を使ってしまうようなものもないし、自分の居場所を無理して探さなくていいので居心地がいい。

恒例のビンゴでは娘の海がかなり上位で入賞。昨年は乏しい収穫だったので、今年は仕事が少なかった分しっかり取り戻した。イスラエル周辺地域は今年大きな動きがなかったので、同センターから依頼されたヘブライ語翻訳は例年と比べても少なかった。ヘブライ語通訳/翻訳は、テロや戦争、また日本国内での逮捕者が増えると仕事が増える、という人の死や不幸が仕事になる何とも皮肉な市場。それに比べると、映画関係の仕事は心の潤いも得られるので私は好きだ。

出席者の中には、東海道新幹線の場内英語放送のアナウンスをしている方も。ちょうど先週東海道新幹線に乗ったばかりだったこともあるし、いつもJRの英語放送はどんな人がどんな風に選ばれて録音しているんだろうか、と結構気になっていたところ、目の前にその人が。そう思っていた人は私だけではなかったようで、実際に"Welcome aboard---"と会場が一瞬「のぞみ」の社内のようになって会場は大いに盛り上がった。言語で食べるのは大変、だけど個人事業主って皆たくましいな~と実感したパーティーだった。

漂流博士ここで存続します!

漂流博士ブログで継続します!

週末、再度悩みに悩んだんですが、こちらで継続することにします。そして、これまで継続して呼んできてくださった方々に、引き続き手軽に読んでいただくためにも、この形式の方が漂流博士には適している、という結論にいたしました。

お騒がせして申し訳ございませんでした!

これからも引き続きよろしくお願いいたします!

同窓会のはがき

ポストの中に「中学校卒業20周年同窓会のご案内」という往復はがきを見つけた。「卒業して20年も経ったので、久しぶりに集まろうや」という内容のことを、ものすご~く硬い文で丁寧に仕上げた案内状なのだが、実行委員長、出欠連絡先と共に中学時代の野球部仲間の名前を見て、思わずグッときてしまった。

一学年70名ほどの小さな村立学校なのだが、「過疎化」だとか「高齢化」といういわゆるよろしくないイメージとは裏腹に、私の同級生はかなり「帰村」して元気な村だ。特に私の学年は長男が多かったということもあり、サービス業を営む実家に戻って家業を引き継ぎ、また村の祭りや伝統行事を担い、消防団員なども勤める。県の市町村対抗ソフトボール大会、軟式野球大会があれば村代表チームを結成し、ナイター練習して試合に臨む。今回の同窓会の発起人も村役場に勤める二人のようだが、会費振込先の名前などを見ると村に帰った同級生を集めて随分大掛かりに企画している。

私は長いこと、またいろいろなところで野球に打ち込んだが、一番厳しく、また楽しかった練習は中学二年から三年にかけての二年間だった(ちなみに一番厳しかったのは小学校5,6年)。夏休みも炎天下の中、朝から晩まで、お昼は友だちの保護者からの差し入れのおにぎりなどほおばっては、ひたすら白球を追っかけた。あの時を共に味わった数少ない仲間達が「いっちょ同窓会でもやるか!」と同級生に声かけて文面考えて、住所調べて一人一人にはがきを印刷して投函している、と想像すると、何ともいえない思いで胸がいっぱいになった。

ただ、はがきを手にしてあの日々を熱く思い返している今のこの瞬間が一番満たされている時で、この一杯になった思いだけで止めておいたほうがいいかもしれないと考えると、すぐに出席に丸をつけて投函するのを思いとどまってしまった。

同窓会をやろうぜ!と同級生が思い立ち、企画して、連絡をくれる。それだけで私には充分なのだ。そこに帰れば仲間がいる、それを改めて実感できた同窓会の知らせだけで私は嬉しく、またそうした変わらない地元を持っていることの貴重な幸せを味わうことのできた一枚のはがきだった。
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