漂流博士

仕事は仕事、人生は違うところにある。

  

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ジャーナリスティックでアカデミック

研究者は学会論文を書いてナンボなので、書かないと始まらない。評価の基準も、研究者として認められるか否かの基準も、結局は論文の内容と本数。それはどうしようもない事実であって、やるしかない。

私は研究発表などを終えた後に「ジャーナリスティックですね」と言われることがある。「ジャーナリスティックでもありアカデミック」な研究姿勢と研究成果は基本的に目指しているので、「ジャーナリスティック」という表現を耳に出来るのは一瞬褒め言葉のようでもある。しかし、今の自分の研究に対する「ジャーナリスティックですね」という表現は、「でも、まだアカデミックじゃないですね」という表現を和らげたものだと私は理解している。

つかみはいい、多くの人に分かり易い、そして視点が現場に近い。私が「ジャーナリスティックだな~」と感じるのはその辺りが基準なのだが、その部分に関しては自分でも方向性は間違っていない、と自覚している。ただ、「それで何が言いたいの?」という問いについて研究者と土俵に上って勝負をする段階になると、基本的な体力というか、これなら負けない自信のある技というか、耐えうる足腰が弱くてガタガタと崩れ落ちる。「アカデミックじゃないな」と自分で感じるのは、この研究者同士による土俵上での勝負に全く歯が立たない時だ。

「ジャーナリスティックでもありアカデミック」な研究に近づくには、これはもう訓練しかない。淡々と継続する持久力、まずはその力にゆだねるしかないのだ。

こんな改まったことを考えるのも、4月までに学会論文を何本か出したい、とその提出先を考えながら、昨日シミジミと自分の研究について振り返り、また先をにらみ返したからである。
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