漂流博士

仕事は仕事、人生は違うところにある。

  

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ストレッチ

骨折から回復、日常生活を送る上では100%、マラソンや野球をする上では95%の状態。残り5%は、3ヶ月近く動かさなかったために硬直したアキレス腱周辺の筋肉。ストレッチしかない、フーッと伸ばして筋肉に語りかけるように、「そう、怖がらないで、もっと伸びるから。」。これを続けるしかない、でも続ければ何とかなる。

書くこと。それも、遠ざかると硬直する。脳では常に何かを考えている。いざキーボードの前に座ると、脳から指への信号が全くいかない。
おかしい、書きたいことはあんなにあったのに。
流れるような文章、完璧な導入と、ハラハラする展開、、、。どれも結局は頭の中だけの妄想だと激痛を伴いながら納得する。

フーッと、脳から出てくる言葉ともならない言葉を、指でつかめるように神経を集中させる。書かなくても日常生活は送れる、でも書くことでしか味わえない生きている実感や手応えがある。書くためには、書き続けるしかない、でも続ければなんとかなる。
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日が暮れるのが早くなりました

日が短くなりました


日が暮れるのが早くなり秋の空気、仕事を一つこなしてほっと一息。家の近くの好きな場所で。

猛獣使い終わる

テレビのスタッフは国がどこであれかなりエネルギッシュで、しかも海外ロケとなると「もう今しかない」というプレッシャーもあるからストレスと緊張感がグワーッと盛り上がっちゃう。今回はそこにガンガン言いたいことを言うイスラエル人4人というもう一つのエネルギーが加わっているので、現場の「もう止めて下さい」と言う声を無視して「遠くから来てるんだからあと数分、あとちょっと」等と押し切る強引さで、まるで猛獣である。

そうか、私の仕事はそんな猛獣達を連れた猛獣使いだったのだ、と振り返ると目がクラクラになってしまい、心身ともに平常に戻すまでに丸二日間かかってしまいました。

テレビは映像、絵で作る。目に入る情報はテクストよりも強烈で、分かりやすい、それが強さでもあるんだろうけど、制作の過程を見ていくと絵になるものを追うがために見落とさざるをえない弱点があることも見えてくる、それを何度も感じた9日間だった。

私はテクスト(文字)でしか表現できないのだが、インプットされる情報は目に見えるもの、聞こえるもの、何でも全て資料になることができると言っていい。一方、テレビは目に見えてそれだ、と分からないといけない。私が面白い!と思っても絵にならなければ採用されない。(明日へ)

撮影いよいよ終盤!

いや~なかなか更新できないですいません。

日曜日は10時間かけて名古屋に移動、昨日京都に入り、今日は神戸。大移動しながら東京以外の日本を目にして取材陣も満喫しつつ、残り2日というプレッシャーからあちこちに亀裂が、、、

日野原重明先生を独占取材!

今回の取材にはいくつか目玉がある。現地コーディネートという立場からすると、元気な高齢者というテーマのドキュメント番組で聖路加国際病院の日野原先生に出演いただけることは大きな誇りでもある。今回ようやくいただけた時間は4時30分から5時までの30分間。その時間を確保するために事前に結構強引な直談判もしているし(参考:7月15日の漂流博士)、すでにアポをとったという結果もあるので満足なのだが、イスラエル人スタッフにはその重みが分からない。

当日の朝になり、30分じゃ足りない、現役として仕事している場面を撮りたい、診察しているところを撮りたい、病院の中を歩いているところを撮りたい、だから1時間半は必要、と無茶苦茶なことを言う。日野原先生だよ、30分いただけただけでも感謝してその中でできることをしなよ、と言うと「私たちは遠くから来てるんだから、もう来れないんだから」とお決まりの安っぽい印籠を出す。私はこの印籠が取材者というプロ意識に反しているので嫌いだ。取材者は取材協力者の理解があってようやく仕事ができるんだから、与えられた時間で最大限できることをするべきだと思うし、ドキュメントなんだから全て一本勝負でいいと思うのだ。現地コーディネートとして意識するのは、こうした無茶な話を無茶だといいつつ、安っぽい印籠は使わずに取材協力者から少し可能性を見出すところにある。妥協点を見出すのだ。しかし、今回は日野原先生、5年先までのスケジュール帳を抱えて一日16時間働くという先生と見出せる妥協点があるはずもない。ベッカムが単独取材に30分応じてくれる、と言ってくれたらその中でできることを考えなきゃダメでしょ、当日になってドリブルしろ、ビクトリアと手をつないでくれ、だから一時間半欲しいと言ったところでそりゃ無理だろ、と言っても「何とかなる」と言って聞かず、まずは早く行こう!ということでなんと約束の2時間近く前に現場に到着した。

「彼のオフィスはどこだ」「有名人なら誰でも知ってるだろ、そこに行こう」と暴走気味なので、「そんなことしたら30分さえ無くなるゾ」と暴れる猛獣を抑えつつ、総合案内所に向かって理事長室に連絡してもらう。「やはり先生はスケジュールが詰まっていて4時半からしかないそうです」と丁寧に対応してもらい、それを告げるとようやく納得してガックリとうなだれた。30分あるということよりも、1時間半ない、という方に完全にシフトしてしまっていて、一様に落胆の雰囲気に包まれてなんだか取材拒否されたような変なムードが広がった。

その後しばらく川ッぺりに座ってボーっとして、少し元気を取り戻して4時15分に理事長室へ。

前のミーティングの最中であるにもかかわらずちょろちょろ覗き見してカメラの準備、そして4時30分になり、秘書の方が「どうぞ」というタイミングと同時にいざ日野原先生のオフィスへ。リポーターが部屋へ入り、握手をして「あ、君たちイスラエルから来たの、グレート!」と打ち合わせも何もなくそのまま取材がスタートした。リポーターも舞い上がりながらも、この取材が何なのか、なんで日野原先生に会いたかったのかを告げると、先生は「ちょうど『TIME』でも私のことが取り上げられたところですよ」と突然の英語インタビューでも全く動じずにどんどんお話してくれる。

5分ほどして、「すいません、先生、このフロアーをちょっと見せていただきたいのですが」と言うと「はいよ、こっちこっち」とスタスタ歩き出すのだがそのペースが本当に速くて、リポーターもカメラマンもついていけない程で、「先生待ってください!」と追っかける。病院内をスタスタ歩くと、職員からも「え、日野原先生だよ」と多くの視線を独占し、その後をイスラエル人スタッフが追いかけるというかなり珍しい光景が病院内にうまれた。

ちょうど患者さんに会って、体の具合などを聞きながら簡単な診察までして、終わるとまたスタスタと部屋に戻っていった。賞味3分くらいだろうか、あっという間のできごとにプロデューサーも「信じられない」と興奮しっぱなしで、私もあんなに元気なイスラエル人スタッフが先生を追いかける光景が不思議でたまらず興奮と動揺のしっぱなしだった。

5時になり撮影終了。終わってみれば、現場の姿、診察の様子、病院内を歩き回る様子、が全て撮影できていて、私は日野原先生に感激しっぱなしだった。5年先までつけているというスケジュール帳を目にすることもできたし、何より現場で元気にはたらく日野原先生の姿を目の当たりにしたことは人生の大きな経験でもあった。

スタッフたちは撮影後に日野原先生の偉大さに気付いたようで、しばし「すばらしかった、すばらしかった」と余韻を味わった。「ほら、言ったじゃないか、何とかなるんだよ」とでも言ったら、許せないが、みんなでいい気持ちになって余韻を楽しめたからいいか、と元気に次の取材地に向かった。(取材時の写真は後日追加します!)

予感当たるか!急遽出勤

今日はSKIPシティ国際Dシネマ映画祭の審査発表。

当初予定はしていなかったものの、何か予感を感じて、クロージングセレモニーとパーティーに出席することに。

昨日のステージトークショーは監督の呼吸と合ってかなり手ごたえあり。その様子は近々、まずは今から川口に向かいます。

週末のないリズム

このブログへ週末訪問する方は少ないのでちょっと一休み。

ただ、漂流博士はフリーなのでカレンダーの暦と関係なく仕事。今日は以前紹介したイスラエル映画のトークショーの通訳。もしご都合つけば遊びに来てください。

Skipシティ国際Dシネマ映画祭にて
14時から「ペーパー・ドールズ」。

漂流歯かせ

左下奥から二番目と三番目の歯。口を開いた時に治療されるこの場所のこの感触、もう何度目だろうか?

もう10年以上前に一度型を取って銀を詰めたのに、その隙間から虫歯になった。手がシワシワの爺さんが、「なんだ今畜生」と力任せにグイグイとその銀を取ったのがこの奥歯君たちの壮絶な人生の始まりだった。

イスラエル留学中、そこの詰め物が取れたので「つけてください」と、とホコリまみれの建物に足を運ぶと「うわっはっは、こんなもの持ってきたのか。こんなんただのプラスチックじゃ!」と手のひらに乗っていたその詰め物をポーンと上空に飛ばしてあっけなく消えた。

で、そこでつめなおした銀が一年もたたないうちにまた取れた。「あそこは腕がいいぞ」と新しい歯医者を紹介してもらってバスで向かった。

そこはロシア系出身の医者が経営する歯医者。今やイスラエル人の5人に一人が旧ソ連出身なのでおどろくことではないが、彼らは日本から来た、と言うとかなり食いついてくる。

ロシア語訛りのヘブライ語で、奥歯の治療で口が開きっぱなしの私に向かって「日本じゃ何食べてるんだ?」「みんな金持ちなんだろ」とお構い無しに質問攻撃をしてきた。私はサービスだと思って精一杯の努力で対応した。途中で目の前に「FUJI」と書かれた薬剤を見せて「これは日本製、こいつが頑丈で一番いいんだよ、高いんだけどさ」と教えてくれた。きっと、私のサービスと努力へのお返しだったのかもしれない。

この二本の歯だけが経験積んだな~とさいたま市の歯医者で口を開きながらぼ~っと思い出していた。2007年7月5日。
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