漂流博士

仕事は仕事、人生は違うところにある。

  

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藤田志穂さんMy Hashiをイスラエルへ呼びかけ!

独立後最大の仕事がいよいよ残り一日!

六本木ヒルズにある屋上庭園の田んぼ、京都議定書を取りまとめた大木元環境大臣やドキュメントらしいアイテムを並べながら、番組シリーズのテーマが30年後の世界なので次世代を担う若者の意識や取り組みも取り上げ、その代表にMy Hashiプロジェクトを呼びかけているギャル社長の藤田志穂さんにご協力いただいた。

その日の取材は朝6時30分出発、炎天下の中家庭ごみリサイクルについて武蔵野市で撮影し、その後江古田にオープンした「江古田の森」で日本の介護老人施設のモデルとして撮影、ホテルへの帰り道は麻布十番祭りの渋滞にも入り、8時からKurkkuで設定していただいた藤田志穂さんとの取材の直前には疲れがピークに達して、リポーターもカメラマンもクタクタ、連日の屋外での撮影だから無理もない。

しかし、Kurkkuに入って藤田志穂さんを目にした途端、リポーターの目がキラキラとひかり、笑顔が弾けて、それまでの疲れは何なんだよ、というくらいに元気を取り戻して、ハイテンションでいきなり突撃リポート開始!

今回の取材は全てリハなし一発本番撮りである。リポーターとカメラマンのフィーリングでいろいろ変わるので、取材される側からするとかなり戸惑う、はず。しかし、藤田さんはものすごく自然にそのハイテンションのリポーターの質問を受け答えして、笑顔でしっかりMy HASHIについてもメッセージを発信。

自分のかわいい箸を持って歩けば割り箸を使わなくなる、現在日本での割り箸消費量が250億膳、それだけの森林を維持できるし、何より箸を持つという身近で小さなところからも環境は維持できる、という声はリポーターはじめとした取材スタッフにもかなり強く伝わった。

「ギャル」という言葉は知らないものの連日渋谷の街を歩いてあるイメージを抱いていた取材スタッフだったので、そうした若い世代が環境を語る、というある種の見た目とのギャップはむしろメッセージ性を強めた。

その取材の翌26日には車で名古屋へ移動、27日にはそのまま京都へ、昨日は神戸、今日は大阪と関西を席巻して今日の夕方には新幹線で東京へ、明日の朝クリューがイスラエルへ帰国すれば私の任務もいよいよ終了、取材も大詰めの大詰めだ!

今日は少しゆっくり出発の予定、、、が、「京都にいて奈良を見ないなんてダメ、とイスラエルにいるスタッフが言っている、だから奈良行こう!」といきなり8時半出発になった。「おいおい、京都にいて京都を何も見てないじゃん、それに昼には大阪で取材、観光するなら京都で充分じゃん」と言っても、もう頭の中は「奈良、ナラ、なら、NARA」でどうしようもない、ナラで何見るんだか分からないが行ってきます。
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撮影いよいよ終盤!

いや~なかなか更新できないですいません。

日曜日は10時間かけて名古屋に移動、昨日京都に入り、今日は神戸。大移動しながら東京以外の日本を目にして取材陣も満喫しつつ、残り2日というプレッシャーからあちこちに亀裂が、、、

日野原重明先生を独占取材!

今回の取材にはいくつか目玉がある。現地コーディネートという立場からすると、元気な高齢者というテーマのドキュメント番組で聖路加国際病院の日野原先生に出演いただけることは大きな誇りでもある。今回ようやくいただけた時間は4時30分から5時までの30分間。その時間を確保するために事前に結構強引な直談判もしているし(参考:7月15日の漂流博士)、すでにアポをとったという結果もあるので満足なのだが、イスラエル人スタッフにはその重みが分からない。

当日の朝になり、30分じゃ足りない、現役として仕事している場面を撮りたい、診察しているところを撮りたい、病院の中を歩いているところを撮りたい、だから1時間半は必要、と無茶苦茶なことを言う。日野原先生だよ、30分いただけただけでも感謝してその中でできることをしなよ、と言うと「私たちは遠くから来てるんだから、もう来れないんだから」とお決まりの安っぽい印籠を出す。私はこの印籠が取材者というプロ意識に反しているので嫌いだ。取材者は取材協力者の理解があってようやく仕事ができるんだから、与えられた時間で最大限できることをするべきだと思うし、ドキュメントなんだから全て一本勝負でいいと思うのだ。現地コーディネートとして意識するのは、こうした無茶な話を無茶だといいつつ、安っぽい印籠は使わずに取材協力者から少し可能性を見出すところにある。妥協点を見出すのだ。しかし、今回は日野原先生、5年先までのスケジュール帳を抱えて一日16時間働くという先生と見出せる妥協点があるはずもない。ベッカムが単独取材に30分応じてくれる、と言ってくれたらその中でできることを考えなきゃダメでしょ、当日になってドリブルしろ、ビクトリアと手をつないでくれ、だから一時間半欲しいと言ったところでそりゃ無理だろ、と言っても「何とかなる」と言って聞かず、まずは早く行こう!ということでなんと約束の2時間近く前に現場に到着した。

「彼のオフィスはどこだ」「有名人なら誰でも知ってるだろ、そこに行こう」と暴走気味なので、「そんなことしたら30分さえ無くなるゾ」と暴れる猛獣を抑えつつ、総合案内所に向かって理事長室に連絡してもらう。「やはり先生はスケジュールが詰まっていて4時半からしかないそうです」と丁寧に対応してもらい、それを告げるとようやく納得してガックリとうなだれた。30分あるということよりも、1時間半ない、という方に完全にシフトしてしまっていて、一様に落胆の雰囲気に包まれてなんだか取材拒否されたような変なムードが広がった。

その後しばらく川ッぺりに座ってボーっとして、少し元気を取り戻して4時15分に理事長室へ。

前のミーティングの最中であるにもかかわらずちょろちょろ覗き見してカメラの準備、そして4時30分になり、秘書の方が「どうぞ」というタイミングと同時にいざ日野原先生のオフィスへ。リポーターが部屋へ入り、握手をして「あ、君たちイスラエルから来たの、グレート!」と打ち合わせも何もなくそのまま取材がスタートした。リポーターも舞い上がりながらも、この取材が何なのか、なんで日野原先生に会いたかったのかを告げると、先生は「ちょうど『TIME』でも私のことが取り上げられたところですよ」と突然の英語インタビューでも全く動じずにどんどんお話してくれる。

5分ほどして、「すいません、先生、このフロアーをちょっと見せていただきたいのですが」と言うと「はいよ、こっちこっち」とスタスタ歩き出すのだがそのペースが本当に速くて、リポーターもカメラマンもついていけない程で、「先生待ってください!」と追っかける。病院内をスタスタ歩くと、職員からも「え、日野原先生だよ」と多くの視線を独占し、その後をイスラエル人スタッフが追いかけるというかなり珍しい光景が病院内にうまれた。

ちょうど患者さんに会って、体の具合などを聞きながら簡単な診察までして、終わるとまたスタスタと部屋に戻っていった。賞味3分くらいだろうか、あっという間のできごとにプロデューサーも「信じられない」と興奮しっぱなしで、私もあんなに元気なイスラエル人スタッフが先生を追いかける光景が不思議でたまらず興奮と動揺のしっぱなしだった。

5時になり撮影終了。終わってみれば、現場の姿、診察の様子、病院内を歩き回る様子、が全て撮影できていて、私は日野原先生に感激しっぱなしだった。5年先までつけているというスケジュール帳を目にすることもできたし、何より現場で元気にはたらく日野原先生の姿を目の当たりにしたことは人生の大きな経験でもあった。

スタッフたちは撮影後に日野原先生の偉大さに気付いたようで、しばし「すばらしかった、すばらしかった」と余韻を味わった。「ほら、言ったじゃないか、何とかなるんだよ」とでも言ったら、許せないが、みんなでいい気持ちになって余韻を楽しめたからいいか、と元気に次の取材地に向かった。(取材時の写真は後日追加します!)

『The next world』撮影開始!

しばらくあけてしまいました、いつまでも古希野球のままですいません!

火曜日夕方にイスラエルのテレビチャンネル10のスタッフが来日、いよいよこれまで取材をしてきた方々との撮影が開始した。独立して初の大きな仕事の始まりである。

インドで二週間の撮影をしてそのまま来日したスタッフはリポーター、ディレクター、カメラマン、サウンドマンの4名、「インドでもうクタクタだよ」と言いながら、とにかく元気に動き回るのでそのペースに完全に飲まれて初日、二日目とノックダウン。涼しくなった昨日からペースを取り戻してようやく復活しました!

さて、到着してすぐに寿司が食べたいというので(イスラエルでもスシはトレンド)渋谷の回転寿司へ直行!。

「お~回ってるぞ~」「雰囲気が最高」「うまいな~」「さすが本物!」とか大騒ぎなのに

「ところで、スシはいつ出るんだ?」

とサウンドマン。

イスラエルだとスシ=のり巻きなんですよ。

「日本はキレイだ~」「日本人は静かだ」(あんたらがうるさいだけなんだよ!)と、にぎやかに取材が始まっております。今日から体力復活なので、イスラエルテレビが日本で取材のリポートを29日まで書きたいと思います。明日以降のレポートに向けてこれまでの感想を一言で言うと:

人類学調査とテレビの取材は全く違う

そのことを改めて思い出すと、やっぱり研究がいい!取材後の時間が待ち遠しいです。

第17回全国古希野球大会

<<本日初めて動画アップしてます!>>

イチローや松坂のプレーを見て、「元気だね~」「がんばってるね~」とは言わないだろう。自分ではできないプロのプレーはいつも「すごい!」「さすがだな~」と興奮させてくれる。そんな胸の高ぶりが蘇ったのが、

全国古希野球大会

それは私にとって想像を越えた全く新しい世界との出会いだった。今でもあの衝撃を、あの興奮をどう表現すればよいのか、自分の表現力の乏しさになんともじれったい思いで一杯だ。「まだまだ元気なプレー」「がんばるおじいちゃん」といった表現は"高齢者"や"古希"のイメージに束縛された安っぽい表現でしかなく、実際会場に来ていた人たちが口々に「なに、こんなのがあるの?」「すごい、知らなかった」と言っていたように、まさに人生観が変わったと言っても過言ではない程の衝撃を受けた。

17日より川崎等々力球場で開催されている全国古希野球大会(今日21日が決勝)には全国から44チームが参加。兵庫代表の「神戸ロマンズ」には今回イスラエルテレビの元気な高齢者をテーマとしたドキュメントの取材にご協力いただいているのだが、今回開会式から翌日の一回戦にかけて一泊二日私を招待してくださり、初めてお会いする機会が与えられた。

「神戸ロマンズ」は小西範幸監督以下40名近い部員で構成されるが、一言で表すならば、強い野球チーム。野球経験者なら分かる、あの、強いチームが発する自信、強さの雰囲気があるのだ。開会式後の夕食で一言あいさつをする時、その空気が試合前の野球チームの雰囲気であることを感じて私は結構圧倒された。

高齢者が集まる場、いや草野球チームが集まる場でも、「若いね~」「いまのうちだよ体動くの」「年取ると肩が上がらなくなってさ~」と言われることが多いのだが、そうした若い時を振り返る言葉が全くないのだ。一人一人とお話をしていくと、これがすごい。

「俺なんか小学校の頃からもう50年以上、60年くらいずっと野球やってることになるな」と言った游さんは、大学時代村山実とバッテリーを組んでいたキャッチャーで、今でも正捕手で四番を打つ。「他にもいろんなのがおるで、ここは」と紹介された溝畑さんは、昭和25年甲子園予選準々決勝で完全試合を達成し、その後神戸製鋼に入って都市対抗野球に出場して後楽園のマウンドを何度も踏んだ小さな大投手。

私よりも小さいであろう溝畑さんが横に座って話をしてくれた、

漂博:完全試合したのって、どちらの高校だったんですか?
溝畑:私はね、兵庫の明石
漂博:え、明石と言えば、島投手、じゃあ、あの中京との延長25回
溝畑:ああ、あの翌年(昭和8年)に僕が生まれて、あの延長25回の試合のときの一塁手の方が私を見初めてくれて明石で野球ができたんですよ。あの時27アウトのうち16は三振でしたね。

小学生の頃『高校野球大百科』という本を何度も読んでいた私には、昭和25年頃の高校野球と言えば白黒写真の野球で「昔の人たち」だ。その白黒の「昔の人たち」がいきなり目の前にあらわれて、しかもまだ野球をやっている、というのだから興奮と混乱で自分がどこにいるのかさえ分からなくなる。

漂博:今でも結構いけるんですか?(舞い上がってしまい、どうでもいい質問を投げかける)
溝畑:ええ。でもね、練習しなければだめですよ。
漂博:練習、するんですか?
溝畑:チームの練習もね、それに見えないところで自分でトレーニングしないとだめなんですよ。今でも一キロの鉄バット700回位は振るんですよ(古希野球だからと言って70回ではない)。

自慢するでもなく、説教するのでもなく、溝畑さんは淡々と話す。

溝畑:それからね、私は遠投するんですよ、遠投してそのあとしっかり投げるんですよ。よう投げますよ、遠投。
漂博:明日も投げるんですか?
溝畑:いやいや、他にいますから(確かにすごい投手層)。でも試合は出ますから、見ててください。

本当に、どんなプレーが見られるのかワクワクしてきた。さらに溝畑さんが立ち上がるときに見えたふくらはぎがアスリートの鍛え上げられた形で、それにもビックリした。

横にいたカンさんが「ほんと、ここはすごいでしょ、前は阪神タイガースで140勝あげた梶岡さんもうちでプレーしてたんですよ。わしらが子どもの頃甲子園球場に見に行って投げていた投手ですよ、そんな人と一緒に野球やるなんて、ゆめにも思わんでしょ、そんなゆめにも思わん人と野球できるんですよ」と古希野球の楽しみを教えてくれる。

イチローや松坂と70歳を過ぎて一緒に野球をする、なんてゆめにも思えない。しかし、こんな世界が実際にあるのなら、もしかしたらそれは実現可能な夢なのかもしれない。だが、私がこれまで生きてきた35年と同じだけ今から生きてやっと70歳デビュー、それだけで夢のようだ。

古希野球は全国で66チームあるのだが、60歳以上の還暦野球になると全国で392チーム、競技人口は一万人を超える。70歳を越えて勝つために白球を追う世界なんて、おそらく地球上でここだけではないだろうか。

翌日の試合、それはもうスゴイ!の連続。あとは以下写真で!

選手宣誓!
Koki03


ウェイティングサークルで溝畑さん1
溝畑さんスウィング1


ウェイティングサークルで溝畑さん2
溝畑さんスウィング2


層の厚いロマンズ投手
ロマンズ投手1


「神戸ロマンズ」ではないですが、その前の試合のミニムービー。全国古希野球大会のレベルは実感してもらえると思います。

博士が就職できないという問題について(その3)

博士号取得者が就職できない、ということの問題を上げるとすれば、その一つに研究ポストが高齢者というか、以前の制度で就いた人たちが占領しているため受け入れる器と道筋が停滞していることだと思います(研究費の配分/確保という問題もありますが、ここではポストの流動化に絞りたいと思います)。研究職がもっと流動的になれば、博士号取得者への就職の機会が増えるのではないか、というのが私の希望的な見解です。

かつてのように一度就職してしまえば常勤という状況から、現在はずいぶんと評価主義に改善されていると思いますが、研究職ポストが流動化して博士号取得者が就職の機会を得るためには評価主義は必須だと思います。一方、いくつかの段階を経てようやく常勤に就くという評価主義に基づく制度が整えば、必然的に研究職の任期付が増えると思います。任期中に研究成果を上げて、また次のポストにステップアップするような、そんな評価主義になれば研究ポストはもっと流動化して活性化するのではないでしょうか。評価主義と任期付は海外の研究ポストでもスタンダードだと思いますし、任期付を点々とすることはある程度この世界では常識であってこれからも増えていくような気がします。

ですから、任期付を点々とするということは「問題」だとは思いません。むしろ、博士号取得者の就職が即常勤への就職になると、また滞った状況に逆戻りし、評価主義からも逆行し、ポストは開かれないままで博士号取得者が就職できないという問題は何ら変わらないと思います。

私は任期付という職にもまだ就いたことがないので、それがどれだけ不安定で不安であるのかは分かりません。少なくとも家族を抱えながら任期付についても一定の給与、社会保障の制度は確保すべきと思うのですが、どれだけ不安定なのでしょうか。私はアカデミック全体が流動化してさらに活性化するには、任期付が充実することだと思うのですが、それは現実を知らなすぎる空論でしょうか。成果を上げる研究もできて、さらに安心して生活できる、そんな任期付の研究職が増えることを期待したいと思うのですが、楽観過ぎるでしょうか。

ここでもう一度博士号取得者の視点に戻れば、院生倍増計画の渦中にいた学生自身が、博士号取得しても相変わらず日本国内での就職は厳しい、そして今後評価主義になっていく、ということはある程度認識していたのだと思います。壮絶な評価主義の競争社会に飛び込まなければならない、研究で食うのはつらい、あっても非常勤くらい、ということは博士号取得以前から分かっていたことであるため、今になってそうした制度を批判することはできないと思います。

何も国策で頼まれて博士になろうと思ったのではなく、研究者になろうと思って個人の自由意志に基づいて博士号を取得しているのだから、今ある制度を最大限に活かして研究者になる道を見つけなければならないと思います。博士号取得者本人には辛いですが、将来的な日本の文系の大学及び研究機関の充実化と活性化を考えれば、いい転換期なのかもしれないとも思っています。

以上が、文系の視点から見た博士号取得者が就職できないという問題についての私の考えです。


そうした現状を認識しつつ、最低限の資格として博士号を取得してまだ研究で職を得ていない私は、まず評価されるような研究成果をもっと発表しつつ、家族を支えるものとして安心して生活できる経済状況を維持する、という日々を送っています。

その両輪がバランスよく進むことはまだなく、7月以降は経済的に安心できる仕事を確保することに重点がいき、研究は進められていません。今抱えている一番大きな仕事が今月末で終わるので、9月以降涼しくなる頃に研究が再開できることを楽しみにする日々です。任期付につくまでは、まずはこのペースを維持することが基本的な目標になりそうです。

「漂流博士」は、そうした不安定な状況でどこにいくのか分からない、という不安を表すというよりも、研究で生活していくためには任期付を点々とし、それでも矛先を見失わずに前進していくしかないのであって、それはこれから研究者になろうとする者に求められている目標でもあると思い、希望を込めて付けたタイトルです。

ですので、日々をつらつら綴る、というよりも、一つの目標を軸として、また書くという訓練として書き続けていきたいと思います。

いつもこのブログを読んでくださる方、どうもありがとうございます。就職したら漂流終わり、ということではなく、今の時代に研究職を目指す限り様々な多様性と目標が求められるので、安住せず次を目指す、という希望を持って書きたいと思いますので、これからもよろしくお願いいたします。

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週末に見た古希野球はかなりの衝撃を受けました。

全国古希野球大会

と聞いて、何を想像しますか?その衝撃の出会いについては次回へ。

博士が就職できないという問題について(その2)

何が問題なのか?ということなのですが、かつて日本の文系(に限られると思いますが)の大学や研究機関では、制度的に博士号取得者を受け入れる器と道筋が無かった(違ったらご指摘下さい)ことを考えると、1990年代以降の院生倍増計画において博士号取得者を受け入れる器と道筋の整備が不充分、ということを指摘することが「問題」の取り上げ方として適切なのだろうか、と考えてしまいます。今後の日本における博士号取得者、そしてアカデミック界の進んでいく方向性を考えた時に、確かに受け入れる器と道筋が整備されることは期待します。しかし、それは政策として最初から解決しなくちゃいけない「問題」なのでしょうか?博士号を取得すれば常勤に就ける制度を整えることが問題解決なんでしょうか?就職難は博士の余剰を引き起こした院生倍増計画が問題なのでしょうか?これまでのクローズアップ現代や朝日新聞での議論はその辺りの問題の設定が少し混乱しているように思います。

博士号を取得する者、また取得しようとする者に視点を移せば、院生倍増計画は必ずしも問題だけではない、と言うのが私の考えです。

まず、就職難にもかかわらず博士号取得者はいます。私もその一人です(私は課程博士を一度諦めて、論文博士で取得したのですが、その違いについてはまた後ほど)。

その理由としてあげられるのは、一つには今や博士号は応募する際の必須資格になったといういわゆる「げんじつ」と呼ばれるものと、もう一つには日本国外の大学や研究機関で研究をしたいと時に博士号がなければ一人前とは見てもらえないという現状があると思います(他の理由もあれば教えてください)。そうした研究者になるための最低条件、という国際的な基準を考えると、博士号を取得する制度が日本の(文系の)大学で整ったことに私は賛成ですし、他の文系の博士号取得者もこれから取得しようとする者も賛成なのではないかと思います。かつては博士号を取得したくても教授が博士ではなかったわけですから。ちなみに、文学では審査できる博士が教授陣にいないため、今でも博士号が取りにくいといった話を聞いたことがあります(情報お待ちしています)。

このように、博士号を取得する者の視点で考えた際に、職業としての研究者になるための切符が手に入るようになった、というプラス面はきちんと確認すべきだと思いますし、日本だけではなく世界中の大学を始めとした研究機関へ就職できる大きな扉が開かれるようになった、ということも確認すべきだと思います。私が博士号取得を目指した一つの理由がその点です。日本ではまだまだ博士号取ることによって人生の(就職の)選択肢が増えるわけではないですが、海外をみれば明らかに博士号取得は就職の選択肢を広げてくれます。Ph.D.があるかないか、で判断されるのですから、日本で取得して海外に出るという選択肢があることは研究者にとってはプラスです。

問題は、そうして博士号を取得しても日本で受け入れる器と道筋が整備し切れていないということだと思います。このロジックについては私もクローズアップ現代と朝日新聞からはそんなに離れてはいないように思います。ところが、何が問題なのか、何が問題解決なのか?というところで意見が分かれると思います。受け入れる器と道筋まで政策できっかり整備されるべきなんでしょうか?整備とは皆が常勤につけるということなんでしょうか?また、非常勤を渡り歩くことが問題なのでしょうか?

私は、もし問題解決が常勤の確保を意味し、博士号取得者がジャンジャン常勤職に就くようになったら、と想像すると、返って異常なんじゃないかと思いますし、それは評価主義のもう一つの国際的なスタンダードに逆行するものだと思います。また、もしそんな器と道筋まで政策できちんと整備されていたら、国家が国力や国益という視点から研究者を排出している策略のようにも見えて、返ってひいてしまうような気がします。

じゃあ、どうしたら?という課題の続きは次回に。

今から、川崎で開催される70歳以上限定の全国古希野球大会に行って来ます。一度そのレポートを挟んで、博士問題を続けさせていただきますのでよろしくお願いいたします。

博士が就職できないという問題について(その1)

博士の就職難について、断片的にはちょろちょろ書いてきましたが、今回私の意見、見解を少しまとめてみましたので数回に分けて掲載したいと思います。

まず最初に、「漂流博士」のタイトルにも滲みでているように、私は現場からちょっと離れてしまっているので、もし現状とは違う、という指摘があればバシバシとご意見いただければ幸いです。

それから、基本的にはNHKクローズアップ現代(7月3日)、朝日新聞(2007年5月22日)で取り上げられた課題を文系の立場から考えるというものです。それぞれ博士の就職難の問題が取り上げられていますが、基本的には理系の状況で、私のような文系の状況や問題とはちょっと違うんじゃない?という問いが一つの契機となっていることを確認させていただきたいと思います。

さて、最初に何が問題なのかを整理したいと思います。上記NHKクローズアップ現代や朝日新聞では「博士号取得者が職につけない」ことが問題とされています。しかし、博士は職につきにくいという認識は随分前からあったと思いますし、振り返っても逆に「博士号取得者は就職できる」と言われた時期があったようにも思いません。ですので、そもそも日本は博士が就職しにくい社会である、という状況は変わらずにあった気がします。

実際、日本の場合は大学教授=博士ではない(なかった)ですし、、、と思ってクイズダービーに出ていた篠沢教授の略歴のようなものをちょろちょろ漁っても博士号は持っていないようですね。

そうした元々あった認識が最近「問題」になっているのは、いわゆる院生倍増計画によって博士の頭数が増えたのはいいけど、それを受け入れる器(道筋)が無い、という政策的(システム的)な落ち度の指摘だと理解していますが、それって何がどう「問題」なのだろうか?果たして「問題」なんだろうか?というのが私の出発点です(つづく)

先代佐渡ヶ嶽親方の手

先代佐渡ヶ嶽親方死去のニュースは、あまりに急な知らせで残念でならない。まず、心よりご冥福申し上げます。

5月に直接お目にかかった際にはお元気で(退院直後であったそうだが)、先日の琴光喜大関昇進の時にも元気な姿が映像に流れていたので、まさか、あの先代の親方が?もしかして私の知らない初代佐渡ヶ嶽親方という方でもいるのでは?と何度も確認をしてしまった。

残念ながら琴桜としての現役時代は知らないのだが、以前の仕事で何度かお目にかかり、昨年夏には短い時間ながら二人でお話をする機会があった。その時に「ちょっといいかな」と先代が立ち上がろうと私の肩に手を置いたとき、そのずっしりとした重み、そして握ったもう一方のギューッと中身が詰まった手と厚さから「これが横綱か」と目の前にいるまさにオヤジのような暖かさに隠されている「猛牛」と呼ばれた琴桜の強さと勢いを感じられたことがとても光栄だった。

昨年6月佐渡ヶ嶽部屋一行がイスラエルで公演をした直後のことだったが、「あんなに喜んでもらえると嬉しいね。今までいろいろな場所で相撲やったけど、あんなに盛り上がったのはないんじゃないかな、本当にものすごい盛り上がりだったんですよ」とお客さんが相撲を見て喜んでくれてイスラエルへ行ってよかった、と繰り返され、世界中でもっと多くの人に相撲を見てもらいたい、あんなに喜んでもらえるならまたどこかで、と国境を越えた相撲の普及に積極的なのがとても印象的だった。

盛り上がったイスラエル公演の様子
カイサリヤでの相撲


3年前イスラエルのチャンネル10の取材で訪れた佐渡ヶ嶽部屋で見た稽古が私の人生初の相撲観戦だったのだが、それ以来一相撲ファンとして佐渡ヶ嶽部屋の力士を特に応援している。現親方(元琴ノ若関)が「琴光喜が大関に上がったので安心しちゃったのかもしれないですね」(sanspo.comより)とコメントしているが、琴光喜には大関昇進で安心することなく是非強い横綱を目指してほしい、とさらに応援にも力が入る。大関昇進した琴光喜関が31歳3ヶ月、琴桜が横綱になったのは32歳。私たち30代中盤以降も、これから!先代、私もがんばります!

写真は06年6月死海を訪問した時の一コマ、写真提供は村田信一氏
佐渡ヶ嶽死海

ヒマシって知ってますか?

会社概要などは英語からの訳が多いのだが、今回は珍しくイスラエル人のコピーライターが書いたという質の高いヘブライ語からの翻訳が入った。天然成分での美容・健康製品を売り込もうというもので、細かい表現に工夫があってヘブライ語で読むといい文なのだが、それを日本語に直訳しても全くダメで、原文のヘブライ語にそりながらも、原文を突き放したような日本語探しに頭をひねる。美容、健康となると新しいボキャブラリーも必要で、それでも瞬時に調べられるオンライン辞書があるので時間はかからない。が、自分が何を探しているのかをちゃんと意識していないと、クリックしながらとんでもない方向にいってしまう危険性がある。

今回初めて目にしたヘブライ語קיק
オンラインの「ヘブ-英」辞書でひくと、castor-oil seedとある。そこでピンと来る人は来るらしいのだが、その直後にシェメンというoilにあたるヘブライ語があったので私はcastorが気になってしまってアルクで調べると、一番先に出てきたのがコレ:

【1-名-1】 海狸香{かいりこう}、カストリウム◆ビーバーの股間の臭腺から分泌される天然の香料。◆【同】castoreum

翻訳している原文のもうちょっと先に、リーヤハという香料にあたる単語があることを覚えていたのが幸い、勝手にビビンときてしまって、天然素材ってのはすごいな~、ビーバーの股間の臭腺から分泌されるものも使うんだー、と納得しながらもうちょっと読み進むと;

・castor oil
キャスター・オイル、ヒマシ油◆castor bean の油。種子は20-50%の油脂成分を含む。殻を取除き搾り取る。下剤、潤滑油、皮革のなめし剤、ブレーキオイルに使う。

と出てくるので、お、そうかそうか、ヒマシ油ってのは聞いたことがあるぞ、ヒマシ油か、それじゃ

ひ・ま・し・あ・ぶ・ら

とקיקを「ヒマシ油」に置き換えた。が、シェメンという油は直後に出てくるのを再び思い出し、「ヒマシ油」だと、「ヒマシ油油」になっちゃうぞ、ということに気が付いて「今日は冴えているな~」と自分をほめながら「油」の一文字を削除して「ヒマシ」に訂正。さらに、直前に「ホホバ、アボカド」とあるのだが、「ホホバ油」「アボカド油」と言うのはくどいし、「油」の意味は直後のシェメンに全て任されているので、「油」は一まとめがいいな、ヒマシ油も油とって「ヒマシ」でちょうどいいな、と非常にクリアーに論理的に説得力もあって納得してその一文を終えた。

翻訳文は少しでも多くの目がチェックした方がいいので船長に確認を頼むのだが、「ねえ、こんな感じでどう?」と確認してもらうと、

「全体的にいいと思うけど、ふつうはヒマシ油っていうんじゃない?」

と指摘が入ったので、よしよし、ちゃんとなぜ「油」を取って「ヒマシ」なのか解説しとかないとな、と説明をはじめた:

「アボカド、ホホバもいちいち油ってつけないじゃない、くどくなっちゃうし、その後の天然油脂にすべてかかっているんだからいいんだよ」

「そうか、でも普通はヒマシ油って言うから、ヒマシだと何か足りない変な感じだけどな~」

そう言われれば、「ヒマシ油」は聞いたことがあるぞ、とピンと来た時にすでに「ヒマシ」と「油」がセットになっていたことを思い出した。さらに、ホホバ、アボカドは油がつかないのに、ヒマシだけ「油」がセットになっている、その違いはなんだ?と瞬間的に法則性を求めると、、、分かってしまった、そうだ!ホホバもアボカドも植物性だけど、ヒマシ油は動物性なんだ、だから「ヒマシ油」って言うんだ!と頭の中で全てがスルスルとつながってすっきりして船長に言った;

「なるほど、確かにヒマシはビーバーの股間から出た臭気だかからできているんだしね、ヒマシ油がいいか」

「え?ヒマシってビーバーの股間から出た臭気なの?」

「そうらしいよ、だってこれはあらゆる天然成分使っているって書いてあるし、貴重なんじゃない?きっとその臭気がヒマシで、それを濃縮して抽出したのがヒマシ油なんだよ」

「そんなもの、化粧品に使うのかな?ホホバとかアボカドなら分かるけど」

と言われるとだんだん自信がなくなってきて、これは直接証明したほうが手っ取り早いな、とアルクを船長に見せる:

【1-名-1】 海狸香{かいりこう}、カストリウム◆ビーバーの股間の臭腺から分泌される天然の香料。◆【同】castoreum

「ほらほら」と自慢げに見せる、船長も「へぇ~」と一応うなずく、も下のほうに

・castor oil
キャスター・オイル、ヒマシ油◆castor bean の油。種子は20-50%の油脂成分を含む。殻を取除き搾り取る。下剤、潤滑油、皮革のなめし剤、ブレーキオイルに使う。

の、「種子」「殻を取除き搾り取る」が目に入っちゃって、ヒマシ油も植物性であることが判明してしまった。その瞬間、あんなに確信していた「ヒマシ=ビーバーの股間の臭気」説がヒュ~っとどこかに飛んでいってしまった。

「そうだよね~、まさかそうじゃないとは思ったけど、あんなに自信もって説明するから、そうなのかも、とちょっと考えたよ」

「ヒマシ=ビーバーの股間の臭気」説は頭の中だけで翻訳に決定的な過ちを引き起こしたわけではないのだが、ヒマシ油を使った化粧品を見るたびにとんでもない想像をしていたかと思うと、、、。

オンライン辞書を使って翻訳をする際の教訓:

1.辞書の【一】以外も見よ!
訳者として当然のことで、普段はちゃんとしているんですけど、、、

2.何を探しているか、ちゃんと確認せよ!
ビーバーの股間の臭気はcastoreumであって、castorではない。

3.想像力に任せるな!
人間の想像力は無限である、その怖さを知るべし

4.(一応)常識を軽んじるな!
ビーバーの股間の臭気が化粧品に使われるはずがない

4.第三者の目でチェックを!
間違いを見つけてくれるのは第三者の目である

少子化対策に向けた博士号取得者の役割

この間保育園に娘を迎えに行くと、顔見知りになったみかちゃんのお母さん(ちゃんとした名前は知らないけど、子どもの名前を中心にして呼称が決まる、のは子どもを通した表面上の付き合いの表れ)から「いいわねぇ~、うちもパパに迎えにきてもらえたらね~」と嬉しいことを言われる。

漂流博士は7月に船出してから家にいる時間が多くなったので、船長と手分けして保育園送迎、買い物、遊び、と三歳半の娘と二人で出かける機会が増えた、それも勤務中は不可能だった昼時や夕方、と世の父親たちにはできない贅沢な時間帯である。

みかちゃんのお母さんに羨ましがられたその帰り道、自転車を漕ぎながら"平日の昼間から父親が保育園に行ったり、買い物したり、公園行くと変な目で見られる、ってよく言われるけどそれって自意識過剰なんじゃないか"とふっと思い、考えれば考えるほど確信に近くなっていった。そもそも、自分が思うほど他人は見ちゃいないんだし、"変な目で見てるのよ、私たち"という見る側の視点って聞いたことない。むしろ、お母さんの立場からは歓迎される。友人や知人との会話の中では"子育てする父親""昼間外にいる父親"という未だにミスマッチな関係を表すネタ、話題としてはおもしろいんだろうけど、実際に経験してみると「ぼくちゃん、周りの目が気になっちゃって」っと恥ずかしい告白のようで"変な目で見られる"なんて言えない。

イスラエルテレビの仕事のため日本の少子高齢化問題について最近取材を続けていて、先日は日本でその分野の第一人者でお茶の水女子大学名誉教授の袖井孝子先生にお会いした。「少子高齢化」と少子化と高齢化が仲良く並列されるのは、少子化によって高齢化社会を支える経済的基盤が弱くなることが問題なのであって、その問題の背景は少子化であり、さらに未婚化にある、というところに行き着くのが日本の少子高齢化の現状である。

お会いする前に読んだ袖井先生の著書『変わる家族、変わらない絆』ミネルヴァ書房(2003)にも書いてあることなのだが、少子化の根本的な課題は、何より男性の意識の変革である、という主張に大きく納得する。育児休暇制度、出産奨励金、乳幼児医療保険費の支援など制度や金銭的支援を充実させることはツールとしては重要で、我が家もその恩恵に授かっている。しかし、女性も働く社会になりながら、子育てや家事に対する父親の意識や、父親をとり囲む会社なり社会(父親の実家も結構ポイントだと思う)なりが、女性は家庭、男性は仕事というかつての性別役割分業に基づく意識から脱することができなければ、それらの支援ツールは焼け石に水程度の効果しかない。

「娘の体調が悪いので帰ります」と言える勇気と「そうか、なら今すぐ帰れよ」と言える周囲の理解は、少なくとも今の日本の企業の体質ではまだ想像しにくいと思うのだが、日本の企業で働いている方、どうだろうか?

となると、企業などの組織に入っていない父親達はどうであろうか。定職に就けない博士号取得者が増えている、ということは日中子どもと過ごす博士号取得者の父親も多いのではないだろうか。

専門分野で働く機会が今は限られている、のであれば少子化対策の根本的解決につながる父親意識の変革を担う者としてまさに直接貢献できるのではないだろうか。かっこよく真昼間から子どもと接する父親像を作ればいいんじゃないか。

家事をするのも、買い物をするのも、保育園に送迎するのも、病院に連れて行くのも、公園で遊ぶのも、母親じゃなければいけないことはなく、父親が率先してやったっていい。女性が「結婚をしたら家庭に入り、家庭育児に専念するという女性のライフワークは、夫の雇用が確保され、賃金が年々上昇していくことを前提にしている」(前出、『変わる家族、変わらない絆)。女性も働くようになり、男性はリストラにあったり転職をする現在、そうした役割分担は適さない。

"変な目で見られる"はおそらく父親(男性)は外で働くというにかつての役割に基づいた自意識過剰な男性の言い分であろう。役割分担が曖昧な今では適当とはいえないし、母親(女性)からは歓迎される。

博士号取得者で家にいる父親達は新しい家族の形を経験している、少子化対策の根本的解決の鍵を握っていると思えば、定職に就けないという経済的な問題は実は小さな問題に見えるようになるんじゃないだろうか。

Last.fm日本語化プロジェクト

音楽SNSで英国発の世界最大手Last.fmを日本語化するプロジェクトが大詰めになった。私は翻訳のプルーフリーダー、翻訳されたものにOK、またはダメだしをする役割で、かなりの集中力が求められる。

今サイトで使われている日本語はぱっとせず、私なら登録しないな~というのが正直なところ。そんなサイトを生き返らせろ!という指令が、スペインから飛んできた。

スペインにあるドイツの翻訳会社Belugaとは、ここ一年いい仕事をさせてもらっているパートナー。メールのやり取りだけで、一度もあったことも話したこともないのに、いい関係が構築されるのはネット社会に生きる者として本当にありがたい。基本的に英語は苦手なのだが、英和訳はちょっと自信がある。英語ができること、そして和訳ができること、それぞれ違う能力、そこを評価してもらえるのは、言語を活かしたい私にとっては本当に嬉しい限り。

ということで、今日はLast.fmに集中することにします。

朝青龍と綾部恒雄:ホームと人類学

今日はタイトル負け、と最初から陳謝。それでもこのタイトルにしないと気がおさまらないのであえて強行。いつかこのタイトルでショートエッセーでも書いてみたいなぁ、今日はそのブレインストーミング。綾部恒雄さんは北アメリカや東南アジアをフィールドとして数多くの研究を発表し、日本の文化人類学の体系を整えた大御所だが、昨日亡くなられた(享年77歳)Asahi.comより。私も学部の頃入門的な本を読んでいて、ざっと本棚を見ると『現代世界とエスニシティ』弘文堂(1993)、編著『文化人類学と人間』三五館(1995)が目に入る。

一方、朝青龍はいわずと知れた渦中の横綱。今回の朝青龍に対する処分でモンゴルに帰国できない、との文言が含まれているけど、それって自国中心主義的な考えであんまりじゃないか?という問題提起を、昨今の文化人類学でもホットな視点、つまり、国境を自由に越えるようになった昨今の人々の動きをホームとアウェイ、もう一歩踏み込んで、ホームとディアスポラという枠組みで考えてみよう、というのが今日のここでの目標。

一般的な解釈として、ホームと言えばそれは一つで、何か揺れ動かない絶対的な場所にとらえられると思うし、文化人類学も結構その視点から研究が成立してきた、いやまだ完全に過去形では言い切れない。人には一つのホームがなければいけない、みたいなちょっとしたプレッシャーは思いのほか結構強い。

しかし、ホームって必ずしも一つではないんじゃないの?という声が文化人類学の中に増えているのは確かで、特に対象を移民や出稼ぎとする研究者には敏感なテーマだ。移民や出稼ぎ者にとって、現在生活している場所だってホームだし、出身国だってホームだし、そうした複数の地を心情的に、また物理的に行ったり来たりしているのが現状ではないかと指摘されることが最近多い。ホームは一つと決めちゃうのは研究者の思い込みで、その視点で対象に近づいては現状理解できないでしょ、という突っ込みには私も同感である。

そこで自分の研究から一言:イスラエルはユダヤ人の帰還によって国が成立しているとよく言われる。しかし、それはシオニズムをなぞった説明に過ぎず、実際に最近移住するユダヤ人の声を拾うと経済的なものだったり、また家族が一緒に住むためだったり、イデオロギーによるものよりも、もっと現実的な要因が彼/女らを移住へと導いていることが分かる。イスラエルの文化人類学者の中では、帰還(ヘブライ語では「上ること」を意味する"アリヤー"と言う。その反意語は「下ること」を意味する"イェリダー"と言う。すなわち、イスラエルへ移住することは上京、イスラエルから他国へ移住することは都落ち、というニュアンスが含まれる)というイデオロギー的な視点から研究者自身が自由にならないと、イスラエルの移民研究が現状に密着していけないという自己批判的な指摘が特に90年代後半以降強まっている。

で、ここから朝青龍。朝青龍は大相撲という今のところ日本にしかないスポーツで生業をたてる横綱で、東京に自宅もある。そしてモンゴルに実家があるし、家族もいる。朝青龍にとっては、自宅と実家と二つのホームがあるわけで、その往復は朝青龍にとってきっと自然なことなんだと思う。私の疑問は、そのもう一つのホームへ帰国する極めて個人的な権利を職場の管理職が奪うことってどうなのさ、ということ。

朝青龍に対する処分を巡る議論では、横綱ならそれくらい、という処分に理解する声が大勢に見えるけど、朝青龍にとってのモンゴルが全く考慮されてないことが全く取り上げられず、それについての批判の声が出ないのが不思議でならない。大相撲の横綱であろうがなかろうが、日本にいなくちゃいけない、なんて相撲協会に決める権利は何もないはずで、もし、イチローか松坂が似たようなスキャンダルを起して、MLBから出場停止、さらに日本への帰国禁止、という処分が出たら、それこそ日本メディアは大騒ぎ、世論も黙っちゃいないだろう。

出身国に帰国するかどうか、それは法治国家においては法を犯さない限り本人の自由意志で決められるべきであって、職場はむしろその個人の自由をきちんと確保するべき、と思うのは朝青龍に対する甘すぎる主観なのだろうか。

私は相撲協会に恨みがあるわけでもないし、常日頃から批判が溜まっているあるわけでもない。むしろ、一度生の稽古を見てから魅力を体感した相撲ファンの一人でもある。

そうであるからこそ、開かれたスポーツであるためにも、時代遅れの自国中心的な視点を是非とも見直して、個人の権利と協会の権威が及ぶ範囲をきちんと見極めていただきたいと思う。

言葉が通じず、家族と離れ離れになりながら自らの職業を全うすることは、想像を絶する努力と強靭な精神力が求められることも忘れちゃいけないと思う。

日本語を身につけないとならない、しきたりを身につけないとならない、それに、何かしでかしたら日本から出れなくなるかもしれない、とでもなったら「外国人力士」(いまやそんなカテゴリーも無意味化していると思うけど)でさえ来なくなっちゃうのではないか、と相撲界の心配をしてしまうのは相撲のことを分からない者の単なる余計なお世話なんだろうか?

「絵」を求めるテレビ:仕事と研究

「私たちはアカデミックでもなければ、ラジオでもないんだから、何か絵がなければダメよ」とは今回の番組のディレクターからの指摘。環境にやさしい車両、次世代に向けた新しい技術、それら全て「絵」がないと意味がない、のはテレビ。(文系の)論文は「絵」よりも、テクストによる物語性や資料の独自性、と同時に客観性(従来の流れをきちんと理解するということ)を注意するし、そこが勝負の分かれ目なので、ぱっと見一瞬の「お~」を狙うテレビとは大きく違う。

7月31日からJR東日本小海線で世界初のハイブリッド車両が営業を開始した:地元山梨日日新聞サイト。燃料電池という今後の地球環境を考えた際の大きな代替エネルギー実用に向けた第一歩という位置づけや、何しろ「世界初」という冠がついた事実は充分ニュース性があるのだが、ご覧の通り一見普通の電車なのでイスラエルのテレビが来て「これが世界初です!」と紹介するほど「絵」として真新しいわけではない。円盤みたいな形だったり、運転と同時にピカピカ光ったりすれば別だけど、それは全くテレビの都合でしかない。

「世界初」をちゃんと理解してもらうのであれば、エンジンの構造や従来の車両と排出ガスの量を比較したグラフのような視覚的な資料が必要だけど、今回の番組コンセプトは世界初の新しいものを追跡せよ、というわけではない。実はこの車両、今回JR東日本の広報を通して取材を続けてきてほぼ本決まりだったのに、キャンセルになりそう。というのも、「絵」的に今一ということと、まだ燃料電池が実用化されたわけではないという理由。小海線は周囲の環境もきれいで、別の意味での「絵」としての価値はあるだけにちょっと残念。

一方、少子高齢化については、私も今のところ満足の経過。というのは、日本における少子高齢化の現状、課題の最大公約数を考えた時、高齢者が一人住まいになる傾向にあることがあげられるのだが、その課題を伝えるのに効果的な「絵」があるからである。独居傾向が強まっているのは、最近の台風や地震の際に取り残された高齢者が多いことがニュースで報道されていることからも明らかだ。

ただ、今回の番組ではそうした「問題」を羅列するのではなく、将来的な展望、解決策をイスラエルが日本から学べるものという出発点があるので、希望が持てるような日本の技術、日本独自の取り組みを求めていた。日本は技術、イスラエルの番組がその点を求めるのはイスラエル視聴者の反応を考えた時によく理解できる。例に漏れずイスラエルでもソニー、トーシバは日本の代名詞だ。

少子高齢化を解決するような日本の技術、それが、あった!コミュニケーションロボットのイフボット。そう言えば、愛地球博に出ていた、見たことあるぞ。製品詳細やコンセプトをよく読むと今回のテーマについて、しかも日本の少子高齢問題を紹介するのにピッタリなのでこれは是非とも取材をしたいとビジネスデザイン研究所にアプローチ。Webサイトの「経営ビジョン」には「世界最先端のコミュニケーション技術を搭載した、パーソナル・ロボットのリーディングカンパニーを目指し、少子高齢化社会に貢献します」と当番組と相思相愛のメッセージも見つけて感触抜群。研究所の担当者も番組に理解をしていただき、この度協力していただけることになった。

こうしたかみ合った感触を全ての取材地で求めることは不可能なんだろうけど、でも中身のある番組を目指せば、「絵」とそれを支える現状に沿った理解や説明との距離感を少しでも近づけなければいられなくなる。

論文とテレビの違いは、この「絵」の扱い方の他にもう一つ、テレビは私が作成する分けではないということ。これまでの取材をベースに今月末に来日する取材班とロケを行っても、スタジオに戻って編集をする過程に私は口は出せないし、番組ができるのをただ待つだけしかできない。もしかしたら、全く違う展開になってしまう可能性だってある。私に主導権はない。

一方、論文であれば、私が取材をして私が書く。責任も私にある。これは論文とテレビの違いというよりも、テレビのコーディネーターとしての仕事と、論文を書く研究者としての仕事との違い、と言った方がいいのかもしれない。書くものの主体性と書いた後の責任と言う意味で、私は論文を書くということを目指したいのだが、経済的な意味で考えるとコーディネーターの方が抜群にいい。コーディネーターとしての仕事はテレビ制作の事前準備でありながらその時間だけの対価を手にすることができる。しかし、論文を書くということに関しては、今のようなフリーの立場では科研等の研究費がなければ収入につながらない。

研究をすることで収入を得る、それができる場が少ないというのが現在博士が職に就けない問題であろう。ならば、その場を博士自身が開拓しなければならない、というのが私の目指すところ。テレビの取材を通して生活も確保しつつ、同時に自分の研究に活かせるような資料(聞き取り資料含む)を集めるくらいの貪欲さを維持すること、それが漂流博士としての生き方には求められているんだと思う。

スポーツ選手の博士号取得

週末、Queenのブライアン・メイが博士論文を提出した記事を朝日.comで見つける。好き、だけでは博士論文を書くのは困難だと思うので、ミュージシャンで60歳、しかも36年越しというからそのエネルギーはすごいな~と純粋に感激する。 そう言えば、と気になって調べると、お!博士号取得している!おめでとう室伏選手! 今年三月に順天堂大学で医学博士を取得したソウル五輪背泳ぎ金メダリスト鈴木大地氏といい、最近はスポーツ選手のアカデミックへの進出も素晴らしい。

脳ミソも筋肉、理論より根性、精神、みたいなかつての体育のイメージからは想像つかないほど最近は勝利に向けて随分理論的な分析や見解が増えてきて、しかもそれが現役選手による生の声だったりすると事例の具体性とそこから論じられる理論の説得性にドンドン魅かれる。最近では足を速くすることをひたすら考え、それを理論的に解説する為末大選手が魅力的!と船長も超お薦め。

プロスポーツの地位を確立しているスポーツ選手の博士号取得は、スポーツとアカデミック双方にとって得るものが大きいので今後もっと増えていけばよいと思う。

一方、自分の研究を振り返るとスポーツ選手が発するような魅力はないな~とちょっと落ち込む。文系の博士号取得者として学会、大学、研究所だけではなく、ジャーナリズム、教育などどんどん広い世界を視野に入れて活動しないと、研究のための研究というせま~い世界に閉じこもってしまいそうだ。

スポーツ選手の理論に説得性があるのは、勝たなければならない、という明白な目標の上に成り立っているからかも、と考えるとちょっと羨ましくなる。最初から博士号取得が課される現在の博士課程の学生は、論文を書くことが目標になるから持久力の維持が難しい、と思うのは私だけだろうか。というのも、私は博士号を取得した後の目標が見えず、その中で博士号取得を目標とすることはできず課程在籍中に論文を書く動機もエネルギーも失い一度諦めている。

改めて論文を書こう!と思えたのは、その先の目標が見えてからで、その目標への小さな通過点に過ぎないと博士号取得の重みが軽くなってからである。目標は勝つこと。それくらい明白な目標があって、その過程として博士号取得が位置づけられれば文系の研究でももっと魅力的になるんだと思う。現在、制度としては博士号取得の後の目標が設定されているわけではないので、博士号取得者がそうした新たな魅力を見出せるような開拓者にならなければならないんじゃないか、と思う。ブライアン・メイが博士論文を提出した、その目標は全く別なのかもしれないけど、自身を含めて博士号を取得することの目標について考えさせられたニュースだった。

イスラエルのテレビで働くということ

と言い切れるほどまだ豊富な調査や事例が多いわけではないが、イスラエルの民放チャンネル10の日本コーディネーターを三回担当して、特に今は今月末に来日する「The next world」の取材のため大詰めの一歩手前になってきたので雑記メモとして記録しておきたい。

「The Next World」は世界7カ国で取材をして来年2月午後8時から50分間、7回シリーズで放映予定のかなり大掛かりな番組で、タイトルが示すように、テーマ毎に「次の時代の世界」について論じるというドキュメンタリー。日本では京都議定書以降の環境対策の取り組みと、少子高齢化の取り組みについて、それぞれが世界の中でも先端をいっているはず、という番組企画者の発案に基づいているのだが、2ヶ月以上取材をしていながら未だ番組のシナリオはない。昨日事前取材のために何人もの方にお会いしたが、その多くで「どんなシナリオなんでしょうか?」と聞かれて、改めてそれがないことに気が付いた。

番組のシナリオなしでコーディネーターに求められるのは、可能な限り番組コンセプトにあう取材可能な場所をリストアップしていくこと。シナリオはなくても番組コンセプトはあって、今回であればイスラエル社会として将来的に学べるような日本の取り組み、制度、問題点、そして元気な高齢者の紹介をすることにある。

実際に何を撮影したいのかをプロデューサーに聞いても「撮影が可能なもの、できないものは無理して撮らない、だから何が撮れるのかをまず聞け」と受身の姿勢が返って来る。ただ、コーディネーターの立場からすると、Googleで「少子高齢化」と検索してヒットした先から闇雲に電話して「撮影できますか?」といきなり聞くのは全く非現実的。結局、まず現状としてどんなことが実際に行われていて、またどんなことが「日本の」と説明してもおかしくない最大公約数なのかを調べるところから始まるのだが、この過程は、卒論、修士論文を書き始める際に行う先行研究のフォローに似ている。チャンネル10のコーディネートは三回ともほぼ同様の作業手順でロケ班を迎える準備をしている。

一方、かつて日本のテレビ番組製作過程に数度関わったこともあるのだが、最初からある程度のシナリオが固まっていたのを記憶している。最初からインタビューする人、場所が明記された全体の流れ図のようなものがジャンジャン送られてくるのだが、コンセプトというか、思い込みというか、どうも現状抜きの一人歩きという違和感を何度も受けたこともよく覚えている。

チャンネル10がそれとは対称的なのは、とにかくシナリオが存在しないということ。見たこともなければ、プロデューサーと話をする中で出てきたこともない。プロデューサーとのやり取りと言えば、最初にたたき台程度のロケ取材地候補リストが送られてきて、その後も取材可能な更新データをやり取りするのがメインとなる。最初のたたき台に目を通すと、どんな方向性に進もうとしているのかというベクトルは感じ取ることができるのだが、さらにプロデューサーとの詳細な電話連絡でベクトルを具体化して進めていく。最初の候補リストはイスラエル人のリサーチャー(ほとんどが番組毎の短期スタッフ)が英語/ヘブライ語で検索したデータを基本としているので、「日本の」最大公約数からはずれていることが多いし、ローカルな視点が抜け落ちていることも多い。例えば、今回も日本の少子高齢化がテーマでありながら「団塊の世代」「2007年問題」といったキーワードは最初入ってなかった。

どれが絶対、ということはないのだが、文化人類学的な調査方法で仕事を進めることのできる専門的な満足感と、仕事の自由さと楽しさという点では今が充実している。ただ、テレビは映像なので「絵になるもの」を求めざるを得ない。文字とせいぜい写真に依存するしかない文化人類学との違いはあって、そこでの不満足度というのもあるのだが、それは次回に。

ふっと沸いては消える娘の世界

保育園から帰ると止まらないくらいしゃべる娘だが、保育園がないときは一点を見つめながら、何やら考えて、そして突然、問いを投げかけることが多い:

ねえ、ドラえもんてさあ、あれ服?ねえ、はだか?

う~ん、難しいね~それは。

だけどさぁ、あれは服だと思うよ

何で?

だってさぁ、おへそないじゃない。

娘はそれで満足して、もう違うことを考え始める。

家で仕事をするようになって、ふっと沸いては消えてしまう、そんな一瞬しか表れない娘の世界に触れられるのは貴重だな、と。

院生に実践の場を!

オランダに留学した知人から久しぶりに連絡。私よりも10歳ぐらい下で、四年前知り合った時は学部学生だったのだが、最近博士課程に進んで給料をもらっている、というのだ。何てこった、彼は学生だ、と思って私が昼飯おごった(おごれた)時もあったのに、今では博士号取得者の私が無給で、課程にいる学生の彼が給料もらっているとは、いろんな意味でオランダに行きたくなった。

さて、仕事に対する報酬であることは条件だが、院生にお金を払うのは私も賛成である。何より、院生の研究者としての自覚が上がるし、自分が研究者に向いているかどうかを判断する大きな実践的経験を積む貴重な機会になる。学部4年間も過ごした後でさらに研究をしよう、と院に進むのだから、研究者に一歩近づく道筋はあるべきだし、研究者の一つの任務である「教える」経験を大学が与えるべきであろう。

と力説するのも、私もイスラエルの大学院留学時代に一コマ45分だが演習という講義を一週間に三コマ担当して給与を受け取っていた経験があるからだ(学内労働という種別の査証があるので留学生でも合法)。

日本の大学院でも一応TAというシステムがあるものの、私が知る限り教壇に立つわけではないし、文系ではほとんど機能していない。

私が担当したのは「文化人類学演習」というもので、教授による学部一年生向けの「文化人類学概論」の補佐的な役割を果たす授業だった。概論で学んだ文化人類学の理論がさらに理解できるよう、学生には毎週英語の課題論文が与えらるのだが、論文について解説を加える、のが演習の時間で、院生の役割だった。

文化人類学だけではなく、全ての授業に演習の時間があり、演習は院生が教えるシステムになっている。授業料が一部免除されて、さらに給与を得られるので院生の経済支援という面では参考になるシステムではないかと思う。

そして、実際に教壇に立つ、という機会が与えられることは、院生が今後この道で行くべきかどうかを判断する経験になる。

実際、学期始めに講義名、教室名、曜日と時間に続いて自分の名前が掲載された開講授業一覧を目にしたとき、本当に学生が登録してくれるのか、自分が教えられるのか、という恐怖に近い緊張は今でも忘れられない。

その緊張を拭い去るために、毎回しっかり授業準備を行い、演習の授業を進める中で、教えるということがどのようなことなのかを辛さや困難も含めて肌で感じることができるようになる。

さらに、試験を作成し、採点、レポートのコメントなども書かなければならないので、実務も経験する。教壇に立つ者は、常に厳しい視線で見られている、ということも学期末に受講生から提出されるコメントで痛感する。

日本の大学院で経験した博士倍増計画では修士->博士の移行をスムースにする量的博士の排出を感じた。しかし、経験を積んだ研究者を養成する機関として大学を位置づけるのであれば、実践を経験できる場を提供し、しかも経済的支援につながるようなシステムを整備するべきではないか、と思う。

漂流博士、学会へ

昨日のブログ、未完のまま満足できず投稿していたのですが、本日編集していますのでお時間あればお読み下さい。

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10月下旬に予定されているある学会の学術大会で発表の機会を得ることになった。学生の頃、「学会」と聞くとおじさん、おばさんたちの集まる狭い場で魅力も成果もなさそうだな~、と一方的に毛嫌いしたのに、今回発表の機会を得たと聞いた時には素直に嬉しかった。激戦を勝ち抜いた分けでも何でもないのだが、自分の言葉に責任を持って発言しようと博士号を取得して、今後その発言をする場所として学会は一つの舞台になる。初めての学会発表で、結成したばかりの野球チームが初めて対外試合ができる興奮、のような喜びがある。

私は、イスラエルへ移住するエチオピア出身の移民(ヘブライ語では、上る人を意味するオリムといい、日本語では帰還民と訳される)がイスラエル社会でユダヤ人化、イスラエル人化する過程についてフィールドワークに基づいた研究でひとつまとめたのだが、何せ日本では発表できる場が限られているので、発表できるだけでも貴重なのだ。

中東研究の若手が集まる場では話す機会を与えられたものの、ユダヤ、イスラエルに絞った場での発表の機会は今回が初めてとなる。

野球選手はグラウンドで、関取は土俵で勝負するように、アカデミックの世界で生きようとするものはやっぱり学会で勝負できんとダメだろう、思う。

野球にはルールがあり、部外者には分からないようなしきたりがあり、マナーがあり、その限られた狭い中で選手は日々戦っている。しかし、イチロー、桑田がそうであるようにその道を追求していけばきっとその狭い世界を打ち砕いて、魅力的な選手として多くの夢や希望を与えてくれる。

ある専門性に生きるのであれば、その狭い世界に安住するのではなく、むしろそこから抜け出すくらいの突き詰めたエネルギーがなければ生きのびられない。

私は野球選手にはなれないし、この道で行くしかない。まずは学会発表、それに向けてしっかり準備を重ねて実りあるスタートにしたいと思う。
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