漂流博士

仕事は仕事、人生は違うところにある。

  

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

"イスラエル"映画

「迷子の警察音楽隊」のエラン監督と主演ガバイ氏と四日間ビッチリ時間を共有して、一番感じたことは、彼らはイスラエル映画をつくっているわけではないこと。

私はイスラエルの社会をどう見るのか、という関心で研究に進んでいるのだが、「イスラエルは・・・」とあまりに簡単にイスラエルを主語で語り過ぎている、イスラエルという空間から切り離され議論されすぎている。彼らとの出会いによってその空論を痛感しながら映画祭を振り返る日々である。
スポンサーサイト

ガバイ氏浅草散策

東京国際映画祭の最高賞さくらグランプリ受賞から一夜明けた月曜日午前、前夜の疲れも見せずに念願だった浅草見物へ。
浅草買い物



雷門

「迷子-」がグランプリ!

コリリン監督、サッソン・ガーバイ氏と並んでクロージングセレモニーに出席。各賞の発表に耳を傾けながらも、監督賞、主演男優賞、と名前が呼ばれず、お互いにひざをたたきながら「ドンマイ、ドンマイ、つぎつぎ」と完全に敗戦ムードのまま「さくらグランプリ」の発表となった。

審査委員長がステージに上りマイクに向かうと、手に持っていた紙がピラ~と舞台に落ちた。その時、受賞作品が書いてある面が客席側に見え、三つの単語だということが分かって、「?!」と思った矢先

「Israeli Film,,,」(その後は全く覚えていない)

と聞こえてからは、一気に興奮、感激、感動の大逆転ムード!

すっかり気に入った日本酒を口に「グランプリだと味が違うよ」と大喜びのサッソン氏、「やっぱり賞はいいもんだ」とおおはしゃぎのコリリン監督。そのまま夜二時までドイツ、メキシコなどのほかのコンペ作品の監督、俳優達と飲み歩き、最後はカラオケで「Imagine」を大合唱!

監督は8時、サッソン氏は昼過ぎにそれぞれ空港に向かい、漂流博士の宴も一まず終わった。

「迷子の警察音楽隊」ぜひ!

映画祭のオフィシャルサイト

映画のオフィシャルサイト

東京国際映画"祭"

朝から晩までずっとアーティストの世界にドップリ浸かる、そんな贅沢な日々。見る側の映画しか知らなかった私には、作る側から見た映画が新鮮でたまらない。

これまで三日間、コリリン監督と主演俳優サッソン氏と共に過ごす時間が、「何か言わなければいけない」という私にとっては当たり前だった思考を和らげてくれている。

「何か言いことがあってこの映画を作ったわけじゃない。自分の中に浮かんだ"イメージ"にとことん向き合って、そこに湧き上がるいろいろな感情を浄化して、そぎ落として、そこに残った小さな何かをつかむ。そして、最後まで自分に嘘をつかずにその何かをきちんと描く。ただそれだけ」

コリリン監督にとって「迷子の警察音楽隊」は「私の映画」と言えるまでに至ったそのプロセスがこそが重要なのであって、完成された後のことは自分の仕事の外で動いていること。

東京に来て、自分の映画が日本で上映されているのを見て、見た方々に何かが残って、さらに直接感想まで聞ける、そんな幸せなことなんてないでしょ!と大喜び。世界中の監督や俳優達と出会って、「楽しいよね!」「幸せだよね!」と日本酒片手に一緒にグラスを傾ける。今日は、「ペルセポリス」の監督と「トロントは楽しかったな!」と感激の再会。

東京には映画"祭"に来ているのであって、それ以上でもそれ以下でもない。ずっと一緒にいる私にはそれがよく伝わってくる。その祭に私まで酔っているのだが、明日で終わってしまうことがなんとも寂しい。

「迷子の警察音楽隊」監督/俳優来日!

NHK「プロフェッショナル」で「プロフェッショナルとは?」という問いに対して「また仕事を依頼されるということです」と答えた装丁家の一言が今でも一番印象に残っている。

私は全くプロフェッショナルではないが、フリーで仕事を得る者にとっては「仕事を依頼される」ことが現実であり、評価であり、また先への希望である。

仕事を依頼されることへの感謝の念は、次第に安心や自信へつながる。

さて、いま開催中の東京国際映画祭主要作品部門で出品されている「迷子の警察音楽隊」の監督と俳優(サッソン・ガーベイ氏)のアテンド及び通訳として明日25日から4日間、漂流博士は漁に出ることになった。

この映画を初めて見た直後、派手ではないけど「いいなこれ」と気に入っているので、こんな形で再び関われることになったことは本当にうれしい。

ずっと一緒に行動するので、是非監督や俳優に直接聞きたい質問について船長と話し合って準備完了。この映画についての時代背景については昨日のブログを参照。なお、漁から戻ったら、上級者向け解説のアップを考案中なので、お楽しみください!

今日二本見れる!イスラエル映画

昨日映画に触れたところで、イスラエル人制作の映画について本日見れるものを二本紹介。一本は東京国際映画祭に出品されている「迷子の警察音楽隊」(この映画はフランスと共同。今日14時からTOHOシネマズin六本木ヒルズ、25日19時からはシアターコクーンで)、もう一つはNHK-BS2で22時より放映予定の「甘い泥」、いずれも今日見ることができる。「甘い泥」の公式サイトはこちら

「迷子の警察音楽隊」は東京国際映画祭の公式ページで予告編が見られるので、こちらでイメージがつかめる
監督は34歳と私と同じ世代なのだが、この世代の映画界はかなり元気で将来性も高い。7月に一緒に仕事をしたトメル・ヘイマン監督も同じ世代だ。イスラエルにおける日常も非日常も入り混じった何ともいえない日常の感覚が、私にはたまらなくいい。

「迷子の警察音楽隊」はカンヌ映画祭で複数受賞、アカデミー賞にもエントリーした注目の映画!

映画を見る前に知っておくとさらに面白くなる!ために今回プレス向けに投稿した私の解説を紹介、関心のある方はどうぞ!

----------------
イスラエルとエジプト
1979年3月、エジプトとイスラエルは平和条約を結んだ。この平和条約は、1948年のイスラエル建国から4度繰り返した戦争状態にピリオドを打ち、エジプトがアラブの国として初めてイスラエルの存在を認めたことを意味する。政治的には大きな意味を持つが、両国の関係は時に"冷たい平和"と表されるように、殴りあうことはしないが隣に座っても向き合って談笑する程でもない、という関係に止まっている。

しかし、ディナが「小さい頃、テレビでやっていたのよ...あんな悲恋に恋してた...エジプト映画の燃える恋」と言うように、70年代から80年代にかけてイスラエルではエジプト映画が娯楽の一つであったし、アラブ音楽はイスラエルで一つのジャンルを確立してきた。また、ディナも口ずさむ"愛しい人"を意味する「ハビビ」というアラビア語は、若干のニュアンスを変えながらも、イスラエル人が親しい友人に発するヘブライ語の日常語として定着している。アラビア語やアラブ文化はイスラエルで決して冷たいものではなく、日常の一部に入り込んでいる。それは、アラブ諸国に囲まれていることの他に、アラブ諸国からイスラエルへ移住したアラブ諸国出身ユダヤ人の足跡に関係している。

イスラエルのアラブ文化の歴史
イスラエル国籍を持つイスラエル人の80%以上はユダヤ人で、その多くは国外に出自を持つ。ユダヤ人と言えばスピルバーグやアンネ・フランクが思い出されるが、イスラエルのユダヤ人には、意外にもエジプトやイラクといったアラブ諸国出身のユダヤ人が多いことに驚く。

イスラエル建国当時の中心はヨーロッパ出身のユダヤ人で、目指す方向性もヨーロッパのような近代的な国だった。しかし、建国直後に大量に押し寄せたのは、アジアやアフリカのアラブ諸国出身のユダヤ人で、アラビア語の訛りやイスラム社会に見られる文化を持ち込んできた。ヨーロッパ出身のユダヤ人にとってアラビア語やアラブ文化は非近代的で、イスラエルでは修正するべきものとして受け入れられた。それにより、アラブ諸国出身ユダヤ人は、同じユダヤ人でありながらイスラエルで自らの文化を否定、差別された苦い経験がある。70年代に入るとそれに反発したアラブ諸国出身ユダヤ人が自らの文化を守ろう、と声を上げるようになり、次第にアラブ文化はイスラエル社会に広がっていった。
このように、イスラエルのアラブ文化は、アラブ諸国出身ユダヤ人が声をあげ、イスラエル社会が反省と共にそれを受け入れることで次第に日常生活に浸透していった。それはエジプトと平和条約が結ばれる1979年以前のことで、エジプト映画が娯楽の一つになる下地はすでにイスラエル社会の内部にできていたと言える。

1990年代初期の希望の時代
エジプトとの平和条約以降、周辺地域との大きな政治的転換は起こらなかったが、イスラエル社会のアラブ文化はさらに日常生活に入り込んだ。特にアラブ音楽の楽器や音階に影響を受けたオリエント音楽というジャンルは、1990年代に入るとイスラエル音楽のメインストリームの地位を築き、ヨーロッパで開催される歌の祭典ユーロビジョンにイスラエル代表として出場するまでになった。

1990年代は政治的にもその地域の空気を変える出来事が次々と起こった時代でもあった。93年には当時のラビン首相とパレスチナを代表するアラファト議長が握手をし、翌94年には東側の国境を接したかつての仇敵ヨルダンと平和条約が締結された。"もしかしたら和平は実現できるものかもしれない"、というムードが人々の間で漂い、かつては差別の対象だったアラブ文化が、"センター"で披露されることが起こりうる時代であった。1990年代初めという映画の舞台は、監督にとってもいい時代だったに違いない。

そのアラブ文化センターの落成式に招かれたエジプトの警察音楽隊は、"希望を開く"を意味するペタハ・ティクバではなく、南部のいなか町ベイト・ティクバ"希望の家"に迷い込んでしまう、そこからこの映画は始まる。

マメ知識
楽団員を演じる俳優、イスラエルの中のアラブ人

エジプトの管弦楽団を演じているのは、イスラエル全体で約15%を占めるアラブ系イスラエル人と呼ばれる俳優達である。権利も義務もユダヤ人と同じイスラエル人でありながら、イスラエル国内においては二級市民的にアラブの人と呼ばれ、アラブ諸国に行けばその所有するパスポートからイスラエル人と呼ばれ、どこに行っても居場所が得られないと本人達も口にする。アラブ系イスラエル人の男性は、家庭でアラビア語、仕事場でヘブライ語を使い分けるバイリンガルがほとんどで、劇中の俳優達も日常生活ではアラビア語とヘブライ語の二語を操る。

以上

脚本、監督、主演全て自分:学会発表

学会発表から二日経ち、ジンワリと頭の中でいろいろなことが広がる。野球の試合の後の、あの感覚と同じだ。何であそこを狙わなかったんだろう、あの球を見逃してなければ、似たような反省だ。ただ、研究を職に目指すのであれば、反省をその場限りで消化しているだけでは不充分。課題、それに対する対応の仕方を含め、船長とのミニ戦略会議も経て今後の目標は随分具体的になってきた。改めてゴー!しかない。

研究者になろう!そのためには博士号がなければ!と思った決定的な要因は、研究のプロセスも当然ながら、自分の責任で発言をしたい、という一言に尽きる。"イスラエル"というその響きから様々な連想がされる地域を対象にする際、この点での覚悟があるかないかで研究の姿勢は随分左右される。自分にはそれができる、というある程度の自覚も今の方向性に導いてくれている。

7月に独立以降、いくつか映画の仕事をさせていただいてきた中で、映画と研究の違いについてもいろいろと考えさせられた。(参照「SkipシティDシネマ国際映画祭に参加して」)

今回の学会発表の準備の過程で感じたことは、学会発表というのは、脚本、監督、そして主演、細かく言えば映像から音響まで、とにかく全て自分で決められる作品であること。どんなに優秀で、潤沢な資金がある映画監督でも、そんな作品は作ることなど不可能だろう。

今回与えられた25分という時間をフルに使って、自分で好きに演じていい、そんな贅沢なことが研究者にはできるのだ。

その贅沢で自由な枠の中を一人占めできるのが研究者の特権であれば、その作品に対する全ての責任も研究者個人に負わされている。

研究者になるには、その自由を満喫する楽しみと、責任に耐えうる覚悟と忍耐力、その両方が必要なんだと思う。そのためには、やっぱり日々の素振りしかない!と気持ちのいい秋晴れの一日に力が入る。

試合でバットを振ってこそ

一人で素振りをしているときのイメージは常にクリーンヒット。スイングしてその先に飛ぶ球は、いつも会心の当たりだ。

しかし、試合で投げられる球を振った後の結果は、決してクリーンヒットではない。なぜ凡打したのか、なぜ絶好球を見逃したのか、試合のバッターボックスに立たなければ反省も悔しさも得られない。

試合で投げられる球は限られている。その数少ない球をイメージ通りにクリーンヒットで打ち返すには、やっぱりひたすら素振りしかない!

昨日の学会発表を終えて、いまジワジワとこの手に感じるのである。

いまが人生で一番

「娘さん何歳ですか?」
「三歳です」
「あ~、今が一番かわいいときですね~」

振り返れば「一ヶ月です」という時も、「一歳です」の時もおなじ言葉を耳にした。きっと、これは礼儀的な挨拶なんだと思うのだが、父親としては周りが何と言おうがずっと今が一番かわいい、といい続けたい願望は、ある。

結婚するカップルに向かって「いまが一番幸せなときですね~」というのも礼儀的なコメントとして随分確立している。そういうコメントには「結婚=ゴールイン」がくっついている。でも待てよ、結婚というのは式の瞬間ではなくて、その後のなが~い二人での生活のことを示すはずだ、という違和感を感じる人は私だけではないであろう。結婚式が一番幸せだったとしたら、その後の結婚生活は、何とつらいことか。そう言えば、この夏にイスラエルTVのコーディネートで渋谷を闊歩する若者といろいろ会話した時、「結婚とかしてみたいよね~」と無邪気に言う女の子がいたが、これは結婚式をしてみたい、であって、結婚生活がしたい、という意味ではない。

さて、退職してからほぼ四ヶ月近くが経過するのだが、いまが一番家族で一緒にいる時かもな、と思う。いや、これはほぼ間違いない。自宅で仕事をするのは理想だが、このままずっとというわけにもいかない。そのうち娘が保育園に毎日通いだし、学校に通うようになったら、娘は家からいなくなる一方だ。少なくとも自分の子ども時代を振り返っても、船長の子ども時代を振り返ってもそうだ。子どもはいずれ巣立っていく。

と、残るのは夫婦二人。結婚生活って、いまが一番いい、という瞬間をふたりで積み上げていく過程なんだな、と思う。

今年のシーズン終わる

阪神がクライマックスシリーズで二敗とあっけなく終わり、トラファン漂流一家のシーズンも終わった。そのショックで更新遅れ、、、というわけではないのだが、一日遅れで久しぶりの野球ネタ。シーズン前からセ・リーグ上位三位は阪神、中日、巨人は不動であって問題は順位、と予想はしたものの振り返ればポストシーズンに進めたのが御の字という結果であった。それにしても、短期決戦に弱いのはなぜか。

川上に全く歯が立たない第一戦を見ながら、2005年の日本シリーズ対ロッテ戦を思い出してしまった。あの時もそうだが、短期で勝つためのデータ対策をしているんだろうか。思わず手が出てしまう阪神と、そこを見極める中日、打者を見れば一目瞭然だ。しかも二勝をかけた先発が下柳と上園、一方中日が川上と中田では、「勝てそうにないな~」と感じながら、やっぱり負けに進む、そんな二日間はロッテ戦と全く同じだった。

私が岡田だったら、ということは私だけではなく多くの阪神ファンが考えることだが、基本的にもっと若手を根気よく使うべきだ、という点についてはシーズン中から注文を付けたい点である。その一人が桜井。桜井を一軍に!とは二年以上前から船長と意見を共にしていたので、私たちから見ると、遅すぎるのではないかと思うくらいだ。選手の状態は目の前のスタッフが最もよく分かっている、と一歩譲ったとしても、シーズン中の使い方はあんまりだろう。チャンスで打順桜井、という場面で何度桧山に代打が送られたか。後半こそ桧山は価値ある一本を打っているが、7月8月はどう見ても打てないオーラが桧山から出ていた。そんな桧山に目の前で代打を告げられた桜井自身は相当悔しい思いをしたに違いないが、そんな断片的な使い方でも気持ちを切らずに最後まで出たことが来年以降の力になることを期待したい。投手の場合は若手であっても怪我も恐れず使う割には、野手の使い方はどうも中途半端。若手の使い方含め、シーズン通したコーチ陣との意思の疎通が今後の基本的課題ではないか、と私は見ている。

それから、派手ではないが評価すべきは野口の打撃。矢野の隙間を埋めるような出場が続く中、少ない機会にきちんとヒットを打つ、クライマックスシリーズでもしっかりヒットを打つ姿からは学ぶものが多い。ずっと試合に出ている選手と違い、気持ちの面でも、また技術面でも一球に向かうのは難しい。それでありながら、出る試合ではきちんとプロとして仕事をする、その集中力は私も是非見習いたい。

とにかく長いシーズンが終わった。選手にはゆっくりと休養をとってもらいたいが、はらはらしている選手も多いだろう。プロ野球選手は一流以外は単数年契約。クビになるかもしれない、その危機感と向き合う選手も少なくない。博士の就職に関する内容で「非常勤といっても年収500万で不安定」という記事を目にしたことがあるが、プロ野球選手の最低年棒は440万円。体資本で夢を売るプロ野球選手、そんな彼らが球場に戻る来春まで漂流一家の野球観戦もしばらくお休みである。ちなみに、これから盛り上がるクライマックスシリーズは中日!落合のような野球が優勝しないと野球は面白くならない。

自分の言葉探しの過程

来週に迫った学会発表のために半年前に仕上げた博士論文と久しぶりに向かい合っている。「出来損ない息子との再会:校正」(参照)でも書いたのだが、しばらく経って自分が以前書いたものを読むのは決して楽しい作業ではない。

口頭発表では論点が多岐にわたり過ぎてはいけない、いろいろ言うと聞き手にうまく伝わらない。それは聞き手としての経験と、基本的に複雑な思考が苦手な私の持論だが、口頭発表はとにかくシンプル一本でいくしかない。博士論文はそのシンプルさに欠けていて、捨て切れなかったものまでてんこ盛りなので、そのなかからシンプルな一本の筋をきれいに紡ぎだす必要がある。

紡ぎだす作業は、いろいろ調べて考えた結果として論文を書いたプロセスの逆戻しではない。そのことを今回は何度も実感しているのだが、おそらく、書き上げた後に新たに読んだり聞いたりして生まれた視点によって紡ぎだしたい視点が論文を書いた時点とで異なっているからだろう。

いろいろ読んだ中でも、久しぶりに読んだ酒井直樹の論述は博士論文の内容をビシッとしめて、来週の発表でも活かしたい視点を投げかけている。酒井氏他三名が編集した『ナショナリティの脱構築』(1996年柏書房)を久しぶりに読んだのだが、10年前には???だったのが!!!に大変身。私は読みながら参考箇所をドンドン打ち込む作業は今でも継続しているのだが、お、これは!と言うところには本に直接鉛筆で☆をつける。☆をつけたい箇所が止まらないのは久しぶりだ。

『無境界の人』『ナショナリズムの克服』等でその異才を知った森巣博氏に私は基本的な路線として非常に共感が持てるのだが、酒井直樹氏を"久しぶりの天才"と言ったような表現で絶賛していた点には全然納得できなかった。振り返れば、単純に酒井氏の主張を理解していなかっただけなのだ。もう一度丁寧に読んで酒井氏の主張を理解すると森巣氏が絶賛することがよ~く分かる。「「われわれ日本人」という強烈な思い込みを持つ人々がしばしば、「外人」恐怖症に悩む外国経験のある人々である」(『ナショナリティの脱構築』;10)という酒井氏の表現は森巣氏もよく繰り返していることだが、国民文化、民族文化をその文化という言葉に秘められた政治的な意味合いに注意しながら丁寧に紐解いている箇所など、手を合わせて読みたいくらいである。

手を合わせて感動しているだけではその感動も伝わらない。その衝撃や感動をきちんと自分の言葉にしなければ発表を通して聞き手に伝わらない。自分の言葉をきちんと見つけるためには、自分の書いた論文と向き合う作業が不可欠だ。他者の言葉と自分の論文(過去の自分の言葉)をぶつけ合わせて、そこに生み出す新たな自分の言葉をキャッチする。そこまでくるとしめたもの、なのだがその完成品に向けてあと一週間、作業は続く。

10年遅れのプレイボール

仕事で中央省庁に足を運んだ際、そこに勤務する大学時代の同期で、短い間ながら共に白球を追った友人と5年ぶりにあった。彼は在学中に中心選手として活躍する真っ只中に部活を休んで国家公務員試験に専念し、一発合格。以来10年以上外交の世界に生きる。

「お前がアカデミックに行くとはな~」

大学の友人に会うとよく言われるのだが、彼もやっぱりそれを口にした。いつもその言葉には自分でも納得なのだが、それは在学中に目にした勉強大好き、読書大好きな友人達こそがホンモノで、私はナンチャッテという意識が今でもなくならないから。

「いかにも学者って感じのやつら、いたもんな~」

そうなのだ、そういう連中が周りにはたくさんいて、私はそんな人たちを外から見ていた。私の知っている限り、そういうホンモノの学者を目指した友人達は卒業以来大学院に進み、いずれかの機関に所属してその道で職を得ている(漂流博士の過去ログ参照)。いわゆる、博士が就職できないという問題は、そうしたホンモノには含まれない博士がアカデミックに限らずどう生きるかの問題だと認識しているのだが、いかがだろうか。

在学中からその友人には「お前、イスラエルに行って、そんでどうすんの?」とよく聞かれた。確かに自分でも分かっていなかったし、具体的にどんな道があるのか、何ができるのか、やはりよく分かっていなかったのだな、ということを再び思い出した。

かつては1、2年先のことしか見て行動しなかったのが、今では随分先までのことを見越した判断と行動ができるようになった。私にとっては大きな変化も、外交に生きる彼にしたら、そんなことすでに大学在学中から当たり前のことなのかもしれない。

私の場合は家族のなかで生きるという覚悟ができたことで、ようやくおぼろげながらどんな道に進みたいのかが見えてきた。大学卒業から10年以上が経過してやっと友人達と同じスタートラインに立った気がした。そんな話しをすると、船長は「継続は力だよね」と暖かな励ましをしてくれる。自分ではそんな風に考えたことはないけど、振り返れば長いこと大学院生活は送った。その力をこれから先に活かすときがようやく始まるんだな。

「工藤慎太郎がユニクロ!」

雑記続きで申し訳ない。

娘の「海」が朝のテレビを見ていると、

「あ、おんなじだ!」

と叫ぶので船長が駆けつけ、画面を見て驚いた船長が私に

「工藤慎太郎がユニクロ!」

と謎の暗号のような言葉を発しながらやってきて、慌ててテレビを見に行くと、確かに聞きなれた工藤慎太郎の声がユニクロのロゴと一緒に流れていた。
そう、工藤慎太郎がユニクロのCMで使われているのだ。

工藤慎太郎については、このブログでは偶然出あった彼について二週間ほど前に取り上げているのだが参照、「CD買えば彼の励みになるかも」なんて思いながら漂流一家ではCDを購入した程その新鮮さ、そして素晴らしい歌声に感動したばかりなのだ。今でも彼のライブにはまた行きたいと真剣に思う。

「ねえ、でもさー、脱いでたよ」

とは唯一そのCMを全て見ていた娘の謎のコメント。我が家はそんなにテレビを見ないのだが、謎を解明するCMにまた会えるか!

漂流博士のみた「ぶつかりげいこ」

時津風部屋の力士死亡事件で最近よくメディアで語られる相撲の「ぶつかりげいこ」について一言。このブログは社会情勢や国政を分析するニュースブログではないので、基本的にそうした話題に触れるつもりはない。しかし、表題の件についてはどうもメディアによって「ぶつかりげいこ」が"創られている"(ホブズボウム『創られた伝統』に感染してます)という気がしてならないのだが、これは日本における中東の語り方や人類学における"異文化"理解にも私の中ではつながっているので漂流博士でもコメントさせていただきたい。

今回の事件は6月に現役力士死亡というニュースが入った直後から、力士の出身地から身近なニュースとして随分気にはなっていた。ただ、このような展開になるとは全く想像していなかった。暴行によって力士が亡くなるようなことは断固あってはならない、ということは当然のことながら、亡くなった斎藤さん、また残された親族のことを思う"つらさ"もそれ以降随分変わったことは私自身はっきり自覚している。

その上でコメントしたいのだが、まず、「ぶつかりげいこ」はだれでも稽古を見に行けば目にすることができることであって、相撲関係者だけが知っている密室のできごとではないと言うこと。元力士や元相撲関係者に聞くまでもなく、相撲部屋の稽古を見たことのある人であればだれでも"証言"はできる。そういう私も「ぶつかりげいこ」を見たことがある。

といっても、私が目にした「ぶつかりげいこ」は三年前であり、それが最初で最後の一回ということは一応触れておきたい。2004年5月に相撲を取材したいというイスラエルのテレビ局のアテンドをして佐渡ヶ嶽部屋へ出かけていったのだが、カメラを含めた取材機器も一式持ち込んでの撮影であった。また、私の不勉強を晒すようで恥ずかしいのだが、当時「ぶつかりげいこ」という言葉は知らなかったので、目の前で起こるすざまじい稽古を"ものすごい稽古"という小学生の感想文のような表現でしか理解しえなかった。つまり、振り返ると「ぶつかりげいこ」を見ていたのか、というのが私の認識である。

一人の力士がぶつかっても投げられ、ぶつかっても投げられ、時に顔面に拳を食らう場面を見て、同行したイスラエル人の女性キャスターは何度も顔を背けた。相撲の稽古は厳しいとは聞いていた私も、その厳しさの想像を絶する光景を目にして表現する言葉が見つからないほどだった。しかし、どのスポーツにも厳しい練習や稽古があり、相撲はあの巨体がぶつかるそれこそ想像を絶する競技であるのだから、あれくらいの稽古をしなければ体が持たないのだろう、という理解をその時もしたし、今もそう信じて疑いがない。

その「ぶつかりげいこ」をバックに同女性キャスターが急遽コメントすることになったのだが、"相撲のすざまじい稽古"、"私たちには想像もできない稽古"といった内容のコメントが全てであったことを私は記憶している。もしも、今、日本のテレビカメラが入ってコメントするとしたら、「暴力」や「暴行」探しで忙しいのだろうが、そうした表現に束縛されていなかった当時は、相撲の稽古、として受け入れられたし、その様にして視聴者にも伝わっていたのだろうと思う。ちなみに、その画面の向こうには当時十両に上がったばかりのまだ細身の琴欧州が映っているのであり、むしろそちらに「お宝映像」的な価値が見出される取材であった。

「ぶつかりげいこ」の後、白いまわしをつけた関取衆が土俵に上がったのだが、私はその美しさにうっとりした。肉と肉があたる音を美しいという表現しか持ち得ないのがもどかしい程、それは美しかった。特に、シルエットに浮かんだ琴龍の肉体美、そして琴光喜のしなり、スピードにプロのアスリートのすごさを見て、私は釘付けになった。そして、「ぶつかりげいこ」を乗り越えて体を強くして、精神を強くして、そうして上り詰めた関取だからこそ、その「美しさ」が表現できるものだとその時納得したし、今でもそれは変わらない。

稽古が終わった後土俵を清めていたのは「ぶつかりげいこ」でガンガン投げられていた若手力士であって、そこにはすっきりした表情があった。野球やスピードスケートの辛い練習を経験している私には、おそらくそうした練習後の充実感や爽快感を遥かに超えるものが相撲の稽古にはあるんだろう、と自分には到底真似のできないことを目指している彼らを尊敬の眼差しで見つめたことをよく覚えている。

以上が私のみた「ぶつかりげいこ」なのだが、私は日ごろから相撲を取材している相撲記者の方々が、現在の「暴力」から開放された「ぶつかりげいこ」についてもっとコメントすべきであろうと思う。相撲もスポーツも分からないようなコメンテーターやキャスターが騒ぐ必要も、また「元」関係者にマイクを向ける必要も全くないことであろう。「暴力」に束縛されているのもメディアであれば、相撲人気を復活させることができるのもメディアであると私は思う。

行き過ぎの暴力は決して許されるものではない。しかし、100キロ以上の体がぶつかり合う相撲は、私たちの普通の想像を絶する競技であって、想像を絶する稽古を乗り越えた者だけが成れるプロの競技であることを忘れてはならないであろう。

相撲ファンは、またメディアも、相撲でしか見れないすごさを力士に求めている。現役力士の皆様には、外野の声を気にすることなく、プロ意識を大切にして、これまでどおりガンガンとぶつかりげいこも含めて稽古に励んで欲しいと願うのである。

娘の運動会に参加!

秋晴れのいい天気、まさに運動会日和のひと時、三歳の娘「海」が通う保育園の運動会に漂流一家で参加。万国旗がはためく下で、ござを広げて観戦する家族(多くが祖父母)、入場門や退場門(それぞれ"がんばり門""げんき門"となっていた)なんかを目にして、「あ~運動会だ!」と眠っていた細胞がザワザワするのを感じながら、アンパンマンの「さんさん体操」を一緒に踊って大満足。

保育園といっても「海」が通うのは一時保育。週に数日だけ行ける枠。自宅で夫婦で仕事をする漂流一家としては毎日保育園に行って欲しいし、「海」本人も毎日行きたいのだが、保育園が受け入れられないのだ。この辺りはいわゆる待機児童が多く、一時保育で何とかやりくりしている家庭が多いのだが我が家も例に漏れず。定職に就けない博士は自宅で研究をしなければならず、同様の問題に遭遇している方々がきっと多いのではないかと想像する。

しかし、一時保育のメリットというのも、まあ無くはない。「海」の通う一時保育は一クラスしかないので年齢がごちゃ混ぜ。まだ喋れない子から、4歳くらいまでが同じクラスで朝から一緒に過ごすので、家では一番小さな「海」も小さな子の手を引っ張ったり、ご飯を食べさせたり、お姉さんの経験をする(らしい)。もう一つは、週に数日しか行かない保育園で一緒になる子どもの親達とのさっぱりした関係。幼稚園と保育園の違いはいろいろあるけど、一つにはこの親の関係が結構大きいと思う。

娘の保育園に行く途中に幼稚園があるのだが、母親達の「おはよう」のトーンが保育園のそれとは違う。幼稚園の前で耳にする母親同士の「おはよう」はトーンの高い友達同士の挨拶。一方、保育園に子ども達を預けにくる親達は働いているので、本当に挨拶としてさっぱりと「おはよう」を交わすだけ。その後はそれぞれ忙しく仕事に行ったり、帰宅したりするので、じっくりと話をすることはまずない。

そうした保護者の方々とじっくりと話を初めての機会が、運動会でもあった。「さんさん体操」が終わると一時保育に行く子ども達の運動会は終わりなので、「海」は保育園でしか会えない友達と元気一杯に遊んでいたのだが、その姿を目の前にして、「○○ちゃんのお母さん」「ママさん」、そして時に「パパさん」と話をした。同じ年齢の子をもつ親だけが感じられること、「一時保育」であることの苦労等など、同じ境遇にいる仲間として共感しつつ過ごした楽しい時間は、運動会に行く前には想像もしなかった。

本日もまたまた秋晴れ!今日は子ども同士よりも親同士が仲良しの家族と一緒に動物園へ。行楽の秋である。

レバノン"から"の移民問題

「レバノンは移民国家です」。レバノン移民研究センター副所長による研究会の案内を受け取った時、この最初の一文で私はレバノン「への」移民を想像した。しかし、実際には研究会でのテーマはレバノン「から」の移民であり、レバノン国外に生きるレバノン人、その現象こそが議論の中心であった。

研究会のテーマがレバノン「から」の移民であることは、発表で使用されている移民を指す単語が、自国(そもそも自国とは何か、という議論はされるべきですがとてもここではスペースもないので省略)から他国へ移住することを意味する"emigrate"だったことで気づかされた。確かに、再度案内文を読むと「国内人口推定300-400万に対して、在外レバノン人は推定1200万といわれています」とはっきり書いてあるのだから、レバノン「への」移民と思い込んだのは私の勝手な早とちりだったのだ。

私の思い込みをちょっと冷静になって分析してみると、「移民」という響きが自国から出て行くというよりも、"やってくる"という意味合いの方が強いためではないかと思うのだが、いかがだろうか。アメリカは移民国家、イスラエルは移民国家、という表現は一般的に成り立つと思うが、いずれも「外からやってくる人々」によって国家が形成されていることを表す。その場合の移民は、"immigrants"で今回の研究会のキーワードであったemigrantsとは人の動きのベクトルが異なる。会場に入り、emigrateと聞いた瞬間に「なんだ、immigrateでないのか」と自分の思い込みが解けて明確になったのだが、「移民」だけだと人の動きが外に向かっているのか、内に向いているのかがやっぱり分からない。

さて、研究会の内容はなかなか刺激的だった。年々レバノンから国外への移住者が増えていることと、そんな移住者がレバノン国内の親族に送金を続けながら自国とのコンタクトを維持しているというのが発表の肉の部分(ヘブライ語的表現)。身近なところでは、日産社長のカルロス・ゴーン氏もレバノン"移民"であるし、夫人のリタ氏は都内で「マイ・レバノン」というレバノン・レストランのオーナーになっている。なるほど、そうしたレバノンとの維持の仕方もある。

ただ、個人レベルにおいて、よりよい生活、より安全な生活、また夢を追って、国外に生活の拠点を移すこと、またその選択肢が増えていることは、レバノンに限らず国際的な現象であるし、人々の移住それ自体はレバノンの特徴でもない。個人レベルでは"国外に出る"ということは決してネガティブなことではないし、むしろ先に進むような、そんなポジティブな意味合いがある。レバノンでも両親たちは子ども達に"国外に出なさい"と積極的に勧める傾向があることを学んだ。ちなみに、博士号が日本で取得できるようになったことで、研究の場の選択肢が多くなったのだからその事実はもっと理解されてもいいのでは、ということはこれまでもこのブログで書いてきた。(参照1.、2.3.)

個人レベルでは歓迎される国外への移住は、一方で国家からの視点になるとたちまち"問題"となる。さらなる活躍の場を求めて大リーグに行く選手個人は評価されるが、日本プロ野球界という視点になると空洞化や人気低迷といった"問題"になることと似ている。今回の発表でも、国外への移住が国家にとって人口問題、経済問題、知能の流出といった意味で「危険」という表現で指摘された。これもまたレバノン特有の問題ではないであろうが、グローバルな現象が国家の枠に「問題」として戻された時、それをどうグローバルな視点で議論できるのかは、今後の移民の研究の大きな課題のような気がした。

議論が国家の枠組みに戻った時点、すなわちグローバルな現象が国家の内政問題にシフトした時点で、その議論に参加する者、もうちょっと踏み込んで言えば、議論に参加する権利をもつ者が極端に限られる。今回の研究会で少なくとも私はそれを実感した。発表のタイトルは「Lebanese Emigrants and Remittances:The Gain-Loss Debate」と「レバノンの」というナショナルな枠組みを提示しており、レバノンという国家にとっての「問題」が研究の様々な過程には横たわっているのだな、ということは読み取れ直接発表者に質問をして確認もしたのだが、その「問題」について私はどう受け止め、また考えればいいのか、という思考の力を持たないことを痛感したからだ。

私はこれまで、"やってくる"移民をどう受け入れるのか、という視点ばかりに専らとらわれていたのだが、出て行く人々をどうとらえるのか、またそれをどうすれば国家の枠組みを脱してグローバルな議論へと展開できるのか。こうした新たな課題が見つけられるのは、一人で本を読むことではなかなか得られない。研究会という議論の場に足を運ぶことの収穫はやはり大きい、収穫の秋真っ盛りである。

イスラエルは世界で一番、、、

イスラエルの友人達から結構どうでもいいジャンク系のメールが送られてくるのだが、これはイスラエル人の自己表現の仕方が垣間見れて面白いので拝借させていただく。

このメールは先月半ばユダヤ歴新年の頃に出回ったメールなのだが、内容は見たこと聞いたことあるな、というもの。イスラエルでは"イスラエルにしかないもの"はよく語られる話のネタの一つ。例えば、8月に来日したチャンネル10のテレビスタッフも(その時のブログ漂流博士はこの辺りを参照)回転寿司をつまみながら、「ウエイターが"俺だったらこれ勧めるよ、だけどこれはまずいから止めときな"なんて客に言うのはイスラエルだけだよな」と議論していた(あの話しっぷりは"語り"ではなくあえてギロンと言いたい)。こうしたネタには、政情の不安定やテロといった自虐的なものが占めるものの、時にプラス思考のネタもある。

タイトル「(新年を迎えた)イスラエル国に関する自慢のデータ(原文はPositive Datas)」のメールは、「国土面積世界150位、人口は世界の1000分の1が生きるイスラエルに関する自慢できる素晴らしい事実」と始まる。以下、全部は長いので私の解説を挟みつつ、一部抜粋。

1.イスラエルは出生率が西側諸国で第一位
(1.3の日本からは羨ましい。確かに三人目、四人目を産む女性が結構多い、しかもキャリアウーマン!)

2.一人当たりの新刊書の所有率(読書率?)世界二位
(村上春樹、よしもとばなな等もヘブライ語に訳されて人気作家)

3.NASAが打ち上げた人工衛星MEDIMから地球に動画が送信される技術は二人のイスラエル人によって開発された
(それは知りませんでした。が、データの送信技術とファイアウォール技術はイスラエルが得意としているところなので、よく考えると納得ですね)

4.Windows XPはイスラエルにあるWindowsの研究開発所で開発された
(MicrosoftのR&D(研究開発)があるのはアメリカとイスラエル。ちなみに、Intelの研究開発と工場もイスラエル。さらに、IntelがPentium4の開発をする際、開発コードネームをイスラエル北部にある有名な滝の名前"バニアス"にしていた)

5.初の"メッセンジャー"は1996年に4人の若手イスラエル人によって開発された
(これ、ICQのこと。この話はイスラエルのIT産業サクセスストーリーとして今でも語り継がれています)

6.水の使用量を劇的に抑えることができる点滴灌漑システムはイスラエルで開発
(日本のお茶園でも使っているとか。砂漠対策などにも有効な技術)

7.2006年インド洋沖の大地震と津波が発生した際、120人の医師を派遣、82トンの医療援助品を輸送。
他人が困っていると黙ってられない人たちですからね。2004年の新潟県中越地震の際には山古志村に義援金送ってます(毎日新聞報道)

と、自慢のネタが並び、メールの最後は:

2006年の一人当たりの年収はイギリスの一人当たりの年収より高かった、一方、まだ問題が山積み。それでもまだ生活に満足しない方は、時に現実という名のコップに入った半分の水を見つめるのもいいのではないでしょうか。

家族の皆さん、そしてイスラエルの人々にとってよい年でありますように!


と結ばれている。

自分達が世界からどう見られているのか?をものすご~く気にしながら、一方で自分達の肯定的な面を認識しつつ現実を受け入れようとする、そんなイスラエルの人々がよく伝わってくるメールです。

波に乗った漂流生活

今月は仕事の依頼がパッタリ減った分、研究会の案内が連日入るようになった。暑さも去り、涼しくなって勉学の秋の季節に入ったことを知らせてくれるようだ。研究会の案内は仕事が詰まっているとスケジュールに入ることはないので、こういうタイミングで案内を受けることができるのはかなり嬉しい。

今週だけでも研究会が二日連続。それもカレン・コーニング・アブゼイドUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)事務局長の講演、レバノン国ノートルダム大学レバノン移民研究センターGuita Hourani副センター長の講演、とテーマも私のつぼに入るものばかり。パレスチナ自治区内の現状については間接的な話位しか聞いたことがないので、UNRWA事務局長の話はそれだけで楽しみである。一方、イスラエルの帰還民受け入れ政策(イスラエルの場合、ユダヤ人だと入国と同時に市民権を取得できるので、移民と区別して"オリム"帰還民)をテーマとする私には、隣国レバノンの移民研究者Guita氏の話は今からワクワク。どんな切り口なのか?そもそも移民に対する市民権の授与はどうなのか?言語教育の提供、労働機会などはどうなっているのか?国民化の過程はあるのか?話を聞く前から質問が止まらない。

う~ん、知的好奇心がクスグられる。仕事は忙しいときに限って新たな仕事が重なる、でも仕事がなければ研究会の案内がちゃんと入る、漂流生活も波に乗っていられる間は心地がよい。

出来損ない息子との再会:校正

週末、数ヶ月前に仕上げた『エチオピアのユダヤ人』(明石書店)の書評の校正用ゲラが送られてきたのだが、あまりのできの悪さに目を覆いたくなった。といっても、それ、私が書いた自分の原稿である。「お前よ、こんなにも出来が悪かったのか」と思わず両手でつかんで見つめてしまったが、活字として世に出る前に少しでも磨いてあげたい、そんな思いで赤を入れた。

何が悪いって、文が長い。私は、少し前にも告白したが読むことが苦手なので(参照:漂流博士「いい本の基準」、長い文になるとお手上げである。できるだけ短い文、「○○はXXである」位のスパッ、スパッという文が好き、というか、それくらい短くないとすぐに迷子になってついていけなくなるのだ。長い文を読む人の辛さが分かるので、自分が書くときにもなるべく文を短くするよう心がける。それなのに、数ヶ月前に書いた書評は、何だこのざまは、と自分に吐き出したくなるくらいタラタラと長い。

私の場合、文が長いということは迷いの表れである。読み進むと確かに迷っている。迷っていると文が長くなるだけではなく、段落の展開もつながりがなく危なっかしい。途中いくつかスパッという明るい箇所はあるのだが、それまでの流れが悪い。ここは相当強引にいったな、と数ヶ月前の自分を振り返るのは正直あまり気分のいいものではない。

最大限かつ編集者の方に迷惑のかからない最小限の範囲で赤を入れ、もう一度見送る程度にまで少し成長させることができた。今回再校はしないので、この次に目にするのは活字になった後、もう完全に一人立ちしてしまった後である。

数ヵ月後に出会うこの書評は、今の私。その時に「相変わらず出来損ないだな」と思うかと想像すると辛い反面、「いい出来だな」と思ってしまうのもちょっと怖いな、と。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。