漂流博士

仕事は仕事、人生は違うところにある。

  

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「ジェリーフィッシュ」!

あと一回だけ東京フィルメックスに出品された"イスラエル"映画ネタ。

同映画祭の最高賞「テヒリーム」の他に、「ジェリーフィッシュ」というイスラエル映画も出品されていたのだが、これが!!!。フィルメックスではイスラエルから三作品上映されたが、どれか一作を選ぶのなら、文句なしで「ジェリーフィッシュ」。カンヌでカメラドール(新人監督賞)受賞作らしいが、この際あまり関係がない。観て単純にいい!、また観たい!と思える映画だ。

作業用のDVDで何度も見たのだが、ぜひぜひ劇場で観たい!と思わせてくれる映画。ヘブライ語の監修や映画背景の説明などで仕事を依頼されるのだが、映画そのものには疎い。そんな私でも、映画的芸術、映画的美しさ、というものがあるとするなら、きっとこういうことなんじゃないかなぁと思えるほど、映像が美しくて惚れた。これは劇場の大画面でこそ観たいなぁ、とこの目の前の画面が物足りなくて仕方がないのだ。

「テヒリーム」の受賞理由にある「普遍性」を言うのであれば、私はむしろ「ジェリーフィッシュ」の方にその「普遍性」を感じる。「普遍性」とまで言わなくても、どちらが映画の中に引き込まれるような身近さを感じるか、と言えば「ジェリーフィッシュ」。ただ、「テヒリーム」を観ると、自分が長男という部分で主人公のメナヘムを身近に感じる部分があったことは受賞作への敬意として触れておきたい。

「ジェリーフィッシュ」はシネカノンの配給により2008年渋谷シネ・アミューズ で公開予定。
ぜひぜひ!と言う私が早く行きたくてたまらない。
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フィルメックス最高賞に「テヒリーム」?

え~!?

東京フィルメックスの最高賞がイスラエルの「テヒリーム」と聞いた瞬間、最初に口に出たのがこの一言。
この作品は三回程見たのだが、ピンと来なかったし、観終わった後も「え~!?」だった。

他の出品作品を一つも観ていないので具体的なコメントはできないが、正直な感想は今でも変わらない。受賞に至った審査員の講評を是非見てみたい。

なお、同映画祭に特別出品されていたアモス・ギタイ監督の「撤退」についての私のコメント「鑑賞後感その二」を随分書き換えました。まとまりが悪く、私の「鑑賞後感」もうまく伝わっていなかったという反省もあり、この週末手を加えさせていただきました。

関心のある方はこちらから、「アモス・ギタイ撤退鑑賞後感その二改訂版」を参照してください。

曾祖母とひ孫の大勝負!

漂流生活だと週末や三連休をあまり実感しないのだが、この三連休は元同僚や私の祖母(娘にとっては曾祖母)が気持ちのよい青空の下遊びに来てくれたので、休みを思いっきり実感した。

祖母は電車を乗り継いで一時間、はるばるやってきた。楽しく昼食をとり、娘も大好物のお稲荷さんを食べて落ち着いたところで、娘が気に入っている「ことわざかるた」で遊ぶことに。娘が読み札を読んで、私と祖母が取る、というウォーミングアップ程度にまずは一回戦。「くさいものには、福がある」と思わず娘が読み間違えたのも「かわいいわねぇ~」と祖母は嬉しそうで和やかな雰囲気だったのだが、私が読んで娘と祖母が取るという二回戦になると、遊びから真剣勝負へとムードが一転した。

私の祖母は82歳、娘は3歳半。娘からみたら「ひーおばあちゃん」であって、二人は曾祖母とひ孫の関係。なのだが、私の祖母も娘も互いに負けず嫌いとあって、札を見る目が二人ともギラギラしている。緊張感が張り詰めたなかで読み札を読む私も何だかドキドキしたくらいだ。

「みからでたさび」「あった~!」と娘が両手を挙げて喜べば、「つるのひとこえ」「はい!」と祖母はバシッと右手で札をおさえる。そんな真剣な取り合いが続きいよいよ最後の一枚。最後はバシッと祖母が決めたものの、お互いの取った札を数えると娘の方が10枚ほど多く、勝者は娘。

「いや~真剣だったわよ」とひ孫に惨敗した悔しさを少し滲ませながらも、祖母は孫家族とのひと時を楽しんで帰路についた。

のんびりしている間に娘は確実に成長している。それを実感することは嬉しいような、少し寂しいような、また焦るような、娘の親として、また祖母の孫として何とも言えない気持ちを味わった秋晴れの週末であった。

アモス・ギタイ「撤退」鑑賞後感(その二:改訂版)

トメル(「ペーパードールズ」)、エラン(「迷子の警察音楽隊」)、ギタイ(「撤退」)が世代の違いから基本的に全て違っているわけではなく、むしろ、映画を創る上で目指すところについては一様に「日々の新聞やラジオで伝えられるニュースとは違うものを目指したい」と似たことを口にしているのだが、実際に映画を見ると目指すところが全く違う。この三人で特に大きく異なるのは、アモス・ギタイは「イスラエル映画」を創っているという自覚があるのに対し、トメルもエランも「イスラエル映画を創ろう」という自覚がないこと。その「政治的」な違いは世代によるものも大きいのではないのか、というのが世代について私が考える出発点。

あえて言えば、アモス・ギタイは自身が国際的(イスラエル以外の主にフランス、ヨーロッパ)に評価を得ていることを充分自覚している点、実はこの点が彼の映画に随分影響を与えていると思うのだが、それは単なるアモス・ギタイ批判で止まってしまうし、かといって彼の全作品を観ているわけでは私が一人の監督について批判したところであまり説得力がない。

「漂流博士」として船出して数ヶ月、幸いなことに5つの「イスラエル映画」に携わることができたこともあり、特に「撤退」というこれまで全く異なる内容の映画を見たことで私の中に化学反応が起こったので、ここでそれを書きとめておきたい、というのがここでの目標。

世代の違い、というものは、何も絶対的な違いではないし、事実「撤退」を観た直後には、「私はもう高齢で」という作家と私は意見が共通していた。ただ、「イスラエル映画」と国旗に基づく分類が実際に存在し、「イスラエル映画」について語るという場が日本語圏で存在する限り、何かしらの違いについて語ることはそれだけでも意味があるのではないかと思い、一つのたたき台程度にちょっと言わせてもらうことにする。

基本的に報道とは違った言語が映画にあり、映画は芸術であり、映画の意義がある、と言う(『アモス・ギタイ』(フィルム・アート社、2003年)ギタイ監督だが、「撤退」を見ても、結局日常的な報道と同じ議論の線上であって、映画でしか描けない映画言語というものを私は感じることができなかった。むしろ、報道の議論にドップリはまっていて、映画の独自性というよりも、すでにあるものの焼き直し、というのが基本的な感想だった。

ガザ撤退での警察による入植者の"排除"は随分テレビでも映し出され、イスラエル社会でもイヤと言うほど議論がされ、されつくされたといっても過言ではないと思うのだが、映画で描かれる「撤退」はその議論の無難な要約。他のギタイの映画同様、イスラエル社会でこの映画は評価をあまり得ていないようだが、それは、何も劇場に行ってまで日常のテレビで映し出されている映像を改めて見たくはないし、疲労困憊、もう辟易、という表現が当てはまるような軍、入植者、政府等に対する日常に転がった分厚い批判を聞きながら、何も改めてギタイによる個人的な批判を劇場にまでいって聞かなくてもいい、という感覚が社会にはあるのではないか、と何の根拠もないのだがおそらくそうでははないか、と私は想像する。

簡単に確認だけしておくと、政府や軍に対する批判的な視点、言説は報道レベルに限らず、日常の会話レベルにおいてもイスラエル社会にはすでに存在しているのであって、映画でなければ批判ができない、ということはない。映画人でなくても、イスラエル人であれば批評家、と言えるほど社会の雑音は騒がしい。そうした多様な批判的議論が存在するにもかかわらず、ギタイの映画を観るとその多様性が感じられず、むしろ、すでに存在する騒がしさに加えて、個人的な騒がしさを付け加えているだけに見えて仕方ないのだが、「なんだかな~」と煮え切らないものを感じさせるのもそのせいかもしれない。

もしかしたら、自分の立ち位置をイスラエル社会で見出せないストレスやもがき、というものがあって、「監督アモス・ギタイ」として受け入れられる"国際社会"(フランス中心としたヨーロッパ?)に向かって言葉を発し続けているからかもしれない、とこれまた全く何の根拠もない分析をしてしまう。"イスラエル批判"を自称するギタイ監督であるが、イスラエル国内では真新しさがなくその批判が受け入れられない一方、イスラエル国外で「イスラエル映画」の巨匠として歓迎されるのは、そういった意味では皮肉だな、と私は思う。

私は映画そのものについては全く疎い。「毎日見てないといられない」という船長と比べれば全く目が肥えていない、そんなド素人。そんな素人感覚で不思議なのは、トメル、エラン、そしてギタイも、「映画は報道とは違う」「映画は芸術」とほぼ同様の映画にかける姿勢について語るのに、なぜにこんなにも大きな違いがあるのか、ということ。それも、ギタイだけ批判姿勢も批判の対象も違うのだ。

私なりにその違いについて考えると、アモス・ギタイと他の二人では報道と映画の位置づけが異なるのだろう、というところに落ち着く。報道の対極(またはアンチ報道)に映画言語を位置づけるアモス・ギタイに対して、他の二人は報道とは全く異なる次元として映画言語を位置づけている。

アモス・ギタイの映画を見て、「またこれか」と感じてならないのは、報道と対極はしているのだろうが、結局は視線も言説も報道から抜け出せていないこと。批判の対象は政府、軍といった当局なのだが、批判や批評はすなわち当局に対して、という基本的な視点は世代の違いと言えるのではないか、と感じるところだ。アモス・ギタイの映画を観ると、「イスラエルの人々」が見えない。あえて言えば、見えるのは彼本人。確かにそこには登場人物がいるのだが、彼ら/彼女らは観客同様にアモス・ギタイからのプレッシャーを背負わされていて、自由になれないイスラエルの人々、と私の目には映る。当局に対峙するアモス・ギタイ、という構図はよく分かるのだが、「ひとびと」の登場しないそのような対峙関係は、イスラエルに限らず日本の社会運動などでも観られる一種の世代的な視点なのかもしれないな、と思う。

一方、私と同じ世代のトメルやエランは、まず第一にそうした議論をひとまず横に置くことから出発している。日常の、ひとびとの、普通の、イスラエルだけではなく他にもあるような、そうした小さなところに視点を移しながら描いていく。報道で忙しく議論され、それに呼応する日々の疲れきった議論ではなく、そうした喧騒から身を引いたところから何かを描く。トメルやエランが言う映画言語はそうした視点であって、報道の喧騒から忘れ去られてしまった、まったく別の空間に存在しているものを見つめ、描こうとする言語ではないかと私は理解する。

「撤退」はガザ撤退がテーマではない、という批判もあるだろう。「国境」「民族」「国籍」というキーワードが飛び交う冒頭の電車のシーンからも、ギタイ監督の主張は何もガザ撤退そのものではないことはよく分かる。「撤退」の英語タイトルは「Disengagement」であって、「撤退」というよりはむしろ「切り離し」。実際、ガザ撤退という事実は、交渉をせずイスラエルが単独で一方的に実施した政治決定及び行為であったことを振り返れば、ガザ撤退はイスラエルからの切り離しと理解すべきであろう。ただ、「国境」「民族」「国籍」といったキーワードと「切り離し」について語るのであれば、もっと成熟した議論が実際に存在するわけだし、それに丁寧に耳を傾けたほうがいいのではないかと私は思う。

、、、と、一方的に批判することは簡単であって、何かを「つくる」ということはそれだけで産みの苦しみを味わうわけだからそこをまずきちんと評価すべきだろう。アカデミックだって同じ「つくる」作業の繰り返しだ。自分だったらどうできるのか?その問いに誠実に向かい合い、この化学反応を実のあるものに成長させて、対等に議論できるようになることを目指すこと課された最大の課題であることを自覚して、アモス・ギタイの鑑賞後感を締めくくりたい。

アモス・ギタイ「撤退」鑑賞後感(その一)

構想から完成まで二年余り、脚本も50回くらい書き直した、という「撤退」(アモス・ギタイ監督)について、二時間あまり見ただけであれこれ言うことはどれだけ意味があるのか、正直分からない。しかし、制作者は「素晴らしい!」とただ絶賛されるためだけに二年以上も苦しむのではないし、映画を観た後に何かしら感じてそれを文字にすること、作品を通じたそのような"対話"が産み出されることが映画作りのエネルギー、と私は信じているので、このブログでも取り上げたい。

「撤退」は劇場で見るのは初めてだったものの、自宅で見たのは4、5回。見た後の感じは、「う~ん、なんだかな~」という何ともいえない煮え切らなさが腹に残る不快に近い重さであり、劇場を出た後もそれは同じだった。一つは、登場人物も、台詞の一つ一つも、アモス・ギタイ監督個人が強烈に表に出てきて、その色というか、メッセージ、というか映画を通して私に伝わってくるものが、あまりに個人的に映る、からなのかもしれない。また、メッセージ性が個人的に見える一方、観客には、受けいれなければならない義務のような、責任のようなプレッシャーが無言で映画から求められていて、それが何とも不自由に感じて仕方ない、のかもしれない。いずれも確信的ではないものの、鑑賞後の感覚を冷静に考えようとしながら、またこれまで観たアモス・ギタイ監督の映画を振り返りながら、落ち着くのはこの辺りであることには変わりがない。

7月以降「ペーパードールズ」「迷子の警察音楽隊」「撤退」「テヒリーム」とイスラエル映画に微力ながら関わってきたが、「ペーパードールズ」も「迷子の警察音楽隊」も主役はあくまで登場人物で、監督は作品の裏側で見えなかった。一方、「撤退」では主役は監督であり、その監督が描いた登場人物が主役、と監督が前に出て語っている。その違いは映画言語を用いた表現方法の違いでもあるのかもしれないが、もう一つ世代的な違いもあるのではないかと考えると、「ペーパードールズ」のトメルは36歳、「迷子の警察音楽隊」のエランは34歳、私は35歳、それだけで何となく「あ~」と納得してしまうのは浅はかだとは思いつつ、でもそこに、「社会」というものを見る何かお互いに分かり合える共通性があることは考えてもよさそうだ。また、いずれの映画も「イスラエル映画」とカテゴリー化することの意味について考えることも、「撤退」を観た後の感覚を見直すのにいい材料であると思うので、もうちょっとそこはこだわってみたい(続く)

サーカスが来る!

秋晴れの気持ちがいい日、家族で自転車に乗っていると、ワイン色の大きなテント、そして、ひらめく旗が目に入ってきた。「あ、サーカスだ!」思わず声を上げた途端、何だかワクワクしてたまらなくなった。

自転車に乗りながら、公演に向けて建設中の会場を覗くと、客席となるイスが並べられ、会場の中央には舞台になりそうなステージが形を成しているのがわかる。会場の外には、いくつも並べられているコンテナ。私は「サーカス」という音の響きを耳にすると、公演と共に移動して生活する人達、という"サーカスのくらし"が頭に浮かぶのだが、コンテナはそんな魅力的なくらしの場に見えてきて、さらにウキウキになった。

見れば今月から公演が始まる。会場が徐々にできていく過程を見ていると、完成されたその会場に足を運んで完成された公演を見たくて見たくてたまらなくなる。「ちょうど割引チケットの案内があって、私もサーカスのこと話そうと思っていたとこなの」と船長とも息が合い、すぐに予約。

少しずつ出来上がるテントや会場の様子を見ながら、サーカスのスタッフや動物達もやってきて、練習が始まるんだな~と好きなように想像しながら、公演を待つ日々も何と楽しいことか。この街にサーカスがやってくる!

サーカス

保育園が欲しい!

自宅で仕事をする。この理想的なライフスタイルは、まず第一に仕事がある、それに、仕事のできる環境があることが大前提にある。その道のプロだな~と私が思う人たちには、質の高い継続性が共通している。私も、まあまがいなりにもフリーとして4ヶ月経験しながら、仕事を継続してその仕事を評価され続けること、そのことだけで十分プロであるのだということを痛感している。今仕事がある、ということは確かに安心であるけど、問題は次に仕事があるかどうか、その先があるか、という継続性と持久力だ。仕事が続くためには、質の高い仕事を目指し、質の高い仕事を生み出すためには最低限の仕事環境の確保が必要となる。

我が家の娘"うみ"が数日前から風邪をひき、保育園に行ったものの熱が上がったというので早退してきた。家に帰ってきて風邪で寝ているのならいいのだが、熱があるというのに元気でピンピンしている。「ね~、まだ明るいんだから遊ぼうよ~」とくっついて来るが、本人は気分も体調もいいんだから無理もない。早退直前に食べた給食もしっかりお替りをしたと言っていたし、帰宅してから平熱に下がっている。

うみが毎日保育園に行っているのなら、まあ半日くらいいいか、と割り切って遊びに付き合えるのだが、うみは現在一時保育なので、週の一部しか保育園に行かない。正確には、月曜日から金曜日毎日通う普通の保育園の定員が一杯なので、週の一部しか保育園に行けないのだ。一週間の大半は家にいるわけなので、保育園に行く日は集中して仕事や研究を進めることができる、親にとっても貴重な日となる。その一日を保育園の代わりに家で過ごす、となると仕事は進まなくなるので何とも悩ましい限りだ。

私が住んでいる辺りはこのような待機児童がかなり多いらしく、「一時保育」も一杯。

少子化対策のためには、特に首都圏において、保育所の定員を拡げることが基本だと常々願っている。我が家もそうであるが、夫婦と子どもだけで家族を営む場合、親以外の他人に見てもらえる保育の場があるかないか、はかなり重要だ。フリーでなくても、在宅勤務という形態は家族にとっても、また通勤をしなくてよい親にとっても増えればいいとは思っているが、その間子どもを誰が見るのか?という問題の解決策がないと、自宅が保育園化するだけで結局は実現できない。
実際に経験しないと分からないことが多い、保育園の必要性、こんな立場で実感したのでメモしておきます。

言葉の壁

先日、イスラエルとパレスチナで活動するある日本人フリージャーナリストの現地日記を読んだ。真っ先に感じたことが二つ。結局のところ、言葉(ヘブライ語)が分からないことの恐怖、実はそれが様々な思考と現地理解に大きな影響を与えているのではないか、ということ。それから、「民衆」という神聖視し過ぎた表現に自らが束縛されているのではないか、ということ。これら二つは彼に限ったことではなく、その地に足を踏み入れているフリージャーナリストの多くに共通していることではないか、と思い始めると、どんどん「そうだ、そうに違いない」という勝手な確信に進んでいってよろしくない。会ったこともない人に対する考えが一方的に進むのは怖いので、ここで前者のことだけでも書きとめて私一人の狭い考えから開放することを目指したい。

この現地日記にはガザへ向かう検問所での様子が詳細に記述されているのだが、いかに検問所の扱いが厳しいか、また、非人道的か、という問題はこの地を題材にした現地レポートではよく取り上げられるし、その扱いを非難する活動も多い。検問所の扱いに抗議する活動は国際NGOやNPOに限らず、イスラエル人の友人たちからも「微力だけど、抗議の動きは見せないと」と活動の声を聞いた。

軍服に身を包み、自分の知らない言葉を話す人と接する。その時間は、それだけで十分恐怖だ。ヘブライ語同士の会話は時に喧嘩のようにも聞こえるし、自分のパスポートがいったん自分の手を離れ、そんな兵士達の手に渡り、逐一調べられる間、自分が検問所を通過できるかどうか、という不安と共に「独り」過ごさなければならない時間は、誰にとっても気分のいいものではない。

その現地日記を読んでいると、言葉が分からないがゆえに生まれるそうした恐怖や緊張感、それが検問所という場とそこで過ごす彼の時間をかなり支配しているように思えてならないのだが、それは彼本人の恐怖や緊張感と自覚されそうになる瞬間に、パレスチナの人々が日常的に感じている恐怖や緊張感への共感へスルリと置き換わってしまう。私はこの地の現地レポートを目にする時、すでに見るものを行く前から予想しているのか、個性が感じられないな、といつも感じてしまうのだが、それはこのあたりの壁を自分から他人に置き換えていることなのかもしれない、とふと思った。

言葉が分からない空間にいること、そのことは、そのことだけで耐えられないほど怖いのだ。そして、その怖さを受け入れることも怖いのだ。しかし、この怖さは、言葉が分かれば随分と軽減されるものだと私は信じている。いかつい顔でパスポートを手にしながら、案外他愛のないことを話している、それが分かるだけで、スッと恐怖心も緊張感も消えていくこともある。

現地日記を読み進めていくと、そのジャーナリストは長年その地で活動しているので、様々な情報や研ぎ澄まされた感覚を持っていて、そのことには敬服する一方で、そうした体感したことを英語の情報だけで処理しようとすることが様々な無理を生んでいるように見えてしまう。日本にいるジャーナリストが「Japan Time」や「Daily Yomiuri」で情報や地元感覚を得ようとしてもそれは無理がある、それと似ている。

実は、この現地日記を読んだ同じ日の夕方、この住宅に住むブラジル人と会ったのだが、船長はスペイン語で何とか会話ができたものの、その横にいた私は一言も、それこそ「English」の一語も通じず、「目の前にいるのに目の前にはいない」という久しぶりの言葉の壁を冷たく体感した。それだけに、現地日記を読みながら、そのジャーナリストが直面している言葉の壁が見えて仕方なかった。

言葉が違っても通じ合うことはできる。もちろん私はそのことを信じているのだが、言葉が通じないことで立ちはだかる壁があること、特に、現場に行き、現場を描く、という作業に携わる者として、その限界を自覚しつつどれだけ誠実に現場に接近できるのか、ということは基本的な課題なのではないかと思う。

私は、ガザに足を運ぼう、とは少なくとも今の時点では思わないので、現場に行く、というエネルギーと勇気には素直に感心する。ただ、現場に行けば現場が分かるわけではない、まず言葉の壁があって、乗り越えられるものと乗り換えられないものがあることの見分けは必要だろう。現場理解(他者理解/異文化理解)の過程は、限界点から出発している、当たり前のことだが長く接しているとそれを忘れて「分かった」気になってしまう、ヘブライ語の精度をもっとあげないと、と自分を反省しながら「言葉の壁」について久しぶりに考えた。

監修のオトシドコロ

NS両生類さんのコメントへの返信は昨日のエントリーの続きなので、ここで書いちゃいます。

観客全員が「なっとく!」と拍手されるような字幕というのはないんだろうな~と思っています。それを承知の上で監修などをしているのですが、何よりキャラクターと流れが自然になる、でいてジャマにならない最小限の日本語、これを探す翻訳者さんは芸術家!と感服です。

「ナショナルアイデンティティは抽象的」の箇所ですが、確かに、抽象的は曖昧でもよくて、直前まで悩みました。基本的には字数が少ない、という意味で曖昧に惹かれました。でもその後の「具体性」とのセットで役者さんの抽象的にOKサインを出しました。

国民と民族、これはやはり違って、いずれも政治的だと思うのですが、国民の方がより政治的、という意味で今回は民族を選びました。ちなみに、ヘブライ語で日本語の国民に当たる語はない、と私はほぼ確信しています。これは、考えるとハマリます!

アイデンティティ、これも困りますね~、論文でも困るのに、映画字幕はもっと困る。今回は「民族意識」からはじまって、結局「民族」の一言におさめました。「民族」この一言だけで、曖昧さ、歴史文化を共有する同一性(アイデンティティ)を感じられるんじゃないか、というのがポイントでした。

いずれにしても一本終えて、今日別の一本を終えました。別の一本は、す~っと入ってきたので、ヘブライ語の名前、地名以外コメントなしで提出になりそうです。

17日からの東京フィルメックスを是非!

http://www.filmex.net/index.htm

「ナショナルアイデンティティ」を字幕で

ただ今来週の映画祭で出品される映画の字幕監修中。

ヘブライ語と英語、さらにフランス語が混合しているのだが、英語で「National Identity」という表現があり、その字幕をどうするのかで頭を悩ませている。現在入っている字幕は「国籍」。ただ、「National Identityが抽象的なんだ」。という一文なので、お役所的に処理される「国籍」ではちょっとちがう。

字幕は正確さもさることながら、「なんだこれ?」と考えてしまうようなものではだめ。それに、なによりも長すぎたら読むだけで疲れてしまうので、「短さ」が命。それこそが頭を悩ませるところでもある。曖昧さを考えると、アイデンティティを使いたいが、もちろん長すぎるのでNG。

妥協案として「民族意識かな~」と一応赤を入れ、まだ他の表現がありそうだな~、と頭の片隅で考えながら他のパートを見ているところ。短い中で勝負する字幕、論文にはない奥深さがある。

秋の夜長と秋晴れの一日に

日が陰るのが早くなり、秋の夜長、となると勉強するには最適の空気が流れ出す。寒くもなく暑くもなく、これから夜はドンドン長くなるのだから、研究に集中する力も徐々にエンジン全開へと向かう。こんな風に勉強に集中しやすい気候と環境になることを考えると、新学期の9月開始も悪くないんじゃないか、とも思う。ただ、部活中心の生活、しかも野球部だと新学期に入ってすぐにシーズンオフ、というのはいただけないな~、と考えるとやっぱり気持ちよく「賛成!」というわけにはいかない。

しばらく大きな仕事もないので、図書館に通って文化相対主義に対する当時の日本の文化人類学会の反応、また、民族、人種についての議論を改めてざっと見直そう、と本の予約(これがネットでできちゃうのは今のような生活スタイルでは何と素晴らしいことか!)などをして、「よし、出かけるか」と言いかけたところで、まとまった仕事が、それも複数同時に入った。ヨッフィ!(ヘブライ語のExcellent!)

このブログで何度も書いてきたことだが、フリーの身分で仕事を依頼されることほど嬉しいことはない。いろいろな選択肢や検討事項を含めた上で「じゃあ、この人にお願いしてみましょう」という何かしらの決断があった上で連絡をいただくわけだから、「ご依頼ありがとうございます、是非お願いします!」と我が家は即引き受ける。我が家に仕事を選ぶという考え方はない。

複数同時に仕事、しかもどれも急ぎの内容が重なったので、優先順位、担当分担、締め切りまでの段取り、などなど家庭内作業とはいえ確認することが多いので、早速船長とミーティング。ミーティングを2分で終了させて、早速作業へ。

夜長にいたるまでの昼間の秋晴れもまた最近は気持ちがいい。気持ちのいい日差しを感じながら、来週半ばくらいまでは再び通訳・翻訳家になる。

ジャーナリスティックでアカデミック

研究者は学会論文を書いてナンボなので、書かないと始まらない。評価の基準も、研究者として認められるか否かの基準も、結局は論文の内容と本数。それはどうしようもない事実であって、やるしかない。

私は研究発表などを終えた後に「ジャーナリスティックですね」と言われることがある。「ジャーナリスティックでもありアカデミック」な研究姿勢と研究成果は基本的に目指しているので、「ジャーナリスティック」という表現を耳に出来るのは一瞬褒め言葉のようでもある。しかし、今の自分の研究に対する「ジャーナリスティックですね」という表現は、「でも、まだアカデミックじゃないですね」という表現を和らげたものだと私は理解している。

つかみはいい、多くの人に分かり易い、そして視点が現場に近い。私が「ジャーナリスティックだな~」と感じるのはその辺りが基準なのだが、その部分に関しては自分でも方向性は間違っていない、と自覚している。ただ、「それで何が言いたいの?」という問いについて研究者と土俵に上って勝負をする段階になると、基本的な体力というか、これなら負けない自信のある技というか、耐えうる足腰が弱くてガタガタと崩れ落ちる。「アカデミックじゃないな」と自分で感じるのは、この研究者同士による土俵上での勝負に全く歯が立たない時だ。

「ジャーナリスティックでもありアカデミック」な研究に近づくには、これはもう訓練しかない。淡々と継続する持久力、まずはその力にゆだねるしかないのだ。

こんな改まったことを考えるのも、4月までに学会論文を何本か出したい、とその提出先を考えながら、昨日シミジミと自分の研究について振り返り、また先をにらみ返したからである。

"ちがい"さがし

娘の本を探しているある日、「ちがいさがし」という言葉にであった。「あ、"まちがい"さがしのことか」と納得するまでにそんなに時間はかからなかったものの、その"ちがい"は考えれば考えるほど奥深い。二枚の絵を見比べて"ちがい"を探すあの遊び。確かにその二枚は"ちがう"のであって、"まちがっている"のではない、言われてみれば当たり前なのだが、目からウロコが落ちるくらいの新鮮さがあった。

私は4歳の頃引っ越しをした。その引っ越した先で遊んでいた同年代の子の輪に入ろう、とかなり勇気を出して「い~れ~て~」と言ったところ、「"かてて"と言わなきゃダメ」と強そうな女の子に一蹴された苦い経験がある。子ども心に「そんなの恥ずかしくって、、、」と結局言えなかったのだが、世の中には場所によって違う言葉やルールがあって、それに従わなければ仲間に入ることができない、ことを初めて体験した瞬間として今でも生々しく記憶している。

文化人類学、異文化理解、などと偉そうな単語を使うまでもなく、自分とはちがうな~と思うことは日々の生活の中で繰り返し体験する。しかし、年齢があがればあがるほど"ちがい"を"まちがい"にスルリと変換して簡単に処理してしまうことが多い気がする。"ちがい"を"まちがい"に変換せずに、"ちがい"を"ちがい"としてそのまま受け入れること、その方が簡単なはずなのに、実際にはエネルギーがいるし、また難しい。

「ちがいさがし」は二枚の絵を比べることで成立する遊び。なら、三枚だったら?と考えたら、「なるほど!」と目の前が明るくなった。二枚だけだと、AはBとちがう、BとAはちがうのだが、三枚だったら、AはBとちがう、Cともちがう、つまり、みんなちがう、のであって"まちがい"にはならない。

ちがうな~、と思う瞬間に、自分と目の前の比較だけではなく、もう一つ三つ目のことを考えれば、"ちがい"は"ちがい"のままで受け入れ安くなるかもしれない。研究で生きる上で三つ目のことを充実させるためには読書、書くのはその次、もっと読まないと。

11月4日に思う

7月に来日した「ペーパードールズ」の監督トメル・ヘイマン(漂流博士で参照)から「もしよかったら見てくれ」ともらった『Aviv』。イスラエルではかなり話題になった人気歌手を追ったドキュメント映画、昨夜突然見たくなり映像と音楽に釘付けになった。

「Aviv」で描かれているAviv Gefenは、いわゆる"若者"に支持されたカリスマ的人気歌手で、現在34歳。私はラジオやテレビで彼の歌、顔、名前についてはよく聞いていたが、彼が兵役を拒否し、また(92年当時から)ラビン首相、労働党支持を公言して政治的左派の立場を公私共に認めるなど、政治的言動にも積極的だったことは恥ずかしながら知らなかった。

トメルの映画はその辺りのイスラエル社会の、特に若者層におけるアビブの位置づけと政治的言動とその影響をよく描いている。また、ラビン首相が暗殺される直前の平和集会で最後にステージで歌ったのも、最後にラビンとハグをしたのもアビブだったのだが、その時の映像やコメントがトメル独特のカメラワークで生々しく伝わってきて深夜一人"1995年"にタイムトリップした。

ラビン首相が暗殺されたのは1995年11月4日。そんなことを考えずに映画を見たのだが、今日はそんな「記念(記憶)する日」(記念も記憶もヘブライ語は同語。ここに!!と来る人、気が合いそうです)だ。アビブが「なぜか、その時この歌を歌いたくなったんだ」とラビン首相暗殺直前の歌に選んだのは「Cry for you」。その詩に思わず鳥肌が立ちそうな「私たちはあなたのことをずっと忘れない(覚えている)」等を含んでいることもあり、この歌はその後さらに大きな意味を含むようになって、広く歌われている。

現代のイスラエル社会の流れを凝視する上で1990年代は見落とせないのだが、政治的にも社会的にも大きな転換点となったその時代、特にその一つの出来事であるラビン暗殺直前のウネリをトメルの映像を通して実感した時間を昨夜は疑似体験した。

昨年開かれたラビン首相暗殺記念(記憶)で「Cry for you」を歌うアビブ。YouTubeからの転載です。

通訳者の不安:コリリン監督記事を見て

一昨日、読売新聞「顔」でエラン・コリリン監督のインタビューが掲載されていたのを目にしてホッとした。監督インタビューは私が通訳させていただいたが、実際記事になるまでちょっとした不安、これはいつも経験しながら消えない不安なのだが、今回もあった。

通訳は監督とインタビュアーの中にスポッと入ってしまうので、ある瞬間から自分が発している言葉を客観的に見ることができなくなり、自分の口ながら何か違うものが動かしているような錯覚が続く。少し理想的な、また大げさな表現を使うことが許されるならば、通訳者は監督になり、またインタビュアーにもなる。

インタビューが終わり、その領域から抜け出した瞬間から、監督の言葉と日本語がきちんとつながっていたか、なんだかやけに不安になる。特に、ノリにのって通訳をした後こそその不安が大きい。

「顔」のタイトル「この作品は自分自身」を目にしたとき、「よし!」とこぶしを握った。エラン監督にとっての映画を一言で言い表すならば、「この映画は自分自身」になるからだ。

通訳による不安は、気分よく終えたときこそ大きくなる。エラン監督の言葉の一つ一つは、私の言葉にかなり近かった。通訳をする上でそれ程幸いなことはなく、彼の言葉と自分の言葉が密着していたような感覚は、快感に近いのだが、その分誰にも言えない不安が大きかった。
この度「顔」を読み、自己満足ではない通訳としての仕事をきちんと終えたことを実感し、ようやく不安がとれてすっきりと仕事を終えた気がした。
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